03 お任せあれ
「いることはいる」
レヴラールは認めた。
「しかし、その者からの連絡はない。不穏な空気があったのなら何かしら言ってきそうなものではあるが……」
「それだけ向こうの動きが早かった、ってことも考えられる」
と、シレキ。
「まあ、ハサレックが逃げ込んでいろいろ洩らしたならって仮定の上でだが」
「ヴァンディルガなら判らんでもない。だがカーセスタは堅実な国だ」
キンロップは首を振った。
「殿下。どうか向こうを挑発する行動はおやめ下さい」
「と言っても、見過ごして何かあれば」
(どっちの意見も、それなりだ)
悩ましいのも判る、とオルフィは思った。
「なあ、おっさん」
「うん?」
「魔術で何か、できないのか」
「カーセスタの真意を探るようなことか?」
「そう」
「簡単に言ってくれる」
シレキは顔をしかめた。
「少なくともいまの俺がひとりで跳んでってどうとかってのは難しいな」
「それはつまり、俺もいればいいってこと? 俺と言うか、これが」
彼は左腕を叩いた。
「それなら俺も行くけど」
「簡単に言うなって」
魔力を持つ男は手を振る。
「危険なことだぞ。向こうに魔術師がいれば気づかれる」
「別に、夜陰に乗じて攻め入るとか、そういうつもりでもないんだからさ。魔術師がいるとすればむしろ、魔術で探られることくらい承知だと思うけど」
「……なかなか言うなあ、お前」
シレキは少し感心したようだった。
「いや、シレキ殿とオルフィ殿に行かせる訳にはいかない」
レヴラールが口を挟んだ。
「貴殿らは兵ではない」
「そんなこと言ってる場合じゃないかもしれないだろ」
オルフィは切り捨てた。
「もし戦になれば全国民の問題だ。それに南西部はカーセスタにも近い。アイーグ村の近くが戦場になるかと思えば、俺には他人事じゃない」
「先走るなよ」
シレキは忠告した。
「殿下の仰る通りだ。俺たちの出る幕じゃない」
「ハサレックのことが関われば、そうは言ってられない」
オルフィは引かなかった。
「王子殿下。ハサレックがカーセスタにいるのかどうか、俺はそれだけでも探りたい。いるとなればもちろんその兵士の集結とは関係があるだろうが、なければなかったで、ナイリアンはふたつの敵を抱えることになり得る。そのときは俺はハサレックの方に集中させてもらうが」
それをはっきりさせたい、とオルフィ。
「でもやっぱり、お前が行くことはないだろう。俺が行きたくないから言ってるんじゃないぞ」
「悪いけど俺だけ行ったってどうしようもない。おっさんにはきてもらわないと」
「だから、行きたくない訳じゃないと言ってるだろうが」
ぶつぶつとシレキは呟いた。
「俺はむしろ、行くつもりでいたさ。だが専門家に任せたらいいと、さっき言ってたのはオルフィ、お前じゃないか」
「それはそうだけど、さっきとは話が違ってきてるだろ」
「『さっき』とは? 何の話をしていた?」
レヴラールが尋ねた。
「〈ドミナエ会〉でハサレックと繋がりのあった者がカーセスタに向かう計画があるようなのです」
キンロップがざっと説明をした。
「何と」
「嫌な符号ではあります。しかし決断は時期尚早かと」
「だからって何もしない訳にいかないんだろ。だから俺が行くって言ってるんだ」
オルフィはまたも言った。
「俺という個人を信頼できないって言ってるのは判ってるつもりだ。だがそれは『疑っている』ってのとは違うよな?」
自らの臣下や騎士たちと同じように信じることはできない、それは当たり前だ。忠誠の有無でもない。たとえば友は友でも、つき合いの浅い友には深刻な相談をもちかけられないようなものだ。言うなれば「信頼の度合い」が足りない。
「行かせてくれ。きっとカーセスタの目的を見極めてみせる」
オルフィは真剣に言ったがレヴラールは胡乱そうだった。さもあろう。
「失礼、お邪魔しよう」
そのとき許可もなく扉が開けられた。厳密に言えば、彼にはその権限はない。しかし使用人程度では彼をとめられないだろう。
「ラスピーシュ殿」
ナイリアン王子は少し困った顔をした。
「状況はだいたい判っている。それから推測も」
だいたい、とラスピーシュは片手を上げた。
「ラスピーシュ殿……」
繰り返し相手を呼んでレヴラールは何か言おうとしたが、ラスピーシュは首を振ってそれを制する。
「いまはカーセスタに使者を立てるか、立てるならどんな人物か相談中で、オルフィ君が行くと言ってはシレキ殿に呆れられ、祭司長に顔をしかめられ、レヴラール殿に禁じられた辺りではなかろうか?」
にっこりとラシアッド王子はほぼ正解を引き当てた。一同はぽかんとする。
「何、感心されるようなことじゃない。オルフィ君のことは、私はよーく判るんだ。何しろ私たちは深い仲だからね」
「誰が深い仲だ。妙なこと言うな」
オルフィは顔をしかめた。
「しかし私もオルフィ君以外の意見に賛成だね。いくら腕っぷしが強くても、諜報に関しては君は素人なんだし」
それには反論できなかった。ヴィレドーンだって知らない。騎士の仕事ではないからだ。そういう意味ではナイリアンの騎士は、清廉が前提の祭司長に近いとも言えるし、彼らの仕事はむしろ「見られること」であるから、隠密には向かない。
「だから」
とラスピーシュは片手を上げた。
「私が行こう」
「は!?」
叫んでしまったのはオルフィだけではなかった。シレキも同様だし、レヴラールやキンロップまでが思わず声を上げてしまっていた。
「な、何を仰る」
レヴラールは目を白黒させた。
「ラスピーシュ殿には」
「関わりのないこととは仰いますな、レヴラール殿」
芝居がかってラシアッド王子は首を振る。
「もしナイリアンとカーセスタが開戦すれば、たとえウーリナのことがなくても、ラシアッドには大きな影響がある。我が国が武器防具でも作って輸出していれば近隣での戦は歓迎するかもしれないが、幸か不幸かそのようなこともなく」
いささか不謹慎なことを言ってラスピーシュは肩をすくめた。
「西のナイリアン、南西のカーセスタが交戦状態に陥れば、交易が滞る。東の隣国たるタインラスとも交流は無論あるが、輸出入の線が一本になってしまうのはつらい」
大いに関係がある、というのが彼の言だった。
「しかし」
次にキンロップが何かしら言おうとしたときだ。ラスピーシュはまたも首を振り、片手を上げてそれを制した。
「私はナイリアンの名代として行こうと言う訳ではない。あくまでもラシアッドの使者として出向くんだ。それも、カーセスタ、ナイリアン国境に起きていることについて問い質しに行くのでもない」
彼は肩をすくめた。
「私は、カーセスタの国王陛下へ、我が兄王子ロズウィンドの戴冠式への招待状をお届けに上がるのだよ」
どうだ、とばかりにラスピーシュは胸を張った。
「は……」
レヴラールはぽかんと口を開け、それから真剣な顔をした。
「成程……」
「日取りが決まられたのですか?」
キンロップが問う。
「いいや」
さらりとラシアッド王子は答えた。
「何故なかなか決まらないかと言うと、実は兄が渋っているのだ。父上が存命であるのに、とな。実務はみんなこなしているくせに、この段になって尻込みをしている。普段は堂々と振る舞っている割に、意外と小心なのだ」
ずけずけと彼は言った。
「だから私が、兄に最後通牒を突きつけてやろうと思う」
「か、勝手に日取りを決めるのか?」
オルフィですら焦ってしまうような発言だった。
「他国の王様にこう言ってきたからこの日にしろ、って?」
「その通り」
ラスピーシュは見事なまでに悪びれなかった。
「もちろん、体裁を整えられるくらいの準備期間は設けるとも。実際のところ、我が国の戴冠というのは王族だけの儀式なのだが、先王がみまかっての即位ではないのだから夜会のひとつも開いたところでかまわんだろう」
それにカーセスタ王を招待するとラスピーシュは実にあっけらかんとして言い放った。
「当然、ナイリアン国王陛下もご招待したい。名代として誰をお送り下さるかはもちろん、ご自由に」
国王レスダールがとても外遊に出られる状態でないことはラスピーシュも承知だが、これはそのことをほのめかした発言でもない。王その人が他国の行事に出て行くということは滅多にないものだ。たいていは国内で地位のある別の人物を送る。
「ううむ……」
レヴラールは考えているようだった。容易に「ではそれで」と言える話でもないことは王子の立場でなくたって判る。
「いやいや、レヴラール殿が悩まれることはない。何も知らないということにすればよい」
対するラスピーシュはこれでもかと気軽だ。
「もとより、失礼ながら、私はレヴラール殿に許可をいただく必要はない。実際、これはラシアッドのためになるのだ。戦を回避し、兄上をちゃっちゃと王位につける。うむ。〈兎を仕留めた狐を捕まえる〉とはまさにこのこと」
うんうんと彼はうなずいた。
「では失礼。すまないがオルフィ君、先ほどの話はまたいずれ」
「急を要する話じゃないんだろうな?」
彼はそれだけ確認しようとした。
「この際だから言ってしまおう。実は」
ラスピーシュは真顔になった。
「あれは君とお茶の時間を持つための嘘だ」
「な、何だとぉ!?」
「南のことはお任せあれ」
ぱちりと片目をつむってラスピーシュはオルフィの抗議を封じてしまった。
「おい」
「ラスピーシュ殿」
優雅に礼をしたラスピーシュはオルフィやレヴラールがとめる間もなくくるりと踵を返した。




