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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第一部 終章

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11 どうなれば終わるの

「こいつにはカラン茶もいいが、珈琲(フォートス)も合うんだそうだ。だがお姫様方には少々きつい飲み物であるからして、ルエルクで割ったものを」

 ぱちんとラスピーシュが指を鳴らすと、説明の通りの飲み物が入っているのであろう陶杯を盆に載せて使用人が現れた。

「ラスピーさんったら」

 リチェリンは目をしばたたいた。

「まるでここの主みたいですね」

「おや」

 他国の王子は目を見開いた。

「それはよろしくないな。レヴラール殿の心証を悪くしてしまう」

「ナイリアンの王子殿下はそんなに狭量でもないと思いますけれど」

 彼女はレヴラールのことを何も知らないに等しいので、これはナイリアンの民としての願望というところだ。実際、少し前であればともかく、いまのレヴラールはささいなことで腹を立てたりはしないだろう。

「さ、召し上がれ」

 やはり主人然としてラスピーシュは言った。礼を言って娘たちは上等な飲み物と菓子に手をつけ――初めてのフォートスはほろ苦く、菓子の甘味とよく合った――、何気ない調子で王子もその卓に加わった。

「どうだい、ウーリナ。ピニア殿とリチェリン嬢とは仲良くなったかな?」

「ええ。ちょうどいま、オルフィさんのお話をしていたところですの」

 リチェリンは危うくむせるところだった。

「お兄様もオルフィさんと仲良しでいらっしゃいますのよね? 彼のお話を聞きたいですわ」

「何だって? むむ、オルフィ君も隅に置けない。まさかウーリナの心を掴むとは」

「そんなんじゃありません!」

 ばん、とリチェリンは卓を叩いていた。そしてはっとする。

「あ、す、すみません」

 王子殿下と王女殿下の前で何ということを――と彼女は慌てて謝罪の仕草をした。

「いやいや、私こそ失礼した」

 にっこりとラスピーシュ。

「ふむ。これは、なかなか、意外な進展」

「な、何ですか?」

「いやいや」

 何でもない、と彼はにこにこ――或いはにやにやとした。

「オルフィ君の話かい? そうだね、私はリチェリン嬢ほどは彼を知らないが、彼に庇護者気質があることは判るね」

 陶杯を手にしてラスピーシュはうなずいた。

「初めて会ったときはカナト君を、次にはリチェリン嬢を守ろうと」

(……オルフィが守ろうとしたのは、ほかでもないラスピーさんからだったと思うけれど)

 どうにかリチェリンはその言葉を控えた。

「無策に飛び出して行ったのだってリチェリン君のためだしね。結果、彼はこうして彼のお姫様の奪還に成功した。オルフィ君はリチェリン君の騎士(コーレス)だね」

「そ、そんな」

 ぼっと顔が赤くなるのが判る。

(嫌だ、私ったら)

(ラスピーさんはからかっているだけよ)

 そんなふうにして娘たちのお喋りはラスピーシュの主導により続き、彼女らは――主にウーリナが、であろうか――楽しい時間を過ごした。リチェリンはカナトのことが引っかかって心から笑うことはできなかったが、それでもしばらくぶりの「女同士のお喋り」に少し慰められる思いだった。それはピニアも同様であったろう。

「おっと、もうそろそろ夕餉の時間だね」

 ラスピーシュがふと言った。

「どうだい、ピニア殿とリチェリン君も」

「いえっ」

 ふたりは揃って声を出した。

「有難いお言葉ですが、そろそろ館に戻りませんと」

「わ、私もオルフィが心配ですし」

「ふむ。残念だがそれでは仕方がない」

 言葉の通りに残念そうな顔をして、ラスピーシュはうなずいた。

「ではお送りしよう」

「えっ、でも」

「いいんだいいんだ」

「いけません」

 と、不意に声がした。驚いたのはリチェリンやピニアで、ラスピーシュやウーリナは笑みを浮かべていた。

「先ほどはご苦労だったな。ご婦人方の間に並ぶのは、しかし役得であっただろう?」

「殿下とは感性が異なりますので」

 いったいいつの間に入ってきたのか、無表情でそう答えたのは年齢の読みがたいひとりの男だった。十代ということはまずないが、二十代やら三十代やら、不思議と判らない。ぱっと見にはラスピーシュくらいにも思えるものの、落ち着いた雰囲気は三十を超しているようにも見える。帯剣こそしていないが、その姿勢がぴしっとしている様子は、リチェリンにすら彼は兵士であろうと思わせた。

「まあ、クロシア。お久しぶりね」

「ウーリナ様におかれましては、ご機嫌麗しゅう」

 王女への挨拶には、少し優しげな笑みが混じった。

(クロシア)

(この人が)

 ラスピーシュがヒューデアと親戚ではと言ったのは姓の類似からだけではない、というのが何となく判るような気がした。顔立ちに似ているところはないし、髪の色もヒューデアは白銀、このクロシアは焦げ茶と全く異なるのだが、どことなく――。

(身にまとう空気が似ている、とでも言うのかしら)

「それで、こちらのご婦人方をどちらにお送りすればよろしいのですか?」

「お前が行くのか?」

「殿下にはもう軽々しく出歩いていただく訳にまいりません」

「はは、馬鹿なことを」

 ラスピーシュは冗談を聞いたと言うように笑ったが、もちろんと言うのかクロシアは笑わなかった。

「こうなったからには殿下はラシアッドの代表です。ウーリナ様とは訳が違います」

「こうなったと言っても、あれは事故のようなものだ。あの場にウーリナがいなければ、私は変わらず旅の紀行家ラスピーとして」

「殿下」

 眉をひそめてクロシアは遮った。

「お兄様、私、いけないことをしてしまいましたか?」

 妹王女は心配そうに問うた。

「とんでもない!」

 兄王子は両手を上げる。

「可愛いウーリナ、お前がすることにどんな過ちもあるものか! こうして彼らに私の立場を知られることは美しき〈名なき運命の女神〉が定めたことだったんだよ!」

「では運命に従って大人しくしていただきます」

 すかさずクロシアが言えば、ラスピーシュは天を仰いだ。リチェリンは思わずくすりと笑い声を洩らした。

「こうなっては仕方ない。美しいご婦人方をお送りする栄誉はクロシアに譲るしかないな」

 ふう、とラシアッド王子は大仰にため息をついた。

「クロシアはヒューデア君のように信頼できるよ、と言えばあなた方のどちらも安心してくれるのだろうしね」

 片目をつむってラスピーシュが言えば、ピニアも何だか納得いったような顔をした。おそらく彼女も「誰かに似ている感じがする」と思っていたのだろう。

「それじゃ、また明日」

 にっこりと彼は手を振り、リチェリンは笑みを返しながらも不思議な気持ちになった。

(ラスピーさん……)

(王子殿下だと判っても、いままでとちっとも変わらない)

(正体こそ隠していたけれど、それ以外は演技をしていた訳でもないんだわ)

 もしもラスピーシュの様子が変わり、殿下と呼んでひざまずくよう命じたとしても、驚きはするが当然だと思っただろう。だがそんなことにはなりそうもない。ラスピーシュ王子は紀行家ラスピーと何も変わらない。

 だと言うのに――。

(オルフィが)

(私の幼なじみのままであるはずのオルフィが、どうしてどこか違って見えるのかしら)

(逃亡の旅のせい? カナト君を亡くしたせい?)

(この出来事がみんな終われば、オルフィはいつもの、私の知っているオルフィに戻る?)

(終わるって何? どうなれば終わるの?)

(誰もそのことをはっきり言わない)

 奇妙な不安が頭をもたげた。

(それに、神子のこと)

(どうしてラスピーさんは、そのことを言わせないようにしたのかしら?)

 レヴラール王子やキンロップ祭司長の前でまで彼女がエク=ヴーの神子だなどと言い立てられてはたまらなかったし、彼女としては助かったこともある。

 しかし本当にそれは黙っていていいことなのだろうか。

 クロシアに促され、王城を出て街を歩きながら、リチェリンはまだこれからひと波瀾もふた波瀾もあるような嫌な予感がしてたまらなかった。


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