07 守り符
橋上の賑やかさもまた、相変わらずだった。
市場を救ってくれたハサレックの「裏切り」がバジャサのように誰かの心を傷つけていたとしても、表面上にそれが見えることはないまま、ディセイ大橋の上には活気が溢れていた。
前にここを西から東へ渡ったときは、シレキと、そしてカナトが一緒だった。ジョリスからもらった五十ラル銀貨をマレサに奪われ、それを取り返そうとしてウーリナと出会った。
あれはまだエクール湖に行く前で、オルフィは「オルフィ」でしかなかった。
もっとも、彼は「変わった」訳ではない。ヴィレドーンであった記憶は封じられていただけで彼のなかに存在したのだから、本当の意味で彼が「オルフィでしかなかった」時間はないとも言える。
だがどうであれ、あの日からずいぶんといろいろなことがあった。
あの日は、そう、こんなふうに露店を眺めながら――。
「あれ」
思わずオルフィは声を出した。と、そこにいた商人と目が合う。
「あんた……確か」
「おお、いつぞやの旅人さんじゃないか?」
場所こそ少々違ったが、それはエクール湖神の守り符を売っていた商人にほかならなかった。
「二度も会うとはなあ。私ゃここにきたのはあのとき以来だが、あんさん方はよくくんのかい?」
「いや、二度目……三度目ってとこだ」
オルフィは答えた。
「へえ、その少ない機会に続けて会うとは、こりゃただならぬ縁がある!」
商人はぽんと膝を叩いた。
「あれがなかなか売れずにいるのはきっと、あんたに買ってもらうために違いないな!」
「へっ?」
素っ頓狂な声を出してしまったが「あれ」が何であるかは判った。
「売れずにいるのか、湖神の守り符」
「興味を持って手に取る客は多いんだが、不思議と邪魔が入ってねえ」
乗り気だった客が連れにたしなめられて買いやめてしまったり、近くで喧嘩騒ぎが起きたり急に雨が降り出したりして逃げられてしまったり、とにかくそうしたことばかりだったのだと商人は嘆いた。
「まさか守り符じゃなくて呪符だなんてこともないだろうが」
「あるもんか」
思わずオルフィは口を挟んだ。と、商人は片眉を上げた。
「こいつは悪いことを言った。兄さんはやっぱり、何か〈はじまりの湖〉と縁のある人なんだね?」
「あ、いや……」
「ようし、大負けに負けよう! いまならたったの百二十ラル!」
先日は百五十から一ラルとも引かないと言っていた商人だが、あまりに売れないのでやけになったのか、そんなことを言い出した。
「充分、高いよ」
エクールの民なら誰でも持っているというのではないが、必要とあらば作ってもらえる。逆に、民でなければ百ラル出そうと二百ラル出そうと手に入らないが、民でもないのに欲するのは蒐集家くらいではなかろうか。
「むむむ」
商人はうなった。
「百と十ラル!」
「いや、だからさ……」
オルフィは断ろうとしたが、ふと何か引っかかるものを感じた。
(縁、ってこのおっさんは言ったけど)
(確かに、なかなかの偶然だよな、これ)
「拾い上げる」手。サクレンが、カナトがオルフィに対して言ったこと。
(俺が再びこの守り符に行き合うことには、何か、意味が……?)
そんなことあるはずがない、と否定してきた。だが否定して得たものはなく、結局のところは――言葉の上では否定しても――彼はそれらの「偶然」を肯定してきた。
ラバンネルの術は間違いなく彼自身に伝わって、彼は箱を開けた。
〈導きの丘〉には何もなかったが、シレキに出会うきっかけとなった。
ほかにも、彼が気づかないまま「拾い上げて」いるものがあるかもしれない。
そして、この守り符も。
「何だ?」
シレキが声をかけた。
「ひょっとしたら、必要なものなのか?」
それから小声で――商人に余計なことを訊かれないようにだろう――囁く。オルフィが湖の出身だと話したことを思い出したようだった。
「ん……どうだろう」
「おいおい」
「いや、確信はないんだけど」
オルフィも小声で返した。
「おっさんはこの『偶然』をどう見る?」
「――ふむ」
シレキはオルフィが言外に持たせた含みに気づいた。
「そうだな……エクール湖ってのは今回の出来事に深く関わってる。言うなれば宝箱を開ける鍵みたいなもんだ」
「鍵」
オルフィは呟き、こくりとうなずいた。
「俺もそんなふうに思う」
彼自身もエクールの出身だが、コルシェントらが神子を探していたことからして――。
(待てよ)
(……そう、か)
不意に腑に落ちた。
神子を探していたのはコルシェントではない。
(探していたのは、ニイロドスだ)
考えてみれば簡単なことだ。ナイリアールに暮らしていた魔術師が突然エクール湖の異質な力に興味を持つ理由は? 誰かが彼にあることないこと吹き込んだからに違いない。
(だがニイロドスがどうしてエクール湖にこだわるのか)
(俺の出身地だから……ってほど、見込まれてるとは思いたくないが)
もしかしたらそんな程度のことなのかも、しれない。
「おい、どうするんだ」
シレキが彼を引き戻す。
「あ、ああ」
彼は陳列されている守り符をちらりと見た。
「でも……単純な話、ラルが足りないんだけど」
「むむむ」
商人はうなった。
「しかしなあ、もうこれ以上はさすがに、本当に、負からんよ。仕入れた価格より安くは売れん」
「まあ、それはそうだよな……」
とオルフィが納得しかけたときである。
「私の記憶では、それと引き換えに手にしたのは三十ラルほどだったと思うのだが」
「えっ?」
驚いてオルフィらが振り返れば、そこにはひとりの男が立っていた。
「無論、買った価格よりも高く売らねば商いにはならぬだろう。そのことは理解しているが、ここで私が黙っている必要もない」
「あんた! あのときの」
商人は口を開けた。
「いやはや、何て日だ。お客との再会続きとは」
ぺちんと商人は額を叩いた。




