13 黒い魔剣
そうして彼らは大木のところにたどり着き、しばらく話をした。主にはジョリスのこととなったが、話の流れでお互いの子供時代にも触れた。自然、リチェリンはオルフィとのことを多く話した。もちろんと言うのか、ヒューデアがそれに妬くようなことはなかった。
「さて、そろそろ行くか。暗くならない内に」
「そうですね」
ヒューデアが立ち上がるのを見て彼女も立ち上がろうとした。と、また手が差し出される。
「あ、有難う、ございます」
これにはどうにも驚く。
「……ラスピーシュ殿下が」
「あっ、えっ、思ってませんよ、ラスピーさんみたいだとか!」
「何?」
「あ、いえ」
何でもないです、ともごもごと彼女は言った。
「ヒューデアさんは、何を?」
「いや、もし彼の言うことが本当であれば――」
ふっとそこでヒューデアは言葉を切った。
「誰だ?」
「え?」
「向こうから、誰か……」
ヒューデアの視線の先を見れば、確かに人影がこちらへ歩いてきている。
「リチェリン、俺の後ろへ」
「えっ?」
「ただ者じゃない」
「え、それってどういう」
彼女は目をぱちくりとさせたが、ヒューデアはもうにこりともせずにその人影を見据えていた。すっと右手が剣の柄にかかる。
「アミツが、危険だと言っている」
「えっ」
「後ろへ」
「は、はい」
その緊張はリチェリンにも伝わった。彼女は一歩退き、不安そうにヒューデアと人影を交互に見る。
「誰だ」
言葉が届きそうな距離になると、ヒューデアは声を張った。
「この先には何もない。もし道に迷ったのでもあれば案内も可能だが」
「いいや」
声が言った。リチェリンははっとした。
(この、声)
聞き覚えのある声だった。
それは嫌な、怖ろしい記憶を刺激する。
「ヒューデアさん」
かすれる声で彼女は剣士を呼んだ。
「あれは、あの人は……」
「――ああ。知っている」
ヒューデアの声にも緊張が現れた。
「ジョリスといるのを……見たことがある」
「そうだったな」
近づいてきた人物は少し手前で足をとめ、うなずいた。
「覚えている。ジョリスがずいぶん褒めちぎっていた。いずれは騎士になってくれたならと言っていたぞ」
「お前にジョリスのことを語る資格はない」
きっぱりとヒューデアは言った。
「ハサレック・ディア」
名を呼ばれて元〈青銀の騎士〉は、宮廷式の礼をした。
(ハサレック、様――)
リチェリンは鼓動が早くなるのを感じた。
(いったい、どうしてこんなところに)
「俺はジョリスのことならよく知っているのだが」
「黙れ」
音もなく、ヒューデアは剣を抜いた。
「俺の前に現れたのが運の尽きだ。ジョリスの仇を取る必要はなくなったが、お前のことは討たせてもらう」
「ほう?」
ハサレックは口の端を上げた。
「やれるものならやってみろ……と言いたいところだが」
相手は剣に手もかけなかった。
「生憎、今日は相手をしてやる気はない」
「何だと」
「目的はお前ではない、ということだ」
「目的……?」
「さあ」
ハサレックはさっと手を差し伸べた。
「――エクールの神子殿。お迎えに上がりました」
「え……」
リチェリンは身をすくませた。
「わ、私は」
「彼女が目的という訳か」
ヒューデアは剣をかまえた。
「ならばやはり俺が相手ということになる、ハサレック」
「死に急がなくてもよかろうに」
男は首を振った。
「この場は見逃してやる、と言っている。さっさと故郷に帰って大人しくしているといいだろう」
「ふざけるな」
単純な挑発に、しかしヒューデアは乗せられた。それとも判っていて、乗った。
「剣を抜け」
「ふ、後悔するなよ?」
ゆっくりと、黒い剣が引き抜かれる。それを目にしたリチェリンはぞっとした。
「き、気をつけて、ヒューデアさん」
思わずリチェリンは声を出していた。
「あの剣……ただ黒いだけじゃないわ」
「ほう?」
ハサレックは片眉を上げた。
「判るのか。神子と言うのもただエクールの神に関わるばかりではないのだな」
「黒い魔剣――世を乱すもの、か」
きゅっとヒューデアは目を細めた。
「その通り!」
黒騎士ははっと笑った。
「魔剣か。その通りだ。これは魔剣と呼ぶに相応しいな」
「忌まわしき力を得た刃か。それで……ジョリスを」
「はは、気の毒だがそれは違う」
楽しげにハサレックは首を振った。
「この剣には確かに特殊な力があるが、あいつと戦ったときはこの剣じゃなかった。つまり、俺がジョリスに勝ったのは純粋な実力さ」
「ふざけるなと」
ぐっとヒューデアは全身に力を込めた。
「言った!」
彼は地面を蹴った。ハサレックはにやりとした。
「青二才が!」
剣と剣のぶつかる音にリチェリンは一瞬瞳を閉ざしてしまったものの、勇気を振り絞ってまた目を開けた。
「なかなか」
ハサレックはヒューデアの渾身の一撃を容易に受け流し、不敵な笑みを浮かべていた。
「その年にしては大したもんだ。ジョリスが褒めるのも判る。さすがクロスの血を引く者だ」
「何」
「だがいまのお前と本気で戦ってみたいという気持ちには、ならんなあ」
「――どういう意味だ」
「どうもこうもない。ジョリスやヴィレドーンの域には達してないってことさ」
「ヴィレドーンだと」
ジョリスの名に三十年前の〈裏切りの騎士〉のそれが何故並ぶのか、ヒューデアには知る由もない。
「煙にでも巻くつもりか」
「とんでもない」
ハサレックは黒い魔剣をくるりと回した。
「腕を磨いたら、いつかまた俺の実力だけで相手をしてやろうと言ってるのさ」
黒い魔剣が黒い炎をまとった。リチェリンにはそう見えた。
ハサレックが腕を振る。
炎は飛び出し、ヒューデアを襲った。
「ヒューデアさん!」
たまらずリチェリンは彼を呼ぶ。形を持たぬ黒はキエヴの若者の剣から腕へ、腕から全身へとからみついた。彼はそれを引き剥がそうとするかのように動いたが、叶わず苦しげなうめき声を洩らして、膝をついた。
「それまで生きていられたらの話だが、な」
そのまま大地に倒れる若い剣士を見下ろしながら、黒騎士はにやりと笑った。
(第3章へ続く)




