07 吊られる訳にはいかない
「その守り符は俺からミュロン爺さんの手に渡り、カナトの手に渡った。あれが湖神の紋章だと知ったのはしばらくしてからだったけど、連中が神子を探していたことを思えば何か関わりが……」
「オルフィ君」
ラスピーシュがすっと片手を上げた。
「その話は慎重にした方がいい。……判るね?」
「何を……あ……」
リチェリン。
彼は思い当たった。
(いや、リチェリンが神子のはずがない)
(だが――メルエラに似た雰囲気を持っている)
(何より、背中にしるしがあると言うのなら)
(でもリチェリンは、俺とアイーグ村で)
(……俺が、アイーグ村で?)
「違う」
彼は呟いた。
「オルフィ?」
心配そうなリチェリンの声。彼女がそっと歩を進めて彼の顔をのぞき込むのが判った。
(違う。俺はアイーグ村で生まれた訳じゃない)
(「オルフィ」に母親はいない。いるのは「ヴィレドーン」の母親だ)
(俺は、父さんとも血が繋がっていない)
(そうだ、俺は彼に拾われて、アイーグ村へ)
(詳しくは覚えていない。「そのときの俺」は幼かったから)
(だが「幼いオルフィ」は本当に)
(本当に――リチェリンと村で遊んでいたか?)
「オルフィ! 真っ青よ」
驚いて神女見習いは叫んだ。
「大丈夫……大丈夫だ、リチェリン」
「とてもそうは見えない――」
「リチェリン」
オルフィは彼女の腕を掴んだ。
「きゃっ……」
「やっぱり、君が」
(君がエクールの)
(神子なのか)
「オルフィ君」
再びラスピーシュが、先ほどよりも少し強く彼を呼ぶ。
「慎重に」
「何を……」
(彼女が神子だと言うな、と?)
(何故?)
ラシアッドの王子は笑みを消し、真剣な顔で彼を見ていた。
「君には理解しかねるだろうが……口にすることで確定することもある、という理屈を知っておいてほしい」
「……は?」
「魔術の理屈だな」
うなるようにシレキが呟いた。
「それもかなり面倒臭いと言おうか、まあまあきつい考え方だ。苦行をする神官みたいに、厳しい条件を自分に与える傾向の魔術師が好む」
「そうなのかな? 少なくとも私は魔術師ではないが」
「それは俺にははっきり判りますよ、殿下」
魔力を持つ男は言った。
「ですが魔術について学ばれたことがおありでは?」
「いくらかは。レヴラール殿下もご同様だろう」
「学んだ」
ナイリアン王子は苦い顔をした。
「コルシェントからな」
「はは、それはなかなか、求めても得られぬ師ですな!」
ラスピーシュは気軽に笑い飛ばした。それを見てレヴラールもほっとしたように少し笑った。
「失敬、私はオルフィ君に『軽々しく口にしないように』と言った。だがそれは二心あってではない。この場で洩らさないことは彼の、ひいてはナイリアン国のためになると信じていただけまいか」
「……承知した」
少しの間ののちにレヴラールは答えた。やはり「協力者」である他国の王子の言葉を無下に否定できないということもあろうが、ラスピーシュには人をうなずかせてしまう不思議な魅力のようなものも確かにあった。
(言うことで確定する?)
(何を馬鹿な、という気はするけど)
此度の出来事に、常識で計れないことは盛りだくさんだ。
何より、彼自身のこと。
三十年前に死んでいなかったのはいいとして、どうしていま、二十歳前の若者として生きているのか。「生まれ変わり」という類ではないのだ。そうした歌物語などは知っているが、「ヴィレドーン」は死ぬことなく「オルフィ」となっている。
(まあ、魔術か妖術なんだろうが)
(どっちにしたって十二分に非常識ってとこだな)
「有り得ないはずだ」という考えには意味がない。実際、そうなっているのだから。
(正直、神子の件を言わない理由は特に見つからないが、逆に言わなくちゃならない理由もない)
言ってしまえば忘れてもらう訳にいかないものの、あとで話すことはできる。オルフィはそう考え、続きを話すことにした。
「俺はタルー神父様が亡くなったことを知ると、彼の最後の手伝いとして、別の村へ荷を届けに行った。その途上で黒騎士に……ハサレックに遭遇したんだ」
オルフィはかつてカナトやヒューデアに話したようにその邂逅について語った。
「それから俺は黒騎士が狙っていた箱の中身が気になって、ジョリス様との約束を破ってそれを開けた」
ここは淡々と事実だけを話した。「出来心で」だの「後悔している」だの、そんな懺悔は無意味だからだ。
「……開けた、と」
レヴラールは繰り返した。
「そう。俺は大導師ラバンネルが封じた箱を開けることができた。この理由については」
(俺には心当たりがある)
(シレキのおっさんが言った通り)
(――アバスターは俺にこれを使えと言った)
かの「英雄」のこと、彼は知っている。あんなに探したラバンネルのことも。
(ラバンネルが俺に開けられるよう術を編んだというカナトの推測は合ってた)
(だが……)
ここでその話をすれば、いつ、どうして彼らと出会い、どんな理由でそういうことになったのか問われることは間違いない。
三十年前にヴィレドーンが出会った。彼らがヴィレドーン、或いはオルフィに籠手を託したのは、悪魔対策というのがひとつだ。あのときは黒騎士のことまで予測はできなかったが、ニイロドスが再び現れることは想定された。
だがその話はできない。ヴィレドーンの名乗りをするのは、慎重にやらなくてはならない。
何しろ、彼が〈白光の騎士〉と国王を手にかけたのは――いくら悪魔にそそのかされたところで――事実なのだ。国王殺しの大罪人。それがヴィレドーン・セスタス。反乱のことは誤解でも、罪は十二分。
(でも俺は吊られる訳にはいかない)
(罪は罪だ。だが死んで償うつもりはない)
(籠手の力を借りて、新たな「裏切りの騎士」がこれ以上波乱を起こす前に片をつける)
(それが……俺の罪滅ぼしだ)
「オルフィ?」
呼びかけられて彼ははっとした。
「やっぱり、少し休ませてもらった方がいいんじゃないかしら」
リチェリンが心配そうにしている。
「大丈夫だよ」
彼は繰り返した。
「俺のやったことをちゃんと話しておかないと」
「ヴィレドーンの」話はできないが「オルフィ」の話はしなければならない。
「どうして俺に箱が開けられたのか、身につけたが最後外せないのはどうしてなのか、それはラバンネルじゃないと判らないと思う」
彼は少々嘘をついた。
「カナトは……俺の親友の魔術師は、ラバンネルがそういうふうにしたからだと言っていた。でもやっぱり、どうしてかは判らない」
「先ほども話していたようだが、その『親友の魔術師』というのは、いまどこに?」
何も知らぬレヴラールが尋ねた。
「……死んだ。俺を守ろうとして、ハサレックの刃の前に身を投げ出して」
顔を伏せ、オルフィは淡々と話した。
「何と」
レヴラールは目を見開き、それから痛ましそうな顔をした。グードのことを思ったのであろう。
「ハサレック・ディア。あのような男を〈青銀の騎士〉として……いや、〈白光の騎士〉に迎えることすら考えたなど、俺の目はどうかしていた」
「曇らされていたのです。殿下の責任は皆無ではありませんが、そうして自虐なさるよりは少ない」
騙された責任はあるが、悪いのは騙した方だとキンロップが言う。
「そんな奴の手にラバンネル術師の力が込められたアバスターの籠手が渡らなくてよかった」
ふう、とシレキは息を吐いた。
「オルフィ、お手柄だな」
「へっ?」
「何を頓狂な顔をしとるんだ。そうだろう。お前が箱を開けて籠手を身につけたから、アレスディアは守られたんだぞ」
「……そういう理屈なのか?」
「そういう理屈も悪かないだろ?」
「おっさん、もしかして、フォローしようとしてくれてる?」
「まあ、ちょっとはな」
「ははっ、あんがとな」
オルフィは笑って礼を言った。
「アレスディアが外れないってのは正直、いちばんの困りどころだった。ヒューデアには腕を斬り落とすなんて言われるし」
口の端を上げてキエヴの剣士を見れば、彼はからかわれたとでも思うようにむすっとしていた。
「でも……ラバンネルが、アバスターが俺にこれを身につけろと言ったのであれば、俺は彼らを信じてその任を受けようと思っている」
顔を上げてオルフィは言った。
「ただ、いまの俺は身体ができてない。ヒューデア」
「何だ」
「手伝ってくれ」
「何?」
「俺を鍛えてほしいんだ」
「……何だと?」
「そんな不思議そうに繰り返すなよ。意味は判るだろ」
「判るが、しかし」
「ふうん」
面白そうにラスピーシュが笑んだ。
「いいじゃないか、やってあげるといい、ヒューデア君。レヴラール殿下、ナイリアンの騎士たちも彼の訓練につけてはいかがだろう?」
「ちょっ、ま、待て、何てことを!」
この提案にはオルフィも慌てた。
「最高峰の師匠たちだろう、いいじゃないか」
「……籠手が外れぬということと、籠手の装着者が何らかの役割を果たすということが事実であれば、オルフィにその役割を果たしてもらうしかない、か」
レヴラールが呟く。
「だが、何の心得もないのであれば――」
「はは」
「心得」。
かつてのやり取りが思い出されて、きゅっと胸が痛くなった。
「ある」
彼は答えた。
「さっきも言ったが、俺はただの田舎のガキじゃない……なんて自分で言うと、それこそ増長したガキみたいだけどな」
少し恥ずかしげに黒髪をかく。
「ま、それはあとにするさ。でもヒューデアに稽古をつけてもらえれば充分だ。……たぶん」




