09 宛先変更
「じゃ、じゃあ私、行くね」
「えっ? もう?」
オルフィは驚いた顔をした。
「ちょっと食べてったら? ほら、こっちのパイ包み。ラシアッドの名物なんだってさ。美味いよ?」
「様子、見にきた、だけだから」
彼女は繰り返した。
「それは?」
と、尋ねたのはヒューデアだった。
「何か持ってきたのではないのか?」
「いっ、いえ」
思わずリチェリンは籠を後ろに隠した。
「ち、違います。これは、ピニアさんのお使いで、これからちょっと、届けないと」
口から出たのは真っ赤な出鱈目だった。
「そっか。ピニアさんのお使いじゃ、リチェリンが『きちんとしなきゃ』って思うのも仕方ないな」
少し残念そうに、オルフィ。
「わざわざ見にきてくれて有難うな」
「うん……」
何とか、再び笑みを浮かべる。
「頑張ってね、オルフィ」
「ああ」
「ヒューデアさんも、よろしくお願いします」
「承知した」
銀髪の剣士に感謝の笑みを向けたとき、オルフィは少し妙な顔をした。
「ウーリナ様、ご機嫌よう」
だが彼女は王女殿下に相応しい挨拶を思い出そうとしていたせいで、それには気づかなかった。
(はあ……)
きた道を引き返しながら、リチェリンはため息をついた。
(余計なことをしちゃったわ)
あの昼食に比べたら、籠の中身があまりにも貧相に思える。
(何だか、馬鹿みたい)
心が沈んだ。
(私、何の役にも、立たないみたい)
この弁当をどうしようか、一人前は自分で食べるにしても、もうひとり分は。
「おお、これは麗しの姫君ではないか」
とぼとぼと裏門に向かう彼女の背後から覚えのある声がかかった。こんなことを言うのはひとりしかいない。
「ラスピーさん」
苦笑を浮かべてリチェリンは振り返った。
「やあ、リチェリン君。どうしたんだい? オルフィ君たちのいる場所なら、逆方向だが」
「こんにちは。ちょうどいま様子を見てきて、帰るところなんです」
「帰る?」
ラシアッド王子は目をしばたたいた。
「それは、おかしいな」
「はい?」
「だって、彼らに差し入れを持ってきたのでは?」
ぴっと彼は彼女の手の籠を指差した。
「あ、いえ、これは……」
「――ああ、そう言えば今朝方、ウーリナが……」
ウーリナの兄は何かを思い出してはっとしたようだった。
「そうか、成程。それはすまないことをした」
「ちち、違います、これは」
気づかれた、と感じたにもかかわらず、リチェリンは何とかごまかそうとした。
「これは、その……」
「ふむ」
ラスピーシュはぱちんと指を弾いた。
「では宛先変更というのはいかがかな?」
「はい?」
「私がもらおう」
にっこりと彼は言った。
「いえっ、そっ、そんな! ラスピーさんのお口に合うようなものじゃ!」
「これはまたどうして」
「どうしてって、当然……」
「君たちと過ごしていた間、私は無理をして『庶民の食事』を口にしていた訳ではないよ。だいたい、王子だからと言って毎日毎食贅沢をしている訳でもない。何しろラシアッドはナイリアンより貧乏だからね」
はあ、と彼はわざとらしく肩を落とした。くすりとリチェリンは笑った。
「ごめんなさい。有難う。でも本当に、大したものじゃないの。丸麺麭に燻製肉と野菜を挟んだだけの、単純な」
「リチェリン嬢お手製の挟み麺麭とは! ぜひとも味わわせていただきたいね」
「だ、誰が作っても似たようなものになると思いますけれど」
何か過大に期待されているような気分になり、いささか慌ててリチェリンは言った。
「とんでもない。『誰が』作る、ということが非常に重要になることがあるんだ」
真面目な顔でラスピーシュは言った。
「もしや、私が気遣っていると思っているかい? だとしたら間違いだ。私は本当に、その籠の中身がほしいんだよ」
「ラスピーさん……」
そうは言うものの、やはり気遣ってくれているのだろう。リチェリンは笑みを浮かべた。
「有難うございます。それじゃ、あの、どうぞ」
彼女は籠を差し出した。と、その手首を王子が掴む。
「えっ?」
「これだけ渡してさようならというのも寂しい。どうぞ我が部屋へ……生憎と借り部屋だが」
「ええっ!?」
「そんなに驚くことはないだろう。ああ、先だってのようなことが心配なら、侍女でも同席させるから心配は要らない」
「先だって……あっ、いえ、違います、そうじゃなくて」
ラスピーシュが彼女を「襲った」ときのことを言っているのだと気づくと、また慌てて彼女は否定した。
「遠慮をしている? ならば不要と言おう。それに――」
すっと彼は声を低くした。
「実はちょうど、君に話があった」
声に真剣さがにじみ出た。
「話? 私に?」
「そう。ほかでもない、君に」
(もしかして……神子がどうのと言うような)
「リチェリンに」と言うのであればそうしたことが推測された。
「判りました」
こくりと彼女はうなずいた。
「それじゃ、お邪魔します」
「そうこなくては!」
満面の笑みでラスピーシュは彼女から籠を奪うと、左手を軽く曲げて差し出した。
「お手をどうぞ、姫君」
少しだけ躊躇ったあと、リチェリンはぎこちなく、彼の腕に手を添わせた。




