06 偶然なのか?
「何故、そのようなことを? まるで見てきたかのように」
尋ねたのはヒューデアだ。
「それは、ハサレックが俺に話したんだよ。それにジョリス様だって、そうしたことを仰ってたじゃないか」
少しうろたえてオルフィは返した。「夢で見た」と言うのは胡乱すぎると思っての発言だったが、ハサレックから聞いたというのも事実だ。
「そりゃ、死んだはずの友人が子供殺しの獄悪人となって襲ってくりゃ、アバスターだって動じるだろうな」
両腕を組んでシレキが言った。
「なあ、王子殿下」
オルフィはそっと呼びかけた。
「ジョリス様の処罰……どうするんだ」
その問いかけに、レヴラールは戸惑った顔を見せた。
「それは……」
気まずい沈黙が降りた。レヴラールはしかし顔を上げ、オルフィの視線を受け止める。
「過ち、だった」
数秒の静寂のあと、小さく王子は言った。
「殿下」
「いや、俺は認めなくてはならない、キンロップ。お前が俺の、ナイリアンの立場を気遣っているのは判るが」
「私のことなら、お気になさらず」
ラスピーシュはさっと宮廷式の礼をした。
「この場で知ったことをナイリアンとラシアッドの間の駆け引きに使うことは断じてしないと約束しよう」
彼は誓いの仕草をした。キンロップはまた苦い顔をした。誓いを神聖なものとする神官であればこそ、ここで疑いの言葉を挟む訳にはいかないからだ。
「感謝する、ラスピーシュ殿」
レヴラールはそれを信じたか、少なくとも信じたと口にした。もちろん彼の立場でもラシアッド王子の誓いに懐疑的な態度は取れない。
「ジョリスを盗人とし、白光位と同時に騎士の資格を剥奪した、そのことは俺の過ちだ。早計だった。俺は、あやつがどうしてそんな真似をしたのか、帰ってきて俺にきちんと説明をしないということに……腹を立てたんだ」
実に素直に、レヴラールは語った。
ここにもジョリス・オードナーという眩い光に惹かれていた者がいた。ジョリスよりも身分が上で、彼に命令する立場にあったナイリアン国の第一王子が、オルフィやヒューデアと同じように彼を慕い、帰ってきてほしかったのだと。
いまでこそジョリスの生還は明らかになり、彼の「死」を知っていた者たちはみな喜びと安堵を抱えている。
だが少し前まで、そうではなかった。
オルフィは籠手を託された。ヒューデアは手紙を受け取った。そうしたもののなかったレヴラールは哀しみを憤りに換え、癇癪を起こして――。
(ジョリス様に叱られたかった、のかな)
ふっと彼はそんなふうに思った。
「子供じみていた。どうしてあんな決断をしたものか、悔やんでも悔やみきれない」
「コルシェントの誘導がありました」
苦い顔のままであったが、キンロップはそのことを指摘した。
「彼は、オードナー殿への幻想を捨てるべきだと言った。殿下はそれに乗せられたのです」
「愚かだった。グードにも言われた」
レヴラールは死んだ護衛の名を口にし、唇を結んだ。
「王家の名において国中に発表したものを撤回するのは難しい。しかし……ジョリスが生きて戻ってきた以上、必ず、その名誉は回復させる」
まっすぐにオルフィを見てレヴラールははっきりと告げた。
「もちろんジョリスは、ナイリアンの騎士――〈白光の騎士〉だ。都合がいいことをと思われるかもしれんが」
王子は両の拳を握りしめた。
「代わりに俺が、どんな不名誉をかぶってもいい」
「殿下……」
「何だ、キンロップ。反対か」
「殿下が不名誉をかぶられるなどということには、反対です」
それが祭司長の返答だった。
「ですが、オードナー殿の名誉回復には、全面的に支援を」
「そうか」
レヴラールはほっとした顔を見せた。
「ハサレック・ディアの件をどう公表するかも吟味しなくてはなりません。少々時間と手間がかかりましょうが」
「助かる」
うなずいたレヴラールの顔には、キンロップへの信頼があった。
「失礼だが」
シレキが片手を上げた。
「魔術師協会に協力を仰ぐということも手段のひとつとしてお考えいただきたい。魔術で不審を消しちまうなんて乱暴な話でもなく、導師たちには知恵者も多いはずだから」
「……しかし」
レヴラールはちらりとキンロップを見た。
「考えましょう」
祭司長は王子に答えた。
「コルシェントが魔術師であったからこそ、魔術師の手を借りる必要があります。ここで魔術師を拒絶すれば、神殿が……否、言葉を濁すのはやめましょう。私が殿下を丸め込み、コルシェントを陥れたのだという噂が立ちかねない」
「神殿と協会の間に溝を作る訳にはゆかぬな」
王子はうなずいた。
「溝は既に埋まらぬものが存在します。しかし深く広くすることはなりません。ましてや」
「下世話な噂であっても、コルシェントが実は無実なのではというような疑惑を持たせることも避けたい」
「仰る通りです」
そこでようやくキンロップの顔から苦々しいものが消えた。
「レヴラール様」
「何だ」
「よくぞ、しっかりと考えられましたな。ご立派です」
珍しくも少し優しい笑みを浮かべて祭司長は言った。
「な、何だそれは」
王子は目を白黒させた。
「お前が俺を褒めるなど気持ちが悪いではないか。だいたい、それではまるで出来の悪い子供が課題をやり遂げたかのような」
泡を食った様子でレヴラールが言うので、思わずオルフィはふっと笑ってしまった。さすがにレヴラールも聞き咎めて彼を睨んだが、腹を立てたと言うよりは恥ずかしさのようなものがあってだろう。
「話を戻そう」
こほん、と王子は咳払いをした。
「ハサレックはジョリスからアバスターの箱を奪えなかった。彼はそのとき既に箱を持っていなかったからだ」
レヴラールはそう言ってオルフィを見た。「そうだろう?」とでも尋ねる様子だった。オルフィはこくりとうなずく。
「ああ。あの人はどうしてか、四つ辻でたまたま行き合った田舎者に大事な箱を託した。必ずタルー神父様に渡すように、と。それは」
彼はちらりと、ピニアを見た。
「私、です」
理解して、ピニアがそっと手を挙げた。
「私があの方に申し上げました。〈ウィランの四つ辻〉と呼ばれる場所で出会う若者に運命を託すよう」
「ではジョリスはその予言を聞いた故に、オルフィ殿に箱を?」
「……そこは難しいのですが」
占い師は少し困った顔を見せた。
「予言は『必ず当たる』ものです。私が見たものをジョリス様にお話しようとするまいと、ジョリス様とオルフィ殿は出会い、オルフィ殿は箱を受け取ったはず」
「うーん」
オルフィはうなった。確かに難しいと言おうか、納得のいかない感じがする説明だった。
「私は予言で他者を誘導することはしません。いえ、できないのです。いえ、そうでもなく……私の言葉が影響を与えたのであればそれもまた予言に組み込まれていることで……」
「神が人の子に与える道があるとしたなら、それは関わり合った者たちの間で交差し合っていく」
イゼフが声を出した。
「その交差が道のうねりに影響を与えたとすれば、それもまた神の意志である」
「魔術師も神官も、運命は決まっているって考えなんだな」
オルフィは少し息を吐いた。
「俺にはやっぱり、納得できない」
何より引っかかるのは、カナトの死だった。あの少年が生まれたときから、こんな理不尽な終わり方が決まっていたとでも言うのか、と。
「考えはそれぞれだ」
イゼフもまたカナトと同じように、「神官」の考えを押しつけようとはしなかった。
「人の子に神の手は見えぬのだから」
「だが、ピニア殿にはその一端が見えるのだろう」
ラスピーシュが言った。
「予知の力を持つ者が見た未来は必ず実現される。これはやはり『定まっている』ということになるのではないかな?」
「命題としては興味深いが、別の機会にいたそう、ラスピーシュ殿」
レヴラールが片手を上げた。了承の印にラスピーシュはうなずいた。
「すまなかったね、オルフィ君。私だって、カナト君のことが決まっていたなんて思って納得している訳ではないよ」
彼が何を思っているのか気づいたラシアッド王子が、そっと言う。
「いいさ」
オルフィは手を振った。
「判ってるよ」
「……本当に?」
「何だよ」
「いや」
何でもない、とラスピーシュも手を振った。
「運命が云々はともかく、少なくともジョリス様は、ピニアさんの予言のことがあったから俺に箱を渡したんだろう。でももちろん俺に寄越した訳じゃなくて、タルー神父様に届けるようにと言われた。つまり……」
(ジョリス様は「俺」のことを何か知っていた訳じゃなかった)
(あの人にとって、俺はあくまでもタルー神父、ひいてはラバンネルへのつなぎで)
(「俺」が箱を開けて装着することができると知っていたのは)
「つまり?」
シレキが促した。
「あっ、ええと」
オルフィは考えをまとめた。
「つまり、ジョリス様は、タルー神父様が亡くなったことはご存知じゃなくて」
言い換えて彼ははっとした。
「……神父様は……どうして、殺されたんだろう」
「何?」
「村じゃ、賊の仕業だって言われた。でも偶然なのか? まるでジョリス様の邪魔をするみたいに」
「まさかそれも黒騎士、いや、ハサレックの仕業、か?」
シレキが考えるように言い、リチェリンは口に両手を当てた。
「証拠はない。だが有り得る。あのとき神父様は、あれを持ってたんだ」
「あれ、だと?」
「〈はじまりの湖〉エクール湖の神エク=ヴーの守り符」
ゆっくりとオルフィは言った。




