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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
幕間 運命の日

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08 君の問題だろ?

 ほのめかす悪魔に、三人の「人間」たちは警戒した。

 もっとも、その警戒にはそれぞれの違いがあった。

 アバスターのそれは、見た目にも判りやすいと言えるかもしれない。彼は軽く足を開いて剣を抜き、かまえた。

 ラバンネルの場合は、やはり魔術。錫製の長杖を手にしているために、いくらか「かまえる」と言った雰囲気も見て取れる。

 そして、ヴィレドーン。

 彼の警戒は、ごく普通の「戦い」に対するものとは違った。

 そうなのだ。

 あのとき。ファローを斬り、国王を殺害したあとのこと。

 彼の身の上に起きたのは、それまでの波瀾万丈とはまた違う形の驚愕、そして衝撃であった。

「ヴィレドーン」

 ラバンネルが彼を呼ぶ。

「考えて下さい。私が、アバスターが話したことを。理解や同意をしてほしいと言うのではない。ただ、考えて」

「契約なんてクソ食らえだ」

 アバスターが悪態をつく。

「お前が口走った、お前個人の意地を見せてみろ、ヴィレドーン」

「く……」

 彼は両の拳を握って悪魔を睨みつけた。

「そんな顔をして。はは、僕を斬るかい? それは人間には不可能だって、教えてあげたと思うけど?」

「やってみなくちゃ判らない」

「魔術師の手を借りれば可能だとでも? いいとも、やってごらん」

 ニイロドスは両手を拡げた。

「君たちふたりの剣と、それから大導師殿の魔術で。僕を殺してごらん。『ニンゲン』にはできないことを理解させてあげるから。ただし」

 くすりとニイロドスは笑った。

「悪魔に手を出した代償は、引き受けてもらうけれど」

「脅迫のつもりか?」

 アバスターは剣の切っ先を揺らし、鼻を鳴らした。

「それにしちゃ効果がないな。むしろやってみたくなるくらいだ」

「いまのは脅迫よりもむしろ挑発で、あなたは簡単にそれに乗ってるみたいですよ」

 ラバンネルが片眉を上げて指摘した。

「だって、面白そうじゃないか」

「『だって』じゃないでしょう」

本当に(・・・)悪魔と()るってんなら、いったい何が起きるのかね? 王城での件だって十二分に仰天したが」

「試しにやってみるのは望まない、と言っていたじゃありませんか」

「ありゃ契約とやらの話だろう。戦いのことじゃない」

「あれ? 悪魔との契約に興味がある?」

 くすりとニイロドスが笑った。

「大歓迎だよ。君なら。いつでも」

「ご冗談」

 アバスターは唇を歪めた。

「さあ、お喋りはその辺までにするんだな。――行くぞ」

 彼は笑みを消し、ぐんと姿勢を低くして短く息を吸った。

「はっ」

 そして短い気合いと共に大地を蹴り、〈漆黒の騎士〉ですらどきりとする速さで飛び込んだ。

 そこにいたのが人間であったなら、つまり悪魔でなかったら、彼の剣は間違いなく相手を捉え、一撃で命を奪うか、そうでなくとも命に関わる傷を負わせただろう。もしそれが凄腕の剣士であったとしても、完全に避けることは不可能な速度と距離だった。

 だが、それは剣士でも人間でもなかった。

 悪魔は薄笑いを浮かべ、そのままそこにいた。

 だと言うのに、アバスターの剣はそれをかすりもしなかった。

「何……」

 アバスターは思い切り振るった力を受け止めるものが何もなかったために均衡を崩し、素早くそれを立て直してから舌打ちをした。

「くそ、幻影か!?」

 彼の剣はその場にいる悪魔を両断するようにすり抜けただけだった。

「おい!」

 剣士は魔術師に呼びかけた。

「いえ……」

 ラバンネルは顔をしかめていた。

「幻影では、ありません。そこに、確かにいます」

「何だと?」

「いったい、これは……」

「あははは!」

 陽気にニイロドスは笑った。

「さすがの大導師殿でも判らないか! じゃあ教えてあげよう。僕たちと君たちでは存在する次元が違うんだ。僕が君たちに触れることはできるし、君たちが触れるような状態に『落とす』ことはできるけれど、その逆はない。剣ではもちろん、魔術だって僕には届かないよ」

「次元」

 繰り返してラバンネルは考えるようにした。

「――上位の精霊などは、高次の存在だと言ったりします。神とされるような精霊、いえ、そうでなくても精霊という存在は実体を持たない。しかし彼らは、こうした『姿』も持たないのですが……」

「仰る通りだ、ラバンネル術師。目の付けどころは正しい。ただ彼らは、本当に実体を持たないんだ。僕らは別。実体はあるけれどこの層(・・・)にはない。それはちょうど君たち魔術師が〈場〉を作ると言うのに似ているね」

「成程、そういうことですか」

 魔術師は唇を歪めた。

「世界は無限に重なり合っていると言う。魔術師は自身や対象をわずかに層をずらした場所……言うなれば山積みに重ねた紙を一枚だけめくった地点に移すことができる」

「でもね、そのたとえで言うなら、君たちは紙のなかにいる。紙そのものだとしてもいい。それを好きなように何十枚でもめくって違う場所に入れてしまったり――破ったり燃やしたりしてしまうことだってできるのが、僕らだ」

「ふむ、それが高次ということですか」

「理解できた? さすがだね、やっぱり君はただ者じゃない」

 ぱちぱちと悪魔は手を叩いた。

「ある程度学んだ魔術師であれば判ることと思いますがね」

「そう? そうかもしれないね。でもこういう話をする気にさせるんだ、君はね。それが特別な者ということだけれど。――さて」

 ニイロドスは三者を見渡した。

「どうする? また試してみる? 無駄だけど」

「諦めるのは性に合わないな」

 アバスターは剣を取り直した。

「おい、何とかできんのか」

「私に言ってるんですか?」

「ほかにいないだろう」

「生憎ですけれど、いまのたとえからすると、物語の登場人物が読み手や聞き手に害を与えることはできないんですよ」

「どうにかしろ」

「……考えては、みますが」

「どうぞ」

 ニイロドスは両手を拡げた。

「たとえ世界を滅ぼす魔法があったとしても、僕らには影響がない」

「口先だけかもしれん」

「だといいんですけど」

「何でもどうぞ」

 悪魔は繰り返した。

「でも僕だって、ただ見てるだけじゃつまらない。だからこうして、遊びにくるんだ。駒が思った通りに動かないことも、時には面白い。ねえ、ヴィレドーン」

 じっと黙っているヴィレドーンに、ニイロドスは笑いかけた。

「君の問題だろ? 彼らに任せていていいの?」

「……俺は」

 ヴィレドーンはぎゅっと両の拳を握った。

「俺の問題に、お前の手を借りた。村に累が及ばないようにするためには、俺が狂気の騎士になればそれでいいと」

「そう、そしてその場で処刑されるつもりだった。でも僕がさせなかったし……彼らもさせなかった。もちろん目的は違うけれど」

「誰にも理解されないまま終わる、それがあなたの望みであったとしても、叶わなかった。終わらなかったのですから続けるしかありません。鎖を解きましょう、ヴィレドーン」

「どうやって?」

 悪魔が肩をすくめる。

「不可能だと言っているじゃないか。判っているはずだ、大導師殿。ごく僅少の可能性だって、ないことはあるのさ」

「〈神殺しのねじれ〉という話があります。主には神官の矛盾(レドウ)を突く言葉ですが、何にでも可能性はあるのだとすれば、神を殺すこともできるかというようなことですね」

「へえ? それに神官はどう答えるんだい?」

「――神というのは、殺されることもあるものだと」

「……へえ?」

「もちろん、実際に目の前に神が実体を持って現れるということはない。心の持ちようの話です。神は願いを叶えてくれないと絶望し、人が信仰を捨てる。それは一種の神殺しである。だが何かのきっかけで再び神を感じる。そのときにまた神は生まれると」

「あはは、詭弁で切り抜ける訳か。彼ららしいね」

「私は神官ではありませんし、その真偽ですとか、答えとしての有用性について論じるつもりはありません。ただ、ヴィレドーン殿。あなたはどうですか」


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