02 エクールの民の血
「その通り」
長老は言った。
「お前のせいだとは、言わぬ。しかしお前が原因の一部を担っていることは、判ろうな」
「――はい」
そうとしか言えなかった。それは事実に相違ない。いや、長老はこれでもずいぶんと控えめに言ってくれている。ほかでもない彼の、ヴィレドーンのせいだと糾弾され罵られても、彼は甘んじて受けるしかないのに。
「かの人ならぬ存在が作り出した魔の火……村を焼こうとしたあの火は、お前から故郷を奪うために放たれたものであった。かの者はお前を魔物のような人間に仕立て上げるために、全てを画策していた」
彼は黙るしかなかった。
「思い出したからには、もう判っておろう。『裏切りの騎士』を作り出したのもまたかの魔。その邪なる導きがなければ、国王とてこのような田舎の村を滅ぼそうなどと考えはしなかった」
「はい……」
オルフィは唇を噛んだ。そう、アバスターとラバンネルはそんな彼を目覚めさせようと、あの日ナイリアールでヴィレドーンの前に現れた。彼らがいなければヴィレドーンはそのまま悪魔の敷いた道を進んだことだろう。
彼らはヴィレドーンを連れ出して畔の村まで逃げ延びたが、悪魔は彼を諦めることなく、追ってきた。
「過去の話は、もうよすとしよう」
長老は手を振った。
「糾弾する気はない」
またしてもオルフィは黙ってうつむいた。
「しかし気にかかる。南の風……」
「な、何かお判りに?」
ぱっと顔を上げて彼は問う。
「あの日によく似た、黒い煤を内包しておるような……」
「何だって。それじゃやっぱり」
ニイロドス。カーセスタの出来事にはあの悪魔が関わっているのか。ひいては、ハサレックも。
「急くな。似ているが、同じとは限らぬ」
「しかし、長老」
オルフィは顔をしかめた。
「悪魔がもう一体いるとでも言うのでない限り、その黒い風はニイロドスが引き起こしたものである可能性が高い」
ニイロドス。この一件、いや、三十年前の件から事件の裏にいる、人ならぬ存在。
「あれ」の何が御しがたいと言って、人間の思うような利害では動かないということだ。
何のために何をしているのか、人間の動機を推測するように考えるのは意味がない。
そして気まぐれな悪魔のことよりも、もっと大事なことがある。
「長老。神子のことを――教えていただけませんか」
彼は真剣な顔をした。
「リチェリンは、エクールの神子はリチェリンなんでしょう? もしかしたら名前は違っているかもしれませんが……」
「あの子は、この村にいたときから、リチェリンという名だった」
静かに、その答えがやってきた。
「やっぱり」
オルフィは呟いた。
ヴィレドーンであった頃の記憶が蘇るに連れて、リチェリンが神子であるという考えには得心がいった。どこか感じたのは畔の村の――エクールの民の血。
だから惹かれた、というのもあるのかもしれない。同じ風を感じて。
それだけとは思わなかったし、思いたくないところもあるが。
「ではもうひとつ」
彼は考えながら言った。
「カナトの、ことについては」
背中の紋様。リチェリンが神子であるのなら、カナトは。
「それを告げる立場にはない」
長老は静かにそう答えた。
「時が至れば自ずと知れよう」
その答えに、「またか」という思いもなくはない。しかしそれは長老の言葉に呆れるの落胆するのということではない。長老の力はピニアのものに近く、彼には判らない「何か」を見ている。予兆なのか託宣のようなものなのか、それを見た長老はそれをただ告げることしかできない。これは「しない」のではなく「できない」のだ。先を視る者は、時に厳しい制限を受けながら生きることを強いられている。
だから彼が少しだけ反発するの長老ではなく、その「何か」に対してだ。
自分の力ではどうにもならない、運命という奔流。
実在を認めたくないもの。
「リチェリンが村でのことを覚えていないのは、ラバンネルの魔術ですか」
仕方なくと言おうか、彼は話題を彼女のことに戻した。
オルフィもリチェリンも、自分たちは幼少をアイーグ村で過ごしたと考えている。
だがニイロドスが彼に、ラスピーシュが彼女に指摘したように、小さな頃の記憶など曖昧なものだ。こと細かに覚えている者もいるだろうが、たいていは茫洋とした印象と、あとは印象的な出来事をいくつか覚えているだけ。
事実と異なれば「記憶違い」「勘違い」で済む話でもあるが、この場合はそうでもない。
オルフィもリチェリンも、たまたま忘れていたのではない。その記憶は封じられ、書き換えられた。それはおそらく――オルフィが「ヴィレドーン」の記憶に刺激されないように。
「そうであろう、としか言えぬ」
「ご存知だったんですね」
「ああ。神子を彼に預けたのは私ではなく前の長老であったが、話は聞いている」
「ラバンネル」
彼はその名をそっと口にした。
「怖ろしいほどの人だ」
幸いなのは、彼が敵ではないということ。積極的に手を貸してくることがなかったとしても、敵対することにはならないだろう。
オルフィはヴィレドーンの記憶にあるラバンネルやアバスターのことを思った。不思議な気持ちだ。何も知らず憧れた英雄は、思い出せばあのとき、彼のすぐ隣にいたのだ。
しかし彼は首を振ってその感慨を振り払った。いま考えるべきはそのことではない。
「俺は、エク=ヴーのことはあまり知らない。ここの子供が聞かされる程度のことを聞かされただけで、それ以上は」
何も知らないと彼は素直に言った。
「だから長老。教えてほしい。神子が湖神を蘇らせるというのは、どういうことなんです」
そうしたことをコルシェントが口走った。リチェリンの話にあったことをオルフィは覚えていた。
「ピニアもそれについては判らないと言いました。彼女も早くにエクールを離れたようですが、学んだ方向性は俺と違いますから、何か知っているかと思ったんですが……」
「それは彼女が神子でも判らぬであろう」
よりによってやってきたたとえにオルフィは少しぎょっとしたが、どうやらそれは長老なりの冗談であるらしかった。
「蘇らせると言うよりは呼び起こすとした方が適うやもしれぬ」
「じゃあ、やっぱり本当に、神子にはそんな力が」
「判らぬ」
「え?」
「――湖神の代替わりについては例がある。エク=ヴーに寿命はないものの、現し身の時間には限りがある故」
「代替わり。現し身」
オルフィは繰り返した。
「つまり……エク=ヴーの『生身』に寿命がある?」
エク=ヴーには実体がある。そのことを「ヴィレドーン」は知っていた。アミツのような精霊とは違う。
事実、彼が畔の村で過ごしていた間、一度だけエク=ヴーを見た。それがまるで啓示のように思えて、若いヴィレドーンは村を出たのだ。
「そうだとも、そうでないとも言える」
何とも矛盾のある答えであったが、以前のオルフィとは違い、長老がごまかしたり出任せを言っているのではないと判っている。彼女がそう言うのならば、そうなのだ。
「蘇らせる。いや、呼び起こす。神子が湖神を」
呟くようにオルフィはまとめた。長老はそれを否定しなかった。
(では神子には――リチェリンには本当にそうした力があるのか)
(そうだ。あのとき)
(俺が前にここを訪れることになったきっかけは、黒騎士の……ハサレックの言葉だった)
神子を連れて湖へ行けと、その言葉が妙に気にかかってオルフィはエクール湖を訪れたのだ。
(あれは、俺にも神子を探させようって魂胆だったんだろうか)
その可能性も考えた。
(或いは、湖のもとへ神子を帰したかった……?)
(いや、だがそれなら彼女を捕まえたとき、さっさとそうしているだろう)
探させようとしたか、巧くいかなかった。そうしたことだろうかとオルフィは考えた。




