02 カーセスタ
「と、とにかく、そうした奴らがいるらしいんだから、その道の専門に任せたらいいさ。何ならラスピーシュのとこの、あいつ、ほら、クロシアにでも」
「ますます、無理に決まっている」
本気に取った訳でもないだろうがキンロップは渋面で手を振った。
「もっとも諜報関係は、私には仕切れんのだ。どうあっても人を騙すことに通ずる故」
神に仕える男は息を吐いた。
「いまとなってはこの誓いがもどかしくすらある」
「いや」
オルフィは首を振った。
「あなたには、『祭司長』でいてもらわないと」
「……ああ、判っている」
うなずいてからキンロップはすっと感謝の仕草をした。オルフィは目をしばたたき、それから口の端を上げた。
「ハサレックの居所がちぃとも掴めんってのは、国外に出たようでもあるが、出てなきゃ出てないで面倒な可能性はあるな」
「と言うと?」
オルフィが尋ねるとシレキはじとんと彼を見た。
「『ジョリス様はそんな方じゃない』」
「あ?」
「お前はそう言い張ったろ。まあ、実際それは正解だった訳だが、同じようにハサレック様に対して思う連中はいるはずさ」
「……そう、だな」
マレサのことを思い出した。
あのあと少女の消息は思いがけず、それとも予測して然るべき状況で、知れた。
コルシェントとハサレックについての触れが出された当日だ。オルフィやヒューデアが「やりかねない」と思われ「やめておけ」と忠告されたことをとめてやる人物は彼女の近くにいなかった。もっとも、いたところで聞かなかったかもしれないが。
「馬鹿野郎っ、ハサレック様がそんなこと、するはず、ないだろうっ!」
気の毒な門兵に詰め寄った子供が、いた訳である。彼女は文字が読めなかったが、何が書かれているかは最初は公的に、次からはこうしたときにささやかな英雄になれる「識者」たちが繰り返し読み上げていた。あっという間に街中の噂となって、聞きつけた彼女は飛んできたのだろう。
「誰だよっ、こんな阿呆なことを言い出したのは! 取り消せ! んで、ハサレック様に謝れっ」
こうした声は、ジョリスのときにもあった。だがそれは遠巻きに発されたり、酒場での愚痴として聞かれたり、〈白光の騎士〉に憧れ続ける女たちの嘆きであったり、そうしたものだった。兵士に面と向かって抗議した「勇者」はいなかったのだ。
見張りの門兵に何も言う権利はない。「本当か」などと質されれば「触れの通りだ」と答えることはできるものの、それ以上は無理だった。
もっとも乱暴な行為に出られれば対処するのも彼らの仕事である。相手が子供であっても、狼藉者として処置しなければならない。兵士は少女を取り押さえ――と言っても所詮女の子であるから、捕り物になったと言うよりは「いたずらっ子を捕まえる」感じであったが――騒ぎが広まらないようにした。
しかし子供を本格的に捕らえ、処罰するような真似はし難い。本当に罪を働けば未成年であろうと罰されるし、特に城門の見張りは城の「顔」になり得るから狼藉者には厳しく当たることになっているのだが、状況が状況だけに兵士も困った。
騒ぎを聞きつけたのが〈黄輪の騎士〉ホルコスだった。彼は状況を見て取ると兵士に少女を放すよう言い、彼女に目線を合わせて「残念なことだが本当だ」と哀しげに告げた。さすがに少女も騎士には掴みかかれず、泣きそうな顔をして走り去ったと言う。
反応と見た目からして、ほぼ確実にマレサのことと思われた。無事でいるのならひと安心だが、何をやって「無事に」生活しているのかと思うと、オルフィは彼女の兄バジャサや母親に申し訳ない気持ちになった。
ナイリアールでずっと行動を共にしていれば見張っていられたかもしれないが、リチェリンが拐かされたと知れば彼の選ぶ道は決まっていた。だが一概に彼のせいとも言えない。そもそも彼が同行しなくたって彼女はナイリアール行を思いとどまらず、もしかしたら途上で何かしら悲劇的な結末を迎えたかもしれないのだ。
しかし実際には彼が同行し、少女を放っておいた。気が咎めるのもまた当然だ。
彼女の捜索は依頼してあり、自分でも街をうろついてみたが、容易に見つかるものでもない。もしかしたら橋上市場に帰っているのかもしれない。そうであればいい、と思うしかなかった。
(橋上市場でもやっぱり、「ハサレック様が悪人のはずはない」という論調になっているんだろうか)
彼らの知っていた〈青銀の騎士〉は、確かに悪人ではなかった。たとえ心の内にどんな思いを秘めていたとしても、それを隠すことができていた。しかし、人は変わるのだ。
(ましてや、悪魔に見込まれたなら)
ぎゅっとオルフィは胸を押さえた。国王を殺してでも村を守ろうとしたこと、後悔はしていない。邪魔をするならば――もちろん、したはずだ――ファローだって倒さなくてはならなかった。
(だが……)
ふっと何かが脳裏に浮かんだ。
それはあの当時、一度も考えなかったこと。
(どうして俺は、ファローが王の近くにいるときに、決行したのか?)
(どうして、あいつがいないときを見計らうくらいのことをしなかった?)
すうっと血の気の引く思いがした。
「おい、悪かったって」
シレキが言った。
「ほんと、ジョリス様のことになると反応が顕著だな、お前は」
男は嘆息した。
「騎士様は大丈夫だって。時間はかかるが、必ず回復される」
「えっ……あ、ああ、そうだな。うん」
そうだ、とオルフィは意味もなく繰り返した。
「……橋上市場」
それから彼は呟いた。
「何?」
「あ、いや」
何でもないと彼は手を振った。
(橋上市場の人たちはハサレックに恩義を覚えてる。まさか一丸となってあいつをかばうようなことはないとしても)
(なかには、冤罪と信じる人間もいるだろう)
(ましてや……もしもハサレックに直接会って、罪をかぶせられているとでも言われたら)
自分がジョリスを信じたのは正しかった。しかし、シレキの言う通り。ハサレックに傾倒する人間であればやはり彼を信じ、触れが間違いであると考えることは有り得る。そしてもしハサレックが直接「あれは誤解だ」とか「冤罪だ」とか真摯に説けば、やっぱりと得心するだろう。信じる人物が愚かだとは言えない。殊に、オルフィにはとても。
(様子を見に行ってみようか)
(マレサが戻っていなかったら、バジャサには話しづらいけど)
(でも……)
彼がそんなことを考えていたときだった。ふと扉の外が騒がしくなった。
「うん、どうした?」
シレキやキンロップも気づいた。
「何かあったのか」
キンロップが片眉を上げたとき、扉が叩かれもせずに開けられた。そんなことができる人物は数少ない。
「殿下」
レヴラールの姿に祭司長は立ち上がった。シレキとオルフィも同じようにする。
「ああ……お前たちもいたのか」
王子は少し戸惑ったようだった。
「すまないが、キンロップに至急の用がある。外してくれ」
「俺たちが聞いちゃまずい話か?」
オルフィはすぐさま従うことはせず、まず問うた。
「そうだと言ってることは判ってる。でももう一度考えてくれ。俺はあんたの『臣下』って訳じゃないが、この国のためにできることをしようとしてる」
「……何か知っているのか?」
不審そうにレヴラールは尋ねた。
「いま伝えにきてる話を? そういう意味なら、何も知らないさ。ただ、王子殿下が泡を食って祭司長……いま現在いちばんの相談者のところに駆けてくるなんざ、よほどの緊急事態だと思う訳だ」
呼び出す時間も惜しんだ。そう取れる。
「……そうだな。いいだろう。ことと次第によっては貴殿の左腕にあるものや、シレキ殿に何とかラバンネル殿の助力を仰いでもらうことも――いや」
レヴラールは首を振った。
「そこまでのことになるとは、限らんが」
「何ごとです」
キンロップが改めて言った。レヴラールは息を吐いた。ため息と言うよりは、気持ちを落ち着かせようとするかのようだった。
「カーセスタだ」
たったいままで話をしていた国の名に、彼らは目をしばたたいた。
「南から報告があった。サリアサの谷の向こうに、カーセスタの兵が集結しているとのことだ」
「何……」
「まさか、ハサレックが」
「判らない」
王子は首を振った。
「仮にハサレックがカーセスタに逃げ延びて迎えられたとして、カーセスタがこのような真似をする理由があるか?」
「『いまナイリアンではカーセスタ侵略に向けて準備が進められている』なんて吹き込まれたらどうですかね? いや、何の根拠もない推測ですが」
シレキが言った。レヴラールは顔をしかめた。
「いかに騎士だった者の言葉であろうと、何の確認もなしにことを進めるとは思えない。誤りであれば逆にこちらを刺激することになるのだから」
「まずは使者、或いは密偵を送るというのが常套でしょうが……」
考えながら祭司長は言った。
「軍団長は、宣戦布告と同時に攻め込まれることを警戒している。こちらも南に兵を集めるべきだと」
「馬鹿なことを。そのようなことをすれば開戦を早めるだけだ。防げるものも防げない」
「しかし、父上が伏せっていることも、宮廷魔術師と〈青銀の騎士〉が謀反を起こしたことも知られているのだぞ。ジョリスの件も、誤報が正されたにもかかわらず〈白光の騎士〉の姿が見られないことに不信感を覚える者もいる。もとより、本当にハサレックがカーセスタについたのであれば、ジョリスが弱っていることも知られている」
もしも戦になれば、国王、上位の騎士ふたり、宮廷魔術師、どの存在も重要だ。国民や兵士の士気にも関われば、騎士や魔術師は大きな戦力でもある。それらが欠けたところを狙われたとすれば。
「判りませんな。カーセスタの狙いを見極めずに行動を起こすのは危険です」
キンロップは慎重だった。
「だが万一にも向こうに戦の意志があれば、使者の無事は保証できない」
王子は渋面を作った。
「密偵は?」
オルフィは言った。
「カーセスタにも、動向を探ってる人間はいるんだろう?」




