04 乗らん方がいい
いささか混乱したのはオルフィのみならずシレキも一緒で、彼らが話をまとめるのには少々時間がかかった。
少し迷ったが彼らは長老の小屋を出て、そこから少し離れて話をすることにした。人気のない村であるから通りかかる者もほとんどいないし見晴らしもいいから、むしろ内密の話はしやすいと踏んだのだ。
もとよりオルフィは長老に隠そうとは思っていないのだが、伝えるのならばざっと話を聞いてまとめてからの方がいい。そう考えたのだし、長老にもソシュランにもそう告げてからふたりになった。
「だからだな」
シレキは額を押さえた。
「まずはカーセスタの話をしよう」
「ああ。聞かせてくれ」
「これが、驚くほど簡単に片づいた訳だ」
何でもラスピーシュはクロシアを伴い、ラシアッドに最も近い魔術師協会に移動した。そこから親書を国王に送ったのだが、これも協会に、まるでごく普通の手紙のように配達を依頼したのだと言う。
「『王家から王家の正式な親書』なんて協会は関わりたがらないが、個人的な手紙なら問題ないって訳だ。王家の印章が押された封書でもな」
通常、「正式」という点にこだわるのは王家の方であり、きちんとそれなりの使者を立てるものだ。ラスピーシュは独断でそこを割愛し、とにかくカーセスタ王に面会を申し入れたらしい。
カーセスタ側も突然の訪問に驚いたろうが、小国であろうと二番目であろうと王子の要請とあっては無視もしづらい。殊に、もし本当に戦を目論んでいたなら味方は多い方がいいと考えるに違いない、というのがラスピーシュの考えだったようだ。
「結果としてカーセスタ国王は面会に応じ、戴冠式への招待を受けたそうだ」
「本当に大丈夫なのか?」
思わずオルフィは呟いた。
「大丈夫、とは?」
「だからさ。あいつが勝手に日取りを決めたって話さ」
「さあな。だが大国の王様に言っちまったからには、ラシアッドだってその日にせざるを得んだろう。ラスピーシュ殿下が兄王子……次期国王陛下にお叱りを受けたり、ラシアッド国内が少々混乱したりするとしても、それは彼らの問題さ」
「ま、それもそうか」
ラスピーシュには、たとえば「罰されるかもしれない」というような悲壮な様子はなかった。もとよりラスピーシュの悲壮な様子など想像もできないが、ともあれ彼は「せいぜい小言を食らう程度だ」と考えているのだろう。ラシアッドの事情については判らないが、よく判っているはずの第二王子が判断したのだし、仮に大間違いだったとしてもとりあえずオルフィには――言ってしまえば――関係のないことだ。
「それで、戴冠式があるから平和にしといてくれって話も聞いてもらえたってことか?」
「実際にどんな話運びをしたのかは知らないがな。例の調子で巧いこと言ったんだろう」
ぺらぺらと話して煙に巻いてしまうという調子を「弁が立つ」と言えるのかどうかはともかく、「口が巧い」ことは間違いないだろう。
(王子より詐欺師の方が似合いそうだけどな)
オルフィは正直に酷いことを考えた。
「しかし、いくら何でも早すぎないか?」
あれから半日も経っていない。最低でも二、三日はかかるものと踏んだのに。
「確かになあ。本当に兵が引かれなかったら、さすがに誰も信じなかっただろうよ」
シレキは肩をすくめた。
「迅速、いや、神速だな。意外なまでの優秀さ……とでも言うしかないかねえ」
「まあ、本当に国境が危うくなくなったなら、いいけどさ」
南西部に火の粉が降りかかる嫌な想像をしなくていいのなら歓迎だ。
「演習なんてのは嘘臭いが、本気で戦を仕掛けるつもりでもなかったのは事実だろう。少なくともまだ、というところで、いまはナイリアンの反応を見たかったんだと俺は踏んだね」
知ったようにシレキは言った。
「ともあれ、仮に『当座』であろうとしのげることはしのげた訳だ」
「当座、ね」
「未来永劫、とはいかんだろ」
「判ってるさ、それくらい。ただ『当座』ってのはあまりにも」
「ラシアッド新王誕生までにはまだ半月ある。それまでに何かしら手を打つのはナイリアンとカーセスタの仕事」
俺たちじゃないとシレキはまた言った。
「……おっさん、いま何て?」
「ん? だからな、政治外交、そういうのにまで首を突っ込まんでもだな」
「あと半月? たったの?」
オルフィが繰り返したのはそこだった。
「まじで大丈夫なのか? ラシアッドは」
わずか半月で支度が可能なのか。彼は危ぶんだ。たとえば現国王の急な崩御で急がなければならないとしても、正式な即位に半月は短すぎるだろう。半年だって短いのではなかろうか。
「それだってさっきと同じだ。ラシアッドの御方ができると踏んだんならできるだろうし、あの王子様が阿呆か、或いは彼の大いなる見込み違いでもあったとしても、困るのはとりあえずラシアッドだな」
「直接の責任がないからって黙って見物してるってのもなあ」
オルフィは頭をかいた。シレキは片眉を上げる。
「黙って見物させる気はないだろ、ラスピーシュ王子も」
「何だって?」
「お前を呼ぶのは『お友だちになったから』なんて理由じゃないだろうよってことだ」
シレキは肩をすくめた。
「人の好さそうな様子に騙されんなよ。あの王子殿下は相当の食わせもんだ」
「判ってるさ、そんくらい」
オルフィは手を振った。
「ただの女好きじゃないと判った時点で、怪しさは倍増してる。――ナイリアールの人混みのなかで偶然、俺とカナトや、リチェリンに声をかけるか?」
ふんと彼は鼻を鳴らした。
「あいつは籠手のことを知っていたと見るべきだ。だから俺に近づこうとした。リチェリンのことは……どうやって彼女と俺との関わりを知ったのか、調査の速度が尋常じゃないが……」
「まあ、いいさ」
「何だって?」
気楽な台詞にオルフィは眉をひそめた。シレキは両手を挙げる。
「お前さんがそれだけちゃんと気づいてるならいいだろう、と言ったんだよ」
「気づいてたって、それだけだよ」
彼は唇を歪めた。
「全くの憶測で言ってみるなら、ラシアッドの実質的な最高権力者は奴だなんてことも考えられる。レヴラールは兄王子をべた褒めしてるけど、『優良な王子殿下』にあの弟を制せるかって言うと、何か納得いかないし。何より、戴冠式の日取りなんて重要なことを勝手に決められるのも、兄を従わせてるなら不思議じゃない」
「成程」
とシレキが言ったのは同意でもなかった。
「ずいぶん斜に見てるな」
「いや、考えのひとつではあるけど本当に思ってる訳じゃないよ。最高権力者にしちゃ、いくら何でもナイリアールで遊びすぎだ」
オルフィは肩をすくめた。
「ついでに言うなら、いちばん注意する必要があるのはもしかしたら、あのクロシアって奴かもな」
両腕を組んで彼は続ける。
「裏の意図みたいなもんはないにしても、ラスピーシュに、またはラシアッド王家に忠実すぎる結果として何やらかすか判んないみたいな……」
言ってオルフィはうなり、はっとした。
「判った」
「何が」
「クロシアはヒューデアと似てると思ったんだけども」
「成程、納得できる考察だ」
「それだけじゃない」
オルフィは指を立て、そっと後ろを指した。
「うん?」
「ソシュランにも似てるんだよ、エクールの守り人」
「ああ……成程」
シレキはまた言った。或いはそうとしか言えなかった。
「ヒューデアはキエヴ族に。ソシュランはエクールの民に。んでクロシアはラシアッドに」
考えるようにオルフィは言った。
「一種、それぞれの集団の『騎士』ってところかもな。私心を消して国に、王に、民衆に尽くす」
「ほほう?」
にやりとシレキが笑う。
「お前のジョリス様も似てるんじゃないかって話だ」
「どういうからかい方なんだよ、それは」
オルフィは顔をしかめた。
「まあ、そうだなあ。ヒューデアはちょっとジョリス様に似てるとこあるかもな。立ち居振る舞いとか。でもそれはあいつがジョリス様とか『ナイリアンの騎士』って存在を意識しているからだろうし」
「ソシュランやクロシアには感じない、と?」
「んー」
彼は考えてみた。
「よく判んねえ」
そして正直なところを答える。
「実際のところクロシアとは、話したこともほとんどないしな」
「それもそうか」
「ってか、そんな話は脇に置くとして」
オルフィは苦笑した。
「カーセスタがとりあえず大人しくなったってのは朗報だ。んでおっさんの言う通り、あとはレヴラールと祭司長に任せるところだろうな。でもそれは」
彼は真顔を取り戻した。
「おかしな言い方だけど、これが単なる『国同士の争い』でしかなければ、だ」
「うん?」
「ラスピーは、ハサレックや〈ドミナエ会〉の気配については何か言ってなかったのか?」
「さすがの王子様もそこまでは掴めなかったみたいだ」
シレキは肩をすくめた。
「だが、ラスピーシュ殿下がお前やリチェリンに何をさせたいんであっても、乗らん方がいいぞ」
顔をしかめてシレキは結論を出した。
「俺は、招待を断った方がいいと思うね」
「んー……」
「何だ。行きたいのか?」
「行きたいって訳じゃないけどさ」
オルフィは考えた。
「戴冠式にはカーセスタの使者がくるんだろ?」
「だろうな」
「ラスピーはそいつに俺を……と言うか籠手を見せて、反応を確かめるつもりなんじゃないか?」
「十二分に有り得る話だ」
シレキもそれは考えていたようだった。
「掴めなかったみたいだって言ったけど、実際はどうなのか判ったもんじゃない。むしろ、何か掴んだからこそ俺にこいって言ってるのかも」
「ふうむ。読むなあ」
「そうとでも考えないと、よりによって俺を招く理由がないだろ。おっさんだって『友だちだからって訳じゃない』って言ったじゃないか」
別に友だちじゃないが、とつけ加えた。




