05 手紙
「ああ、あいつ」
バジャサは顔をしかめた。
「聞いてくれよ! あいつさ! あのあと本当にナイリアールに、行きやがったんだぜ!」
「それは」
彼が連れたのだ。放っておく方が危険だと判断して。だがいまにして思えば、せめてバジャサたちに「自分が様子を見ておく」とでも連絡をしておくべきだったかもしれない。
そこまで考えて、オルフィはあれっと思った。
「な、何で?」
何故、バジャサが「妹はナイリアールに行った」と知っているのか?
「へ? 何でって、あんたも聞いてたろ。ハサレック様さ。まあ……いまとなっちゃ複雑な気分だけどさ」
「触れの……ことは?」
「もちろん伝わってきてる。この辺はちゃんとした『町』じゃないから札そのものは立たなかったけど、東西南北から同じ話がきてるから、間違いないと思う」
情報屋の少年は、旅人たちから話を聞くことに長けている。だが今回に限っては売るために情報を集めたと言うより、やはりハサレックに憧れていた少年として「間違いであったら」と願ったためだろう。
「ごめんな」
いきなりバジャサは謝った。
「ジョリス様の、ことさ。あんときゃ俺も酷いこと言った。いや、ジョリス様が悪くなかったと判ったからじゃなくて……いまの俺には、あんときの兄さんの気持ちが、判るからさ」
大好きな憧れの騎士が、みんなが同じように尊敬しているはずの相手が、急に「あいつは悪人だ」「騎士なんかじゃない」と吐き捨てられること。
オルフィとバジャサの受けた衝撃は全く同じだとは言えなかったが、少年がそこに気づいて謝罪までしてきたことにオルフィは驚き、感心すらしてしまった。
(何だか俺はやっぱり、バジャサにも負けて……)
(いやいや)
そういうことは考えないのだ、とオルフィは首を振る。
「あんときのことは気にすんなよ」
まず彼はそう言った。
「誰だってお前と同じように思ったはずだ。公式の触れが……」
公式の触れが間違っている訳ないと思ったはずだ、という発言はしかし適当でないことに気づいた。
(間違ってた、ってことになったんだよな)
実際にジョリスが王家の宝を持ち出した云々はさておき、あの触れは誤りで、ジョリスには咎がなかったことになった。ではハサレックへの処罰だって間違っている可能性があるのではと、「ハサレック派」は特にそう思うだろう。
「まあ、二度は間違えないよな」
しかし少年はぼそりと言った。
「王城の威信にかけても、続けて誤報なんか出さないだろ。それに、ジョリス様が不在の間に疑われたのに対してハサレック様は……いたんだろ」
「……ああ」
バジャサはきちんと、そこまで考えていた。闇雲に否定するのではなく、情報を吟味して、今度は間違いが起こり得ない話であったことを理解していた。
(頭のいい奴だな。それに、冷静)
この少年は「橋上市場の情報屋」では終わらないのではないか、などという予感めいたものがふっとオルフィの内に浮かんだ。
「ハサレック様のことは、もういいんだ。そりゃ驚いたし、嘘だって思いもしたし、この辺じゃ大騒ぎにもなったけどさ。もう」
いいんだとバジャサは繰り返した。
(本当に「もういい」なんて思っちゃいないんだろうな)
そのことはハサレックの名から「様」が取れないことからも判る。理屈では冷静に理解したが、感情の方が納得しない。それはオルフィがジョリスの死を聞いたときによく似ていた。
「『〈青銀〉のバジャサ』も、ちょっと考えないと、いけないかも、なあ」
「……バジャサ」
オルフィはついと手を伸ばしてバジャサの頭を撫でた。少年は目をぱちくりとさせて、それから慌てたように身を離した。
「よ、よせよ。俺はあんたの弟でも息子でもないんだからさ」
「ああ、悪い悪い」
謝罪の仕草をしてオルフィは、そっと右手を握り締めた。
彼が頭を撫でると、カナトは嬉しそうにしたものだ。
「そうだ、そう言えば会えた?」
「え?」
「ほら、あの魔法使いさ」
「――何だって?」
「何だ。会えなかったのか? 兄さんが行った少しあと、あの魔法使いとおっさんもこの辺にきたんだよ。兄さんを探してたから、ナイリアールに行こうとしてたって話したんだ。急いで追いかけるみたいだったけど」
「そう、だったのか」
ではここにも、運命の歯車があった。
あの人混みでオルフィがバジャサと再会したのもかなりの偶然だが、カナトたちまで同じように行き合っていたとは。
まるで〈名なき運命の女神〉がカナトを死地に送るため、低い確率の偶然を重ね合わせたかのような。
(馬鹿な)
(運命なんて……決まってる、もんか)
それは不幸な偶然だったかもしれない。何かがひとつでも狂ってくれたなら、今日の状況はまた違って――。
(繰り言だ、とおっさんが言った通り)
(考えたって、仕方がない)
「大丈夫」
彼は自分に言い聞かせることも含めて言った。
「カナトはちゃんと、ナイリアールにきたよ」
「そか。なら、よかった」
何も知らず、バジャサはほっとしたように笑った。
「そうそう、それで、マレサのことなんだけど!」
少年は憤然とした様子で話を戻し、オルフィはどう言おうかと再び迷った。
「聞いてくれよ! あいつ、ナイリアールへ行って」
(そうだ、どうしてそのことを知ってるのか)
問おうとしたのに、ハサレックの話になってしまったのだ。
「仕事を見つけてきたらしいんだ!」
「……ふぁ?」
オルフィは珍妙な声を出してしまった。
「し、仕事?」
「そう。まあ、結構よさそうな仕事なんだけどさ……」
「ちょ、ちょっと待った」
オルフィは両手を上げてバジャサをとめた。
「帰ってきたのか!?」
「な、何だよ、大声出して」
少年は目をしばたたいた。
「あ、わ、悪い」
ごほんとオルフィは咳払いをした。
「帰ってはきてないんだ。手紙がきたのさ」
「手紙?」
「ああ。俺も母ちゃんも読めないから、頭のいい親爺さんに読んでもらったんだけど」
彼は続けた。
「もちろん、あいつも文字の読み書きはできない。だから誰か別の人間が書いたことは間違いないけど、それでも偽の手紙なんかじゃなかった。あいつしか知らないようなことを書いてたし、人攫いなんかはいちいち偽の手紙なんて用意しないだろうし」
マレサが家出をしたという以外に、さらわれた可能性についても兄は考えていたようだった。
「それで、どんなことが書いてあったんだ?」
「親切な人と知り合って、仕事や住処をもらったってな話だ。ちょっと嘘臭い感じもするけど、少なくとも読み書きができるような人が近くにいるってことで、手紙も用意してもらえたってことだろ。なら、結構上等なことじゃないか?」
読み書きができるというのは教育を受けているということ。それならば上流の人間に違いないと、バジャサはそう考えたようだった。必ずしもそうとは限らない――向上心を持つ勤勉な貧乏人だっているからだ――が、大方では間違っていないと言えた。
「仕事は雑用みたいなもんで難しくないらしい。『悪いこと』はしてないってさ。今後もしない、する必要がないからって」
バジャサは頭をかいた。
「どこの誰に世話になってるか、そういうところが抜け落ちてるのが気になるっちゃ気になるけど、騙す目的ならこんなことしないよな」
騙す相手がマレサであれバジャサや母親であれ、確かにここまでやる必要はないと思えた。
(しかし……正直)
(胡散臭いとまでは言わないが、何だか腑に落ちないな)
オルフィはこっそり思った。




