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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第二部 第6話 静かなる魔手 第1章

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05 感情というものは

 混乱した、しかし平和な時間がしばらく流れていった。

 「混乱」というのは主に、王城が発表した「新事実」のために人々が騒がしくしたというようなことだ。

 まずは、ジョリス・オードナーの白光位復活。彼は王家の宝を盗んだのではなく、盗っ人を見つけ、何の連絡もなしに追わざるを得なかったのだということになった。

 当のジョリスは難色を示したが――彼自身は罰を受けるべきだと考えたからだ――こればかりはいかな〈白光の騎士〉の意見も王子を動かすことはできなかった。

 その発表にはいささか無理があった――何の確認もなしに騎士位を剥奪したということになるからだ――ものの、何としてもジョリスには白光位にいてもらわなければならなかった。

 キンロップは王城が失態を認める形になることを憂えた。だが、誰かしら気の毒な犠牲者を作って酷い誤報の責任を負わせるとなどということはレヴラールが認めなかった。そのような真似をすれば、その「誰か」があることないこと悪い噂の根源となることもまた確実だ。

 〈青銀の騎士〉こそが真実に悪党として位を奪われたいま、〈白光の騎士〉の名に影があってはならない。何とか傷の少ない形にと王子と祭司長が話し合った結果にジョリスは反対したが、やはり聞かれなかった。

 つまり、「もうひとりの黒騎士」を退治したのはジョリスであるとなった。

 城内には彼の状態を目にした者も少なからずいるが、決死の戦いの後であれば不自然なことでもない。もとより、彼が黒騎士と刃を合わせて危険な状態に陥ったことは事実だ。

 レヴラールとキンロップは、ジョリスがこの「名誉」を受けるよう、説得せねばならなかった。もっとも彼とて、決定であり命令であれば王家に仕える者としてそれに従うのであるし、「必要なこと」であると理解はしていた。

 この名誉は、不名誉だ。実際には彼は、友人の姿に驚愕したという理由はあっても、黒騎士には敗れたのであるから。

 結局ジョリスは、事実を曲げた名誉を受けるという不名誉を呑んだ。或いは、それを自分への罰と考えたのかもしれなかった。

 ハサレックの処遇については、話し合いが難航した。

 事実をどこまで公表するか。完全に話を捏造してしまうべきとの案も出た。たとえばハサレックこそが黒騎士に敗れ、死したというような。しかしハサレックが死んでいればともかく、生きて逃げ延びている。となれば、〈青銀の騎士〉を善人のままで済ませることは難しい。

 だがやはり、〈青銀の騎士〉が各地で子供を殺して回っていた黒騎士であったとは公表しづらかった。いかに事実とは言え、ハサレック・ディアもまた人々に尊敬されていた騎士だ。ましてや思わぬ生還によって英雄と思われているところである。

 そこで王城は、ハサレックが盗っ人に協力していたということにした。これも十二分にとんでもない話だが、彼が黒騎士であったという事実よりはまし。

「『まだましだ』というのも情けない話だがな」

 少し息を吐いてレヴラールは言った。

「仕方ありません。これ以上話を作ってしまっては、ディアに何かしら優位を与えることになりかねませんから」

 苦い顔でキンロップは答えた。

「悪党と処し、騎士位の剥奪……まるでジョリスの代わりだ。おかしなことを言い立てる者がいなければよいが」

「皆無とはいきませんでしょう。オードナー家に配慮したと言われることは考えられます。侯爵が抗議し、王城が引いたというような噂も立ちましょう」

「何とかならないか」

「こればかりは。噂をするなと禁じる訳にもいきません」

「それは判っているが」

「堂々としていることです。事実ではありませんが、利を追及したための嘘ではない。国と民を守るための判断なのですから」

「うむ……」

「これからはこうしたことも多くなるでしょう。いえ、コルシェントとハサレックのような不埒者が出るというのではなく、心に望まない決断をしなければならないということですが」

「それが国のためであれば、心を曲げることも肯んじる。俺の気持ちなどは二の次だからな」

「――もっとも、あまり本心を偽ってばかりでもただ重くなるばかりですからな。信頼できる者に心を打ち明けるのは悪いことではありません。そのことはお忘れなきよう」

「キンロップ」

 少し驚いた顔を見せてから、レヴラールはにやりとした。

「まるで神官だな?」

「私に懺悔をとは言っておりませんよ」

 もちろん祭司長とて神官であり、レヴラールもそれは判っている。ただキンロップの役割は普通の神官のものとも、神殿長のものとも異なる。信者の告解を聞くようなことはいまではほとんどないはずだった。ふたりのやり取りはその辺りを皮肉った、或いは哀れんだものだ。

「ウーリナ殿下のことは慎重に考えねばならないことは変わりませんが、レヴラール様のお気持ちは傾いておいでのようですな」

「それは……グードが死んだあとのことなのだが」

 そっと哀悼の仕草をしてレヴラールは続けた。

「俺は哀しくて悔しくて情けなくて、頭がどうにかなりそうだった。あのままだったら半刻後には、国を挙げてハサレック・ディアを追え、見つけ次第殺せ、とでも命令を発していたかもしれん。もっとも、ジョリスにとめられただろうが」

 彼は息を吐いた。

「だが、ウーリナに触れられていると、頭が痛むほどの狭窄感は薄れていった。俺が王子として……国王の代行者としてやるべきことへの境界線を冷静に探すことができるようになったのだ」

『私には、できることが少ない。とても口惜しく思うこともあります』

『でも、だからこそ、できることを大事にしたいのです』

 彼女を思い出すと心が温まった。これが恋愛感情であるのかは判らない。だが少なくとも最初のときのように「邪険にもできなくて困る」というようなことはなかった。

「小国とは言え、王女殿下。近い内に王妹殿下となられますが、身分は最上と言っていい」

「身分か」

 王子は呟いた。

「エルーシアのことを思い出す」

 それは病で世を去った、彼の妻だった。

「エルーシアは身分や年齢、容姿やその他諸々、『第一王子の妃に相応しい条件』に適しているという理由で俺に嫁いだ。それまで世間話以上のことを話したこともなかったし、愛情などは持っていなかった」

 務めとして娶った。その後も、世間話以上のことは話さなかった。ろくに打ち解けることもないまま、彼女は病を得て死んだ。

「ウーリナ殿と話していると、彼女のことを思い出すのだ。無論、ふたりを比べるというような意味ではない。比べるとしたらそれは俺自身だ。俺はエルーシアに、少しも優しくしなかった。所詮、政略結婚で、義務として最低限接していけばそれでいいと」

「殿下」

 キンロップは少し驚いた顔をした。

「仕方のないことです。本来であれば、時間が解決するはずだった。エルーシア様が身籠もられるようなことになれば、殿下のお気持ちも次第に変わったでしょう。だが、時間がなかった。運が悪かっただけです。エルーシア様にも、殿下にも」

「……俺は、彼女の死を少しも哀しいとは思えなかった。それどころか、彼女の葬礼や俺自身の次の婚礼を考え、煩わしい儀式を増やしてくれたものだ、などと思ったくらいだ」

 それはほとんど懺悔と言ってよかった。キンロップは少し迷ったようだったが、黙って聞いた。

「俺は自分のことしか考えていなかった。いや、いまでもだ。グードを失って涙したのも、自分の理解者がいなくなってしまったという自己への哀しみではなかったか。そう思うと、俺は」

「もちろん、人を失って哀しいのは自分です」

 祭司長はそこには言葉を挟んだ。

「感情というものは『己』から発するのだから当然だ。『人の死』を自分との関わりなく、ただの『死』として感じ取ることはできません。全くの他人であっても、自分の何かになぞらえて感情を抱く。たとえ遠く他大陸の見も知らぬ人間の死を哀しむような心の持ち主であっても、身近な親しい人間のそれと同じだけ哀しむことはできない。真の博愛主義者なら可能やもしれませんが、口だけではなくそうできる者など、まずいません」

 博愛を信条とする神官たちの上に立つ者は、そう言って肩をすくめた。

「生死に限らない、愛情とて発生は利己的だ。どんな形であれ、自分に都合がいいから愛するのです」

「そう、だろうか」

「ええ、そうですとも。ですが愛情ならばそれでよい。きっかけが何であろうと、人を愛すること自体は尊いものだと言いましょう。その感情に付随して出てくる様々な怖れや妬みを乗り越えるやり方については、いろいろとありますが」

「怖れ……そうだな、俺は怖れている」

 レヴラールは少し口の端を上げた。

「妻という形に限らない。友でも……忠臣でも、俺は傍らに置いてよいものかと」


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