03 誰のための名誉
「浄化は通常、神官の仕事です。ですが彼らが行うのはたいてい『人間の』後始末ですからね。つまり、悪霊やら言う類で」
「獄界の生き物はそうそう出張っちゃこないし、となると対抗手段だって誰もが知ってるもんじゃないだろう。『あの方がご存知です』『いやいや、あちらの方が』とたらい回しの挙げ句、結局誰も判らんなんてことだってありそうだ」
「祭司長ともなる人物ならご存知であってほしいですけれど、通りすがりの魔術師の話なんて聞いて下さいませんしね」
手早く自分でやってしまうのがあの時点では最上だったとラバンネルは説明だか言い訳だかをした。
「『あちら』はしばらく、あの王宮内にとどめておく必要があると思います。近い内に収納するべき箱も作って、届けておきましょう」
「箱だって?」
「ええ。剥き出しだとさすがに目立ちすぎます」
「城の連中だって、そのままにはせんだろう。箱くらい用意する」
「そりゃあ、英雄アバスター様が置いて行かれた品ですから、それはそれは丁重に扱われるとは思いますが」
「皮肉はやめろ」
「外見だけが立派な箱では駄目なんですよ」
嫌そうなアバスターの一語を無視してラバンネルは続けた。
「魔力を持たせた箱に、ある程度の見張りをさせなくてはね」
「見張りか」
「ええ、そうです。英雄アバスター様の置いて行かれた逸品を」
「やめろ」
「誰もぞんざいには扱わないでしょうし、それどころか宝物扱いでしょうけれど、王家の所有物ということになっても困ります」
やはり抗議を無視して魔術師は続ける。
「たとえば誰かへの報奨に、などとされては問題がありますからね。ちょっと剣が上手だという程度じゃ、アレスディアは使いこなせません」
「俺も正直、相当、きついぞ。自己主張の激しい籠手だからな」
その言葉にヴィレドーンは目をしばたたいた。
「自己主張……?」
「あくまでもたとえ話だ。何も籠手が喋ったりする訳じゃない」
アバスターは手を振った。
「ま、使ってみりゃ判るさ」
「……俺が?」
「ああ」
こくりとアバスターはうなずいた。
「お前なら、使えるだろうと思う」
「……何?」
言われた意味が判らず、ヴィレドーンは問い返した。
「どういうことだ」
「どうもこうもないさ、ヴィレドーン。そのまま。俺は、王城に残したあの籠手を必要とするのはお前じゃないかと思うんだ」
「対悪魔の耐性も、少々ですけどつきましたからね。そういう意味では確かに、アバスターよりあなたに必要かもしれません」
「俺は、逃げる気はない」
彼は首を振った。
「ナイリアンの騎士の名をなくしても、俺の性根が変わった訳じゃない。後ろは見せん」
「誰のための名誉だ?」
少し面白そうにアバスターが問うた。
「王のためでも国のためでもないのなら、自分の誇りのためか」
「そうしたところだな」
彼は否定しなかった。アバスターが揶揄したのでもそうでないのだとしても、実際、その通りだとしか言えない。
「――何を差し出したのか」
ぱきんと小枝を折って火に放り込みながらアバスターは言った。
「それをきちんと聞いてなかったな」
ぱっと火が赤く燃える。ヴィレドーンは黙っていた。
「もともとずば抜けた感覚を持ってるあんただ、自ら〈黒の左手〉にとっ捕まる覚悟を決めちまや、悪魔の力なんで借りなくても目的を達成しただろう」
その目的の正邪については、この場ではアバスターは触れなかった。
「だがそのままのあんたには誓いを破れず、友も斬れなかった。あんたにいちばん重要だったのは、そこなんだろう」
ヴィレドーンは、黙っていた。
「悪魔の後押し」
ぱきん、とアバスターはまた枝を折る。
「まあ、いわゆる誘惑ってのと、意味合いは同じかもしれんが」
「その辺りで」
ラバンネルが諌めるように言った。アバスターは片眉を上げる。
「何も嫌味を言って苛めてる訳じゃない」
「あなたの意思がどうあろうと、苛めてますよ」
「かまわない」
ヴィレドーンは首を振った。
「俺は罵られ、呪われるだけのことをした」
「それこそ、俺にその意図はないさ」
「貴殿が俺を呪うとは思わない。だが今後、誰もがそうするだろう。俺のしたことを語り、呪われろと。獄界に落ちろと。誰もが言うようになる」
図らずも、その「予言」はほぼ当たったと言えるだろう。ただし、違ったのは「ヴィレドーン」の名そのものが伝わりはしなかったこと。
それはただ「裏切りの騎士」として。
「心弾まない話は、もうよしませんか?」
にこっとラバンネルが言った。
「放っておいても今後の状況は厳しいんですし、起きたことが何故起きたか、ヴィレドーン殿はよく判っているんです。反省会は必要ないですよ」
わざと気軽な調子を装っているのか、本心なのかは掴みかねた。
「今後か」
ヴィレドーンは息を吐いた。
「どうして貴殿らは、俺についてきているんだ?」
「放っておけんだろう」
すぐにアバスターが答えた。
「これは『お前さんが気の毒で放っておけん』と言うんじゃないぞ。お前さんの性能を持つ操り人形が悪魔の手に渡ったらいろいろ面倒臭いということだ」
「決着は、自分でつける」
「つけられるのか? 意地や見栄で答えるなよ。客観的に判断して、本当にお前ひとりでできるのか?」
「俺がひとりでやるしかないんだ」
彼は答えた。
「気持ちは有難い。俺がと言うんじゃなく、市井の人々の身を気にかけてもらえることに。……こんな言い方はおこがましいが」
「ま、騎士時代の癖はなかなか抜けんだろうさ」
アバスターは肩をすくめた。
「だがもう騎士じゃないと自分で言っただろう。それは即ち、国を背負う必要がないってことだ。誰かの手を借りたって恥じゃない」
「『騎士時代』も、手を借りることを恥だとは思わなかった」
首を振ってヴィレドーンは言った。
「意地を張って任務を達成できない方が恥だと――」
そこで彼は言葉を切った。アバスターはにやりとした。
「判ってんじゃないか」
「それとこれとは話が別だ。俺個人の話だから、意地も張れる」
「あのな、ヴィレドーン」
年上の男は少し呆れた顔をした。
「俺は生け贄になる気はないし、お前を捧げるつもりもない。どちらも生き残るんだ」
気負った様子はない。これまでと同じ、さらりとした口調で英雄は言った。
「生き残る……」
それはずいぶん、きれいな言葉に聞こえた。
きれいすぎて、彼には遠い。
遠いものに、なってしまったと。
「お前は罪を犯した。そのことは誰より判ってるはずだ。死んで終わりにゃ、ならんぞ」
「自死を選ぶつもりはない。その資格だって俺にはない」
「お前がそれを選ぶとは思ってない。だが、それじゃ、どうするつもりだったんだ?」
問いかけは簡素で、重かった。
「どう……」
「『今後』はお前は、どうするつもりだったんだ」
ゆっくりとアバスターは繰り返した。
「俺に……『今後』はないはずだった」
低く、彼は呟いた。
「あんたたちが、こなければ」
「――それが契約ですか」
ラバンネルが目を細めた。
「では、アバスターの推測は当たっていたということですね。悪魔は、〈漆黒の騎士〉の性能を持つ操り人形を手に入れる予定だった」
「判らない」
しかし彼は首を振った。
「何だって?」
「あいつとは、確かに契約をした。だが俺は……」
ヴィレドーンは額に手を当てた。
「俺は……」
(何を約束、したんだ?)
覚えていないというようなことがあろうか。軽率な誓いなどではなかったはずだ。いや、騎士たる者であれば軽い気持ちで誓いをすることはない。
ましてや――血の契約。
さまざまな知識も要求されるナイリアンの騎士は、知っていた。
血を流して交わされた契約は、決して違えられない。たとえ立場が変わり、敵味方が逆転するようなことがあったとしても、かつての敵を屠ると約束していたら、それが最強の味方であっても、そのようにする。それがその後に結ばれた恋人だったとしても、そのようにする。
それは「誓いを守る強固な心」がさせるのではなく、血が、させるのだ。
それほど、血の契約というのは強いもの。もはやそこに、意志は介在できないのだ。
なのに――それを判っていながら、契約内容を覚えていない、とは?
「鍵をかけられましたか」
魔術師は懸念を浮かべた。
「契約をしたときは、あなたもきちんと聞いていたはずです。ですから、向こうが言葉巧みに騙したという可能性を別にすれば、理解した上で応じたはず」
「『言葉巧みに騙した』ってのは大いに有り得る可能性なんじゃないのか」
「普通はそうですね。ですが、容易に騙せない人もいます。ヴィレドーン殿はもちろん、酷く警戒したはずだ」
その言葉にヴィレドーンは黙るしかなかった。
「ヴィレドーン殿は知っている。なのに鍵をかけ、その記憶をしまってしまう。これは何のためなのか」
「『やっぱりやめだ』と思われちゃ困るってとこじゃないのか」
「やめられないんですよ。どんな手段を使おうと逃れられない、それが血の契約ですから」
「聞いたことはあるが」
「体験しないと納得しがたいかもしれませんけれど、試しにやってみることでもないですからね」
「やってみたいとは思わんよ。軽い好奇心で実行したって奴も、有史以来そうそういないんじゃないのか」
「でしょうね」
血の契約などというのはやむにやまれず結ばれることがほとんどだろう。もちろん結ばせたい側にとってはそうではなかろうが。
「とにかく、お前が意地を張りたい気持ちは判った。だがそれならそれで、俺も個人的に意地を張ろうと思う」
アバスターは少し笑った。
「〈はじまりの湖〉の様子を見に行くんだろう? 嫌だと言おうが、同行するぞ」




