14 まさか、あいつなのか
「俺は……あの村に災いが起きないようにしたかった。いや、そうしたつもりだった。だがそのときまで俺の考えていた災いとは違うものが、村に降りかかった」
ありもしない謀反の容疑で人々が投獄、または虐殺されることを防いだ。それは確かだ。国王の死後は大わらわで、王とともにその企みを進めていた宮廷魔術師や祭司長もそれどころではなかったと言おうか、機嫌を取る相手が変わったのだから計画を再始動する意味もなかった。
そう、村に兵士が攻め入る危険はなくなっていた。
その代わり。
「火事が、起きた」
「あ?」
「もちろん、俺が火をつけた訳じゃない。だが、俺の招いたものが火をつけた」
「……あ?」
「ごめん、判らないよな。俺も巧く言えなくて」
巧く言えないのは隠していることがあるからだ。もう一歩踏み込んで悪魔の話をすれば、シレキならば知識で理解はしてくれるだろうが。
「俺は彼ら……アバスターとラバンネルの力を借りて、それを何とか押し返そうとした。彼らはきちんとその役目を果たしたけど、俺がたぶん、しくじったんだろう。よく覚えてないんだが」
たぶん、と彼は繰り返した。
「そのあとで約十年の空白がある。それが何を意味するのか、やっぱり俺には判らない。でも俺は気づけばアイーグ村で、料理人ウォルフットの息子として育てられてたんだ」
「ううむ」
シレキはうなった。
「その料理人ってのが、いまの親父さんか」
「ああ」
彼はうなずいた。
「じゃあ、つまり、お前さんと親父さんの間には」
「そうだな。血のつながりはないってことになる」
ウォルフットが母親の話をしなかったのも当然だ。「オルフィ」に母はいなかったのだから。
どうしてウォルフットが彼を育てたのか、どうして拾い子だということを少しも洩らさなかったのか、その辺りのことは全く判らない。帰ったら話を聞いてみたいが――話してくれるものかも、帰れるものかも、判らなかった。
「前にも言ったが、手紙なんか書いてるか?」
少々意外な言葉がきた。驚きながらオルフィは手を振る。
「要らないよ。あの人は俺の心配なんかしてない」
「その言い方はないだろう」
少し叱るようにシレキは言ってから、顔をしかめた。
「ああ、悪い。そういうんじゃなくて……その」
彼は言葉を探した。
「子供の頃はともかく、成人してからは『大人同士』として接してきたんだ。それでよかったと思ってる」
「お前」
シレキはしかめ面のまま続けた。
「もし、血のつながりがないことを気にしてるんだったら」
「そういうんじゃないよ。どんな事情があったにせよ俺を拾って実の子のように育ててくれた人だ。感謝してる」
「それなら」
「書くことが、ないんだよ」
オルフィはシレキの言葉を遮った。
「だいたい、何を書けってんだ?」
彼は苦笑した。
「王家の宝を盗みましたとか、お尋ね者になりそうでしたがいまは平気で、新しい『裏切りの騎士』と戦うために身体を鍛えています、とか?」
「自分は元気だ、だけでもいいだろうが」
シレキも苦笑いを浮かべる。
「反抗期でもなけりゃ頑なに拒否する理由はないだろ。書いてやれよ」
「ん……」
オルフィは曖昧にうなずくにとどめた。
「ま、そのことはいいさ」
ぱん、とシレキは手を打ち合わせた。
「さっきの話だ。湖の」
ううむ、と彼はまたうなった。
「確か、こう言ったな?『押し返そうとした』と」
「ああ」
言った、とオルフィはうなずいた。
「押し返すってのは、火を?」
「普通の火とは違ったんだ。水をかけて消えるようなものじゃなかった」
「そりゃ普通じゃない。魔術か……でも魔術ならラバンネル術師が対抗できるよな。彼の全盛期に彼より強力な魔術師がいたとはちょっと考えづらい」
「ああ。魔術師じゃない」
「判ってんのか? それじゃ」
「これ以上は勘弁してくれ」
「悪魔」の一語はヴィレドーンの正体を顕すことに通じる。それはまだ避けたかった。
シレキが彼を売るようなことはないと思うものの、話を広めるのはまだ抵抗があった。
「そうか。じゃあ聞かんでおこう」
あっさりとシレキは引いた。
「ま、とにかく波瀾万丈そうだな。それは判った」
簡単にそれで片づけてくれるシレキの大雑把なところが、いまは有難かった。
「だが、お前はオルフィだ。それを忘れるなよ」
「忘れないさ」
「こら。簡単に言うな」
ここには叱責がきた。
「簡単なことなら、ラバンネル術師が深刻な調子で忠告してきたりするもんか」
「……判った。気をつける」
有難うとオルフィは言った。俺に言われてもな、とシレキは手を振った。
「それと、悪いな」
「あん?」
何を謝られたものかぴんとこなかったと見え、シレキは首をかしげた。
「用事があってきたんだろ? 時間を取らせた」
「ああ、祭司長に話にな。でもどうせ約束の時間まではまだあるんだ」
「会のことで?」
「もちろん」
シレキはうなずいた。
「ちいっと、面白いことになってきたぞ。いや、面白くないが」
「どっちだよ」
「興味深いが、心楽しい訳じゃないってことだ」
「……どういうことだ?」
「あー、一応、祭司長に話してから、な」
少し申し訳なさそうに男は言った。
「あんたは言うなれば祭司長に雇われてるみたいなもんだろ。口が軽くちゃ信用できない。それで正解さ」
オルフィは言ってからにやりとする。
「一見したところでは、軽そうに見えるのにな」
「こいつ」
シレキはオルフィの頭をはたこうとしたが、彼は簡単にそれを避けた。
「何ならお前さんも一緒に祭司長のところに行くか?」
「へっ? それっておかしくないか?」
勝手に話せないという主義と相反しないかとオルフィは問うた。
「いや別に。お前になら話してもいいということになるだろう。ただ、祭司長を差しおいて先には言えんってだけだ」
「成程」
オルフィ個人としてはキンロップに信頼されるようなことを何もしてないが、レヴラールの決断や、おそらくはイゼフの口添えもあって、気難しい祭司長もオルフィを籠手の主、つまり重大な関係者と認めている。だからこそ、ミュロンを紹介して受け入れられたのだろう。
かつての咎人であることを黙ったままというのは気が引けるが、少なくともいま現在ナイリアール王家に徒なすつもりなどはない。悔恨も償いも、この件が済んでからと決めた通りだ。
「じゃ、つき合わせてもら――」
「おっ?」
不意にシレキがどこか違うところを見た。
「何だよ」
「見ろ。ほら、あれ」
男は中庭から見える王城の回廊を指した。
「ラスピーシュ殿下だ」
「ふうん?」
別にラスピーシュ王子がナイリアール王城の回廊を歩いていても不思議なことはないだろうが、釣られるようにオルフィはそちらを見た。
「女連れか。遠くてよく判らんが、姫様のようにゃ見えんな。侍女にでも手をつけたとか」
わははと笑ってシレキが不謹慎なことを言う間、オルフィは口を開けていた。
「リ……リチェリン」
「何? あれは彼女か?」
オルフィの呟きにシレキは目を凝らした。
「お前、よく見えるな」
「何で……」
視力の善し悪しではない。つき合いの長い彼には背格好だけで判る。あれはリチェリンだ。
(さっき、ピニアさんの用事があるから帰るって)
(あれからもう、だいぶ経ってる)
(また、きたのか?)
(それともあれからずっと……)
ずっとラスピーシュと一緒にいたのか。
ぎゅん、と胸が痛くなった。
(もしかしたらリチェリンはヒューデアに惹かれてるんじゃないかって、そんなふうにも思ったけど)
(まさか、あいつなのか?)
それはあまりにも的外れな考えであったが、彼が見たものだけで判断すると有り得てしまう推測だった。
(最初からあいつのこと、悪い人じゃないとかかばってたし)
(王子だからって態度の変わるリチェリンじゃないけど)
(少なくとも身元がこれ以上ないほど確かだと思えば)
馬鹿げている考えは、しかしオルフィには可能性のあることに思えた。
(だっ、駄目だろ! あいつは!)
(身分も違うし、絶対女好きだし、リチェリンが泣かされることは目に見えてる)
(それならヒューデアの方がまだまし)
すっくとオルフィは立ち上がった。
「おい?」
「先に行っててくれ」
「何?」
「俺はちょっと、行ってくる」
「どこに」
「あそこ」
オルフィは回廊を指差すと、ぽかんとするシレキをあとにして中庭をあとにした。




