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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第1話 託されし運命 第2章

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08 お久しぶりです

 ――シノインの小川を越えると、その先は彼があまり頻繁に赴かない地域になる。

 夜更け前にヌール村にたどり着いて黒騎士の件を警告した若者は、休むことなくそのままサーマラ村を目指して北上した。

 この付近の田舎村は夜にも特に見張りなど置くことなく、村人全員眠りについているのが常だ。山賊団でも襲ってきたらひとたまりもないが、それはひとりふたりが見張りしていたところで同じだし、だいたい田舎過ぎて山賊も出ない。

 だからオルフィは、村の入り口で火が焚かれ、ふたつの人影が見えたことに少し驚いた。向こうも驚いたようで厳しく誰何されたが、名乗ってやってきた理由を伝えれば不審がられることはなかった。

 見張りがいた理由も簡単に聞いた。何でもチェイデ村方向からやってきた旅人が生々しく黒騎士の事件を語ったもので心配になり、しばらく男たちが交代で見張ることにしたのだと。

 それなら話は早い。オルフィは黒騎士のような人影を見たと告げ――それくらいにしておくのが無難だと思った――今夜は特に警戒するよう伝えた。

「何てこった。まだこの辺にいるのか」

 サーマラ村の男はうなった。

「判った。気をつけておく。有難うな、オルフィ」

 見張りたちは「不吉な話を運んできた」などと理不尽な糾弾をすることなく、彼に感謝の言葉を伝えた。

「そうだ、俺の家に案内するから今日は休んでくれ」

「そいつは助かる」

 オルフィはほっとした。よく行く村なら遅くなったときに泊めてもらえる家も心当たるが、サーマラ村には一度しかきたことがない。彼は何ごともないことを祈って、遠慮なく休ませてもらうことにした。

 幸いにして黒騎士の襲撃を告げる騒ぎなどは起きなかったが、オルフィはゆっくり休めたどころか、ほとんど一睡もできなかった。

 とんでもない一日だ。彼はとても疲れていたが、横になって目を閉じても安らかな眠りが訪れてくることはなかった。

 どうしてこんなことになったのか。

 好奇心は死神マーギイド・ロードを呼び寄せると言うが――。

(ああ)

(いったい、どうしたらいいんだ)

 朝になって人々が動き出した頃、オルフィも借り物の寝台から起き上がり、帰ってきた見張り役の男と少々話をした。村の男は、やはりしばらく警戒を続けるというようなことを言い、またオルフィに礼を言った。何をした訳でもないのに――それどころか、とんでもないことをしてしまったのに――感謝をされてオルフィは複雑な気持ちだった。

「うん? どうしたんだ」

 明るい太陽(リィキア)の光の下で、見張りの男は昨夜気づかなかったものに気づいた。

「その腕。骨でも折ったのか。そんなふうに、包帯ぐるぐる巻きで」

「は、はは、まあ、そんなとこ」

 オルフィは引きつった笑いでそれに答えた。

 お大事に、と医療の神ティリクールに捧げる祈りをもらい、申し訳ない気持ちで感謝の仕草を返す。

 もちろん、これは怪我ではない。

 どうにも籠手を外せなかった彼は、旅路用の応急治療具を取り出して、包帯で籠手を隠してしまった。その方が目立たないと思ったのだが、これも十二分に目立つ。

「はああ……」

 嘆息が洩れる。こんなに後悔したことはない。〈予知者(ルクリード)だけが先に悔やめる〉と言うが、何も未来を視なくたって、あのとき考え直すことはできたはずだと。

(とにかく、ジョリス様に全て正直にお話しするしかない)

 それよりは崖から飛び降りる方が楽だと思えるような選択肢だった。

 だが、死んだ方がましだと感じても、本当に死ぬ訳にはいかない。どんな罰を与えられるとしても。

(死罪、だったり、して)

 そんなことも考えた。しかし死ぬことを考えるのは死罪と決まってからでもいいだろう。オルフィは半ば投げやりにそんなことを思った。

 とにかくいまは彼のまだ短い生涯の内、最大にして最悪の事態を一旦忘れ、タルー神父の仕事を果たすこと。悩むのはそれからでいい。

 ほかにもすれ違った優しい村人が「腕の怪我」を案じてくれるのに礼を言い、内心で謝罪して、オルフィは村はずれにたどり着いた。以前に一度やってきたときの記憶のまま、ミュロンの小屋は大木の脇にこぢんまりと建っていた。

「こんちは。すみません」

 どんどんどん、とオルフィは正面の扉を叩いた。

「朝からすみません。ミュロンさん(セル・ミュロン)はいらっしゃいますか」

「はーい、いま行きまーす」

 子供のような声がした。かと思うと、簡素な木の扉はキイと鳴く。

 姿を見せたのは、十二、三歳と見える少年だった。

「あ、こんちは――」

「オルフィさん!」

 少年は声を上げた。え、とオルフィはまばたきをする。

「お久しぶりです! また何かお届けものですか?」

「あ、もしかして、君」

 彼ははっとなった。

「あんときの子」

 やわらかそうな茶色の髪と緑色の目には見覚えがある。だが、子供の三年は彼の三年より大いに長いもので、オルフィはとっさにそれが同一人物だと判らなかった。

 もっとも、オルフィの三年だってたとえば四十代の三年よりはずっと長い。三年前に少し話をしただけの少年がすぐオルフィに気づいたのは意外なことと言えるだろう。

「その節はお世話になりました」

 少年はにこっと笑って、大人びた挨拶をした。

「君は、確か」

 オルフィは記憶を探った。

「カナトです」

 相手を待つことなく、少年は名乗った。

「そう。そうそう、カナトだ」

 彼はうんうんとうなずいた。決して忘れていた訳ではなく、印象に残っていた出来事であるが、共通の知り合いもない。三年間、一度も名前を呼ぶことがなければ、ぱっと出てこなくても仕方ないというものだ。

 もっとも、これまたカナトの方では、オルフィの姿と名をよく覚えていた訳だが。

「あれっ」

 カナト少年ははっとしたように目を見開いた。

「その腕、どうなさったんです」

「これはその、ちょっと」

 オルフィは答えにならない答えを返し、隠すように右手を添えたが、無論隠れるものではなかった。

「ミュロンさんは? 渡すものがあるんだけど」

 彼は本題に入ってしまうことにした。

「はい、おります。どうぞお入り下さい。いま、お茶を淹れますね」

「有難いけど、俺、すぐに戻らないと……」

「急ぎのお届けものがあるんですか?」

 残念そうにカナトはは尋ねた。

「いや、届けものって訳じゃ」

 カルセン村のことが気にかかる。用事を済ませて早く戻るつもりでいた。

「じゃあ少し休んでいって下さいよ。ちょうど新茶をいただいたところなんです」

 やはりにこやかにカナトは言って、オルフィの右腕を掴んだ。

「ほら、オルフィさん」

「そ、そうか? じゃ、ごちそうになるよ」

 人懐っこい笑顔に誘われて、オルフィはうなずいた。

「よかった。すぐお師匠を呼びますね。そこで待っていて下さい」

 部屋にある食卓と椅子の辺りを示すと、少年は彼に背を向けた。それに従ってオルフィは小屋のなかに歩を進めると丸椅子を引いて腰を下ろす。

「お師匠! お客さんです!」

「わしにか? 誰じゃ」

 広い小屋でもない。少年が誰かとやり取りしている声は隣室まで聞こえていただろうが、内容までは伝わらなかったようだった。

「オルフィさんです」

「誰だと?」

「ほら、三年前、首都から僕に届けものをしてくれた人ですよ」

「そんなことがあったか?」

「ありましたよ。僕の母の形見を届けてもらったんです」

「ああそうか。そう言えば、あったな」

 そこでオルフィは驚いた。

(あれは)

(形見、だったのか)

「それで? 今度は親父の形見を持ってきたのか」

「父は僕が生まれる前に死んでますって」

 口調や状況によっては酷くどきりとさせられそうな話だったが、師弟の言いようは実にさらりとしていた。

「だいたい、僕にじゃなくてお師匠にです。お師匠の父君の形見ですか?」

「わしの親父が生きておったら二百歳近くになるかもしれんな」

「ええ?」

「うむ。わしは十人兄弟の末弟でなあ」

「この前は、期待を一身に背負った長男だと仰ってましたけど」

「む? そうか。年を取ると物忘れが激しくなっていかんな」

「いまのは『物忘れ』とは言わないんじゃないですか」

「固いことを言うな」

「固いとか柔らかいじゃないと思います」

 少年が呆れたように返すのを聞いて、オルフィはくすっと笑った。

(おとなしそうに見えるのに、結構言うんだな)

 すると、ふっと肩の力が抜けた。そこで彼は、あれから自分がずっと緊張していたことに気づいた。

「はああ……」

 深く嘆息する。

 解決など何ひとつしていないのだが、身を強ばらせていたところで解決しないことも事実。オルフィは深呼吸をし、大きく伸びをして身体をほぐした。

「何じゃ。はるばるアイーグから、わしに会いにきたと?」

 隣の部屋から小屋の主が姿を見せた。ほとんど禿頭に近い総白髪の、小柄な老人だ。

 六十も半ばは超していそうなミュロンの「三年間」は取り立てて彼の印象を変えることがなかったようで、それはオルフィの記憶にある通りの人物だった。

「こんにちは、ミュロンさん」

 立ち上がるとオルフィは挨拶をした。

「アイーグ村からという訳ではなく」

 彼は胸元から包みを取り出した。

「カルセン村からになるんですけど」

「ほう、カルセン。タルー神父か?」

そうです(アレイス)

 こくりとオルフィはうなずいた。

「しばらく便りもなかったが、どうじゃ。あやつは元気にやっとるか」

 何気ない、ごく自然で当然の問いには、しかし返すのを躊躇う答えしかない。

「その……実は」

 オルフィは目を伏せた。

「タルー神父は、亡くなりました」


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