10 何と言ったかしら
「私はつい先ほど彼と会ったばかりです」
占い師は目を伏せた。
「少し事情があって私は星読みを避けていたのですけれど……その理由がなくなって」
顔を上げたピニアは真剣そうな顔をしていた。
「彼の星を見ました。見えたと言うのが正しいです。強い光はこちらが見ようとせずとも飛び込んでくることがあるものですから」
「判ります」
今度はウーリナが言って両手を合わせた。
「二度目にお会いしたのは今日の朝ですの。この街の外壁のところで」
外からナイリアールの城を見たくてサレーヒに頼んだのだという説明が加わった。
「ナイリアールへ入ってこようとする旅の人はたくさんいましたわ。でも彼の姿はそのなかで目立ちましたの。それは内なるものの輝きのために」
「ウーリナ殿下も何かご覧になるのですか?」
ピニアが問うた。占い師――魔術師が見ればラシアッド王女に魔力がないことは一目瞭然。
「はい。ラシアッド王家の者には、時折特殊な力が顕れますの。人が見ないものを見るという意味ではピニア様と似通うかもしれませんけれど、ささやかものですわ」
少し恥ずかしそうにウーリナは言った。
「思うままに見ることが叶う訳でもありませんの。先ほどピニア様が仰いましたように、存在を声高に主張するものだけがかろうじて見えますのよ」
ピニアの意志を越えて視界に入り込んでくるほどのものであれば自分も感じ取れるのだと王女はそうしたことを言ったようだった。
「そのようなことがあるのですか」
魔力を持つピニアとしては――かつてカナトやシレキが言ったように――不思議だとは思うものの追及したり糾弾したりすることではないという雰囲気だった。リチェリンはと言えばそのときのオルフィのように、魔力もそうでない力も等しく「不思議」に思える、などと考えていた。
(だいたい、どうしてオルフィがそんなふうに思われるの?)
彼はよく働く気のいい若者で、何も特別な力などは持っていない。そう思っていた。
『――俺はただの田舎のガキって訳じゃない』
だが、そんなふうに言っていた幼なじみを思い出すと、不安になる。下らぬ虚勢であれば、あとで笑うだけでいい。でも何だか、夕暮れ刻のような薄闇がオルフィの前に降りているような気がして。
「リチェリンさん、もっとオルフィさんのことをお聞きしたいですわ」
「え、えっ?」
彼女は驚いた。驚愕したと言ってもいい。ラスピーの正体を知ったときと同じか、それ以上に驚かされる発言だった。
「ど、どうして、いえ、その」
ウーリナが普通の娘であれば、「オルフィったらなかなかもてるじゃないの」などと考えただろうか。だが隣国の王女であり、ナイリアン王子の婚約者候補でもあれば。
いや、ただの娘であっても。
(ま、まさか。ウーリナ様は何か誤解をしてらっしゃるか)
(それとも私が誤解をしているんだわ)
彼女は少しどきどきした。
(だって……)
幼なじみを貶めるのではないが、まさか王女が田舎の若者を気に入るなんて考えられないというのはごく普通の思考だ。
そして、それだけではない。
『頼ってほしいかな』
『――好きな女の子には』
不意に耳に蘇ったオルフィの言葉。ぼっとリチェリンは顔を赤くした。
(ちっ、違うわよリチェリン。オルフィのあれは)
(あれは……その……)
好きなんだと。迷惑になると思って言えなかったと。途上で実にさらりと行われた告白は、ほかにどんな無難な解釈をしようとしても無理そうだった。
(オルフィが、私を?)
胸がどきどきした。
弟のようにしか思っていなかったのに。
いや、そうでも、ない。
彼が町憲兵に追われて逃げたと聞いてから、彼女はずっとオルフィのことばかり考えていた。王子や騎士に会ったらしいと耳にしては、何だか遠い人になってしまった気がして寂しく感じたこともあった。
「どうしたの、リチェリンさん」
ピニアが彼女をのぞき込んだ。
「顔が赤いわ」
「あ、だ、大丈夫です」
ふるふるとリチェリンは首を振った。
「何でも……ない、です」
「やはりリチェリンさんはオルフィさんと」
ウーリナはぱっと顔を上げた。
「何と言ったかしら……ほら」
王女はきれいな眉を少しひそめて考えた。それから思い出したというように顔を明るくする。
「『いい仲』でいらっしゃるのでしょう!」
王女殿下にそんな言い回しを教えたのは誰であるか想像しなくても判るようだったが、リチェリンはそれに苦笑するよりも更に頬を熱くした。
「ち、違います! 断じて!」
知らずリチェリンは声を大きくして叫んだ。ついと言った感じでピニアは笑い、ウーリナもにこにこした。
「ハイ、姫様方」
そこに戸を叩かれ開かれて、ひとりの人物が現れた。
「何やら楽しそうだ。ご婦人方の集まりに入り込んでもよろしいかな?」
「まあ、ラスピーシュお兄様!」
ウーリナが歓喜の声を上げた。慌ててリチェリンとピニアは立ち上がったが、ラスピーシュは不要と手を振った。
「ラシアッドの第二王子など大した地位ではない。それにリチェリン嬢、君には特に、これまで通りに接してもらいたいね」
「で、でも」
リチェリンは困惑した。
「そういう訳には」
「いやいやいや」
ラスピーシュは大きく手を振る。
「どうかこれまで通りに『ラスピー』と。君にそう呼ばれるのは実に心地よかった」
「では……ラスピー殿下」
「いやいやいやいやいや」
ぶんぶんとラシアッド王子は首を振る。
「『殿下』も、なし! どうか頼むよ、リチェリン君」
「は、はい」
少し戸惑ったが、望まれているのであればと彼女はうなずいた。
「じゃあ、ラスピーさん」
「そう、それがいい!」
ラスピーシュは嬉しそうに言った。
「さあ、ナイリアールで評判の菓子を買ってきた。姫君方のお口に合うといいが」
そして彼は彼という立場の人間が持っているのに相応しくないもの――銀色の盆をさっと差し出す。白い皿の上には薄く輪切りにされた柑橘らしきものがきれいに並べられていた。
「柑果を砂糖漬けにして、溶かしたケラッセに半分だけくぐらせるんだそうだ。中心街区で高い評価を受けているらしい」
「まあ、素敵なお菓子ですのね」
「ケラッセ……って、何ですか?」
聞き慣れない言葉にリチェリンは首をかしげた。
「ケラスという飲み物があるだろう? 木の実を潰してルエルクで溶き、甘く味付けた」
「はい、それは知っています」
いささか高級なものであり、田舎などでは出回らない。知識として知っているだけだったが、判ることは判る。
「どうやって作るのかまでは生憎と知らないが、濃厚なケラスを固めたような菓子がケラッセだ。人肌程度で溶けてしまうが、普通の気温ならばこのように固まっている」
ラスピーシュは橙色のリネートの半分を覆う黒っぽい部分を指し示した。
「まあ……」
としかリチェリンは言えなかった。とにかく高級なものだということは想像がつく。
「お兄様が買っていらしたんですの?」
「そうとも。と、言いたいところだが、生憎と時間がなかったものだから、クロシアに行かせた」
「あら、やはりクロシアはお兄様とご一緒でしたのね。姿を見ないから、きっとそうだと思っていました」
「なかなかひとりでは手が回らなくてな。彼がきてくれたおかげでいろいろと助かった」
「ですけれど、菓子を買いに行くなどというのは彼の好まない仕事ではないでしょうか?」
「その通り。ひとしきり文句だか説教だかを言ったが、それなら私が行くと言ったら仕方なさそうに出向いてきた」
楽しげにラスピーシュは語った。釣られるようにウーリナも笑っていた。
(ええと)
(クロシアというのはラシアッドの人なのね。ラスピーさんやウーリナ様の、使用人なのかしら?)
(……クロシア?)
どこかで聞き覚えのあるような気がした。
「あ」
(クロセニー)
(そう言えば、ヒューデアさんの姓を聞いたとき、ラスピーさんが言っていたわ)
ラシアッドにはクロシアという一族がいる、遠い親戚かもしれない、などと巻き毛の青年が言っていたことを彼女はふっと思い出した。




