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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第6話 静かなる魔手 第3章

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01 小さな波

 あのとき。

 彼はニイロドスの囁きに記憶の断片を取り戻し――いや、違う。

 あのとき蘇った記憶はいまの彼のものとは異なった。ニイロドスは彼の時間を「裏切りの時」よりも「前」に戻した。

 あのとき彼は、怒りと憤りに任せて行動していた。

 その結果がファローを死なせた。

 仮にニイロドスがそうした方向にヴィレドーンを誘導したのだとしても、彼が剣を抜き、親友を殺したことに、何の変わりもない。

(ニイロドスが狙うのは……欲するのは混沌か)

(それとももっと具体的なもの)

(いや、考えるな)

 彼は禁じた。

(招くことの、ないよう)

 きゅっと握りしめたのは湖神の――それともカナトの守り符。

(俺に力を)

 願った相手はエク=ヴー、それとも友たる少年。

「ああ……」

 広がる懐かしい光景に彼は戸惑った。

「これは……」

 夕映えの湖。影となる祠。前にやってきたとき、この美しく神秘的な光景に涙が出そうな懐かしさを覚えたのも当然だ。

 彼は、ヴィレドーンは幼い日をこの湖の畔で過ごした。遠い記憶の向こうにある幼友だちの影は、アイーグ村の子供ではなくここの子供のものだった。

 「ヴィレドーン」の幼友だちは「オルフィ」よりも二十歳近く年上ということになるが、それでも。

(何て)

(懐かしい)

 心を支配したのはその思いだった。

「どうした」

 ソシュランが声をかけた。

「疲れたか」

「いや」

 大丈夫だとオルフィは答えた。

 ソシュランの(ケルク)に同乗したオルフィは、想定以上の速さで畔の村にたどり着いた。以前ならば疲れ切ってしまったことだろうが――ただ後ろに乗っているだけでも、乗馬というのは体力を使うものだ――ここしばらくの特訓で力はだいぶついている。

「ただ、綺麗だなって思って」

「ああ」

 村の守り人は珍しくも少し嬉しそうに顔をほころばせた。

「美しいだろう。西日は山の向こうに消えてしまうが、赤い空が湖を照らす。この黄昏刻に立つさざ波は〈湖神の舞〉などとも呼ばれる」

 小さな波が影を帯び、神秘的な光景を見せる。水のなかで、翼のない竜のような姿をしたエク=ヴーが舞うように泳いで湖面を波立たせている状景を思い浮かべるのは、あまり想像力の豊かでないオルフィでも容易だった。

「もっとも……」

 さっとソシュランの表情が翳った。

「今日の波は、生憎とエク=ヴーの舞ではないがな」

 村の男が何を言わんとしたか、いまのオルフィには判った。彼は黙り、もう一度美しい湖面を見て、それから踵を返した。

「さあ、長老のところへ行こう」

 そのままソシュランに連れられて長老の小屋へ向かったオルフィは――道はもはや把握していたが、長老への礼儀として戦士の案内は必要だ――、そのなかで見知った顔に再会する。

「何だよ」

 とオルフィは肩を落とした。

「俺を呼ぶべきだと言ったっていうのは、ミュロンさんのことだったのか」

「わしじゃいかんか? うん?」

 老ミュロンは顔をしかめ、不機嫌そうに言った。オルフィは慌てて手を振る。

「いやいや、もうとっくに帰ってると思ってたんで」

「サーマラに帰る前に王城で会うはずだとは思わんかったのか」

「会えるかもとは思いましたよ。でも俺だって王城に詰めてる訳じゃないし、王子殿下が俺に報告する義務もあるはずないし」

 知らない内に帰っていてもおかしくはなかった。日数からしても、あれから半月近い。長老以外からも話を聞こうとしたとしても、この小さな村では二日もあれば充分だと思っていた。

「機会があったら殿下に訊いておこうとは思ってましたけど、特にめぼしい話もなかったのかと」

 レヴラールはいまや、オルフィらに情報を秘匿することはないだろうと思っていた。だが「何もなかった」まで報告するほど義務ではないと、オルフィの言うのはそういうことだ。

「ふむ。それはすまんかったな。サクレン殿とは連絡を取っておったが、王子殿下に報告するまで話がまとまらなくての」

「ってことは、何かめぼしい話があるってこと」

 オルフィは身を乗り出し、それからはたとなった。

「あの……長老」

 こほん、と咳払いをする。

「先日はいろいろと暴言を申し訳ありませんでした」

 何も知らなかった「オルフィ」は心のなかで長老を「呆け老人」とまで思ったものだ。

「俺が災いを招いたこと、確かに仰る通りでした。戻ってくるなと言われても当然のことと――」

「そのことは、もうよい」

 長老はしわくちゃの片手を上げて遮った。

「あの日の帰還はおぬしの意志ではなかった。消え去りし記憶という陥穽に向けて敷かれた罠であったろう」

「……罠」

その通り(アレイス)。儂は、思い出さぬ方がよかろうと言った。おぬしが『オルフィ』として生きるのであれば、それがおぬしの幸であろうと」

「ですが、そうは言っていられなくなりました」

 彼はきゅっと拳を握った。

「あの……」

 そしてちらりとミュロンを見る。老人は目をしばたたき、それから肩をすくめた。

「判った、わしは外そう。部外者じゃからな」

「いや、そんな……」

「わしがいては話しづらかろ?」

 気軽に言うと彼は踵を返して手を振った。

「わしが新たに知った話は長老からみんな聞けるじゃろうしな」

 ミュロンは当たり前とも言えることを言った。

「何、焦らずとも、時間はそれほど逼迫(ひっぱく)しておらんよ」

「――だと、いいんですが」

 そっとオルフィは呟いた。

(カーセスタの件が気になる)

(どちらにせよ一日二日でどうにかなることじゃないと思うが)

 急を要する話ではあるが、ラスピーシュが魔術師協会の力を借りたとしても、問題の場所まで跳んではいけない。協会に依頼をした場合、行き先は協会だからだ。仮に「魔術師を雇う」という形で力を行使させるとしても、どこにでもとはいかない。その当人が行ったことのある場所や、魔術のしるしをつけた物体や人物等、彼らにとっての明らかな目印がなければならないのだ。

 となれば、ラスピーシュが現地にたどり着くのは準備も含め、最短で二日というところだろう。カーセスタがどういう態度に出るかは全くもって不明だが、最悪の事態――ナイリアンとラシアッドの二国に喧嘩を売るという形だ――を想定したとして、それから一日後辺りか。

 早ければ、もう南の国境で戦が勃発しているかもしれない。

(魔術師協会が掴めば……サクレン導師は教えてくれるだろうか)

 協会は「国」のためには動かないということだが――これはナイリアンであろうとカーセスタであろうと同じだということだ――サクレンの好意にどこまで甘えられるものか。彼女の立場が悪くなるようでは、あまり強くも頼み込めない。

「何を案じている?」

 長老が問うた。オルフィははっとした。

「ナイリアン国の南方に、何かおかしな気配はありませんか」

 まず彼は尋ねた。長老は瞳を閉じ、数(トーア)そのままでいてからまた目を開けた。

「いや、特にはないようだ」

「そうですか」

 ほっと胸を撫で下ろした。エクールの民である「ヴィレドーン」の記憶は、長が遠くのことまで――明瞭にではないものの――知ることができると「オルフィ」に教える。

「その先は、どうですか。つまり、カーセスタ国は」

「何を知りたい?」

「それは」

 少し迷ったが、彼は簡潔に、カーセスタの対応によっては戦が起こりかねないことを説明した。吹聴することではないと判っているが、長老もまた吹聴などしないと判っている。

「〈サリアサの谷〉の向こうはエク=ヴーの目の届かぬ地だ」

 長老は首を振った。

「吹き込む風を感知することはできるが、風が何に起因するかまでは、少なくとも儂には届かぬ」

「……エク=ヴーなら」

 オルフィは呟いた。

「エク=ヴーそのものなら、判るのですか」

「そうしたこともあろう。だが、お前も知っての通り」

「……はい」

 彼はうつむいた。

「いま、この湖にエク=ヴーはいない。『あの日』から深い眠りについて、そのまま」


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