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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第二部 第6話 静かなる魔手 第1章

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12 まるで騎士のよう

 人のいなくなった中庭で、オルフィはひとり、昼食時に使った卓に頬杖を突いていた。

 ぼんやりとつい先ほどのことを思い出す。

 カァン、と剣が弾き飛ばされたときは、両者ともが驚いた顔をしたものだ。

『――どうした』

「どうした、オルフィ」

 〈赤銅の騎士〉サレーヒは首をかしげた。

「いまのはそんなに強い打ち込みでもなかったが……疲れたか?」

「あ、いえ、ちょっとしくじりました。はは」

 オルフィは笑ってごまかしたが、騎士は笑わなかった。

「実戦であれば無論、疲れたから待ってくれだの、調子が悪いからまた今度になどと言う訳にはいかないだろう。訓練でも、休みを挟まず限界まで挑戦することはある。自分の底力を知ることにもなるし、そうすることで実際に力がつくこともあるからだ。だが」

「いまはその段階じゃない。判ってるつもりです」

 片手を上げてオルフィは言った。

「すみません」

 リチェリンの様子が気にかかったのだ、とはちょっと言いづらかった。

(何だか変だったよな)

(俺が変なこと言っちまったのが悪かったのかな)

 そんなことを考えていた。

(あんときゃ何だかさらっと言ってちまって)

(メルエラのことまで)

 ヴィレドーンがかすかな思慕を抱いた、エクールの神子。リチェリンもまた神子であるなら、オルフィも同じことをしているかのようだ。

 それにどこか、抵抗を覚えた。

 これは「ヴィレドーン」への抵抗とは違う。「無意識にメルエラを重ねたためにリチェリンに惹かれたのではないか」と思うことへの抵抗だ。

 神子。神女見習い。幼なじみ。少しだけ年上。彼女たちは符号が合いすぎている。意味のない仮定ではあるが、もしいまリチェリンと初めて出会えばメルエラを思い出さずにはいられないだろう。その結果として惚れるかどうかは判らない。だが惚れるも惚れないも、メルエラの影響があってだろう。

 だがそうではなかった、と彼は信じたいのだ。

(でも何だか、気になる)

(俺と目を合わせない感じだったし)

(……ヒューデアには微笑みかけてたけど)

 思い出して彼は不安になった。

(まさか、俺を心配してじゃなくて、ヒューデアを見にきたとかってことは)

(は、はは、何を言ってるんだ俺は)

 彼は否定しようとした。

(確かにあいつ、愛想は悪くても顔はそこそこいいし、お城の侍女なんかも見物にきてるけど)

(俺がエクール湖まで行って戻ってくる間、リチェリンとは行動を共にしてたみたいだけど)

(まさか)

(いやいや)

(考えすぎ、だ)

「謝ることはない」

 オルフィがうつむいたのをどう思ってか、少し困ったようにサレーヒは返した。

「貴殿は……驚くべき技術を持っている。ヒューデア殿もだが」

「ヒューデアは実力ですが、俺のは籠手の力ですよ」

 手を振ってオルフィは言った。

(わざとらしく、なかったよな)

 自問するがよく判らなかった。

(演技は特に得意じゃなかったしなあ)

 お前はすぐ顔に出る、とファローに笑われたこともあった。

(ジョリス様だけじゃなくて、サレーヒ様もちょっと似てるとこあるな)

(慎重で、面倒見のいいとこなんか)

 ファロー・サンディット。彼が殺した友人に。

(……よそう、ファローのことを考えるのは)

(俺にはあいつを懐かしく思い出す資格なんかないし、いまは、自責の念に駆られてるときでもない)

「オルフィ?」

「大丈夫。さっきのは手が滑っただけです。まだやれる」

「本当だな?」

「はい」

 サレーヒの目を見て彼は答えた。少しだけ沈黙してから〈赤銅の騎士〉は首を振った。

「やはり、また次回としよう」

「大丈夫ですって」

「心の乱れも、抑えることを学ぶのだな」

「う」

 気づかれたようだった。反論の余地がない。

「それにしても貴殿は奇妙な男だ」

 彼をじっと見たままサレーヒは呟くように言った。

「剣技や体術は籠手の力によるものだと言うが、私は時折、以前から貴殿と肩を並べて鍛錬をしていたような気分になる」

「え?」

「おかしな言い方になるが、貴殿のなかにどことなく『ナイリアンの騎士の気配』とでも言うものを感じるのだ」

「え……」

 ぎくりとした。

(鋭いな)

(それとも俺が何かうっかりしたか?)

 サレーヒが「まるで騎士のようだ」と思いそうな言動をしただろうか。

(いや、びびることはない。まさかヴィレドーンだと思われるはずもないんだから)

「光栄です」

 彼は言葉を探し、何とかそう言った。嘘ではない。ほかでもないナイリアンの騎士からそんなふうに言われるなど。

「やっぱり、ナイリアンに生まれ育った者として、騎士様には憧れてますから」

 追従のつもりはない。事実だ。オルフィはもとより、ヴィレドーンだって先達に憧れてその道を目指したのだ。

 あんな結果になるとは、幼い日には夢にも思わなかったが。

(……ええい、よせって)

 ぼんやりと漂いがちになった思いと先ほどのやり取りを振り払うように、彼は頭を振った。

(いまは、いまの俺が強くなること。ハサレックと対峙して、余裕で勝つ……とまでは難しいが、少なくとも互角に戦えるだけの実力と筋力、体力を取り戻すことだけ考えるんだ)

 瞬発的な不意打ちでは勝てない。戦いが長引いても、それこそ疲労のせいで敗れるなどということのないように。

 ハサレック・ディアの行方も狙いも、いまだ判らぬままだ。

 最後の捨て台詞がただの負け惜しみであるならいい。だが誰もそうは思えなかったからこそ、何とかあの男の逃げた先を探ろうとしている。

 イゼフが聞いてきた〈ドミナエ会〉の内紛についてはオルフィらにも伝わっていた。もっともイゼフも何度も出向く訳にはいかない。コズディム神官としての仕事もあるし、会の方でも繰り返し「脱落者」と語り合うつもりはなかったからだ。

 キンロップやレヴラールの方でもそれは考え、誰かしら神殿や王城と深く関わらない人物に間に立ってもらうべきとの話になった。そして関係者のなかで当てはまり、巧いことこなせそうであるのはシレキだった。

 シレキは魔力を持つが魔術師ではなく――魔術師協会はそれだけで「魔術師」と認定するが、当人の気の持ちようとしてはそうではないとのことだ――、もちろん黒いローブも着ていないから、見た目にはごく普通の中年男だ。

 魔術師には魔術師が判るが、実は神官にも判るのだと言う。力の「質」は異なるものの、修行の結果として神力と呼ばれる力を得た神官には、やはり明らかであるのだとか。

 しかしいまの〈ドミナエ会〉に神力を持つ者はおらず――イゼフが見ればそれは「明らか」であった――、だからこそ彼らはコルシェントを頼る、或いは使うことを考えたのであろうが、シレキの魔力を見て取ることもない。

 もっとも、何か嘘をついたり騙したりしている訳ではないようだった。コルシェントの件は公表されたから、「王城から調査を頼まれている」とし、「コルシェントとの密約が何であろうと〈ドミナエ会〉へのお咎めはない」として――いくらか歯がゆいところもあったが、話を聞き出すにはそうするしかなかった――、コルシェントのみならずハサレックのことも、シレキは少しずつ聞き出してきていた。

 コルシェントについては、だいたい判った。神殿に火つけをすることで会の勢力を喧伝する、しかし実際にはコルシェント自身が行うので会の人間が捕らわれることはないとしてきたと言う。

 〈ドミナエ会〉の名前を使って首都にも不穏な影を落とすのが元宮廷魔術師の目論見であったと思われるが、シレキの推測では、「あいつは会を利用して捨てるつもりだった」。即ち、結局「似非神官」たちを犯人として挙げ、治安を取り戻す形を作るつもりだったのだろう、と。

 問題なのはハサレックの方だ。

 彼は「自分は〈ドミナエ会〉を相手に戦った」と主張していた。しかし会の方では、ハサレック・ディアと争ったことはないと答えている。

 もっともこれは、大した問題ではないかもしれない。ハサレックは「〈青銀の騎士〉は死んだ」ということにしたまま暗躍していたのだから、会は彼らの「邪魔」をしたのがハサレックであることを把握していないだけ、とも考えられる。

 ただ、気にかかる。自らの生存を隠し、騎士の名誉も捨てて平和を守ろうと戦った男が、何故敵に回ったのか。ジョリスへの嫉妬、いや、戦いたいという欲求のためだと言ったが、それだけなのか。

「よう、オルフィ」

 サレーヒが去ったあと、ぼんやりととりとめもなくいろいろなことを考えていると、そのシレキが姿を見せた。

「あ、おっさん。何だ、珍しいな、こんなとこに」

「様子を見にきたんだ」

「何だよ、おっさんまで」

「うん?」

「いや、別に」

 何でもないと彼は手を振った。

「今日の分は済んだのか?」

「まあね。サレーヒ様だって長々と時間は取れないし、ヒューデアも用があるとか言って」

 ヒューデアは用事の内容を語らず、彼がどこへ行ったかオルフィは知らずにいた。

「わはは、お前さんひとりがへばってるって訳か」

 シレキは大いに笑った。

「違えよ。すぐ次にやらなきゃならないことがないだけさ」

「怒るな怒るな。ただの軽口だ」

「別に怒っちゃいないけど」

 オルフィは苦笑して、それからすっと笑みを消した。

「ちょうどいいや。あんたと話したいことがあったんだ」

「うん? 何だ?」

 シレキは首をかしげた。

「あんた……」

 若者は少しだけ間を置いた。

「どこまで、知ってる?」


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