03 何と言ってくれようと
その小さな部屋は薄暗く、涼しいを通り越して寒いくらいだった。
神殿の階段をずいぶん深く降りた先にある、命と魂をなくした肉体を棺に入れて安置しておく場所。
オルフィがやってきたのは初めてだった。いや、普段はここには神官や専門の汚れ屋以外は入らない。このときはイゼフが特別に取り計らってくれた。
ほかに誰もいない場所で話すということも彼らには大事だったからだ。
「――申し訳ありません」
彼は深々と頭を下げた。
「俺がついて、いながら」
「サクレン殿の話では、お前さんはついてなかったそうじゃないか? 離れたところにいる相手を御するのは大導師ラバンネルでも困難じゃろうよ」
「そのことも含めて、です。カナトから離れたのは間違いだった。今更ですが……」
「そうじゃな。今更だ。繰り言はよさんか」
「……申し訳」
「謝罪も要らん。お前さんのせいじゃないことはお前さん以上に充分判っとる」
カナトの師匠はもうよせと手を振った。
「こんな形でまたお会いすることになるとは、思いませんでした」
「そうじゃな。わしもだ。だが仕方ない。わしもお前も未来は読めん」
サーマラ村からやってきた老人は、あのときオルフィが見たよりも年を取ったように感じられた。それは魔術による慣れない移動のためか、年若い弟子の早すぎる悲報のためなのか。
「失礼を承知で尋ねたいんですが」
ゆっくりとオルフィは言った。
「何でもきなさい」
ミュロンは手招いた。
「カナトと〈はじまりの湖〉エクール湖、或いはその湖神エク=ヴーの間にはどんな関わりがありますか」
「……何じゃと?」
老人は難解な呪文を耳にしたかのように顔をしかめた。
「〈はじまりの湖〉エクール湖。湖神エク=ヴー」
オルフィは繰り返した。
「カナトは、どんな関わりが? サクレン導師はご存知なかった。カナトの出身の……或いは出身とされる村も、畔の村やキエヴのような独特の信仰を持ってはいない。少なくとも目立たない。彼の両親や先祖がエクールの出身だという可能性もあるとは思いますが」
「いったい何の話だ?」
ミュロンは目をぱちぱちとさせた。
「ごまかさないで下さい」
まっすぐにオルフィは老人を見た。
「あなたは、何か知っていた。だからカナトにエク=ヴーの守りを持たせた。違いますか」
「何の話だ」
判らないと言うようにミュロンは繰り返し、眉をひそめた。
「これですよ」
オルフィは鋳鉄製の守り符を取り出した。
「タルー神父様はこれをあなたに渡したかった。持っていた理由は判らないし、渡そうとした理由も推測でしかないですが、俺はこう考えた。神父様は黒騎士がエク=ヴーの神子を探していることに気づいて、あなたに、それともカナトに警告をしたかった。彼はカナトが何者であるのか知っていたんだと思います」
「何者か、だと? こやつが何者だったと言うんじゃ」
「エク=ヴーの神子」
オルフィは言った。
「彼の背中にしるしがあります」
「しるしじゃと?」
老人はぽかんとした。
「待て待て。わしには何の話だかさっぱり」
「知らないと言うんですか? なら何故、カナトにこの守りを?」
「そりゃ、お前さん」
ミュロンは呆れたような顔をした。
「自分が持ってきたものを知らんのかね?」
「……は?」
そこでオルフィもぽかんと口を開けた。
「俺が持ってきた? いや、神父様に頼まれただけで」
「その話とは別じゃ」
「へ?」
「裏を返してみんしゃい」
口の端を上げてミュロンは言った。目をぱちくりさせてオルフィは言われた通りにして、更にまばたきを繰り返した。
「これは……」
「お前さんが三年前、ナイリアールから運んできたものじゃ。対のように見えたのでな、それでカナトにやったんじゃが、こうして一枚に合わさるものだったんじゃの」
どちらが表でどちらが裏かは明瞭ではなかったが、仮に湖神の似姿を表とするなら、合わさった裏面の紋様はかつてオルフィがカナトに届けた首飾りのものにほかならなかった。
「でも……カナトはそこに気づいてなかった、みたいだけど……」
「そのようじゃな。明敏なカナトにしては珍しいことじゃったが」
老人はあごを撫でた。
「気づくべきときがくれば気づく。こんなのはサクレン殿が言いそうなことじゃがな」
「気づくべきときが」
それはいつだったのか。オルフィと分かれてから、あの強烈な再会をするまでの間にカナトは気づき、ふたつの守り符を合わせた。そして守り符は完全なものとなり――。
「でも、これは、カナトを守らなかった」
ふっと言葉が出た。
「本当にカナトが神子で、これがエク=ヴーの守りなら、どうしてカナトを守らなかったんだ」
何もミュロンに問うたのではなかったが、老人はしかめ面を見せた。
「わしには何とも言えんが……」
「ああ、いや、すみません」
彼は謝罪した。
「エク=ヴーのせいにする気はない。あなたや、ほかの誰が何と言ってくれようと、俺のせいだと思ってます」
「自分を責めるのはよせ」
「……俺には、カナトを守れるだけの力があった。なのにそのことに気づかず、彼を死なせたんです。自分を責めると言うんじゃない。事実なんだ」
「責めとるよ」
ミュロンは嘆息した。
「自責の念を覚えるな、と言うのも無理な話じゃろう。だが憤りで視野を狭くするような馬鹿げた真似だけはするな。いろいろな角度から考えるんじゃ」
「……また言われたな」
思い出してオルフィは苦笑いのような顔を見せた。
「おう。何度でも言ってやろう」
ミュロンは胸を張った。
「どんな戦い――剣を使うようなものに限らん、勝負ごとでも自分だけの誓いを果たすのでも、戦うときにいちばん阿呆らしいのは自滅だ。戦う前に、己に敗れる。阿呆らしい。相手は何もせずに勝つ訳だ」
阿呆らしい、とミュロンは三度言った。
「エクール湖、〈はじまりの湖〉か」
ううむ、とミュロンは両腕を組んだ。
「正直、どういう場所なのか判らん。どういう力を持つのか」
「エク=ヴーやアミツ、ほかにもあるのかもしれませんが、あれらは同じものを指すのでしょうか」
「いや、それは違うはずじゃ」
老人は首を振った。
「こう言えばキエヴ族は気に入らなかろうが、アミツはエク=ヴーの使役する精霊と考えるのが妥当じゃろうな」
「詳しいんですね」
「何、わしを誰だと思っとる」
片眉を上げてミュロンは言い、それから冗談だと示すように手を振った。
「知識ばかりあっても役に立たん」
「ないよりはいいでしょう」
「は、違いない。これは一本取られたようじゃの」
「い、いやいや」
こほん、とオルフィは咳払いをした。




