05 キエヴの民
「しかし何ともご立派な神官さんだなあ。俺が話していないことをしっかり読み取られた気分だ」
シレキが言うのは皮肉ではなかった。彼は心から述べる。
「話すことだな」
イゼフはそれを追従と思う訳でもなさそうだったが、ただ簡単に返した。
「いやいや、別に隠しごとだのって意味じゃない。単に伝える必要がないと言うか、少なくともこの件には関係ない話で」
笑ってシレキは手を振る。
「籠手を継いだ者という意味であれば、オルフィは確かにアバスターの継承者と言えるのではないか」
イゼフはにこりともしないままシレキを見たが、何も言わずに視線を離すと話題を戻した。
「いっ、言えるとかどうとか、言葉遊びじゃないだろ」
オルフィは声を裏返らせた。
「だいたい……あんたがそんなふうに言うなんて」
彼はレヴラール王子を見た。
「〈閃光〉アレスディアが王家の宝であるのは、アバスターの言葉があってこそだ。我々はあの籠手を所持したいのではない。有事の際に役立てるためにこそ保管していた」
レヴラールはオルフィを強い目線で見ていたが、そこに悪感情は見当たらなかった。それどころか、王子の言葉はこう続いた。
「アバスターが籠手とその力を託した相手が貴殿であるなら、私は助けを請う立場だ」
「ちょ、ちょっと待てよ」
オルフィは慌てた。
「お、俺は……」
「殿下、あまり軽々しいご発言は」
キンロップが渋面を作った。
「軽い気持ちではない。だからこそはっきりと言葉にしている。ラスピーシュ殿下もおいでの前で、な」
祭司長が他国の王子を気にしていること、レヴラールも判っていた。しかしそこで言葉を濁すのではなく、明言することで自らの決意を示すのだと。
「オルフィ殿」
「えっ」
思いがけず敬称がついた。オルフィは目をしばたたく。
「改めて、貴殿の口から聞きたい。以前に隠そうとしたことは不問とする」
「あ……ああ、そう、だな」
ジョリスの持ち出した籠手を何故オルフィが身に着けているのか。その話はレヴラールにきちんと伝わっていないはずだ。
(……それを尋ねるのをこの段まで待ったってのは)
(仕方ない、そろそろ王子殿下への評価を改めないとならんかな)
オルフィのこれまでの印象では、レヴラールは「自分の怒りを優先して発言する人物」だった。若者であれば致し方のないところもあるし、王子という立場ゆえにそれを許される、或いは叱責されにくい。改まるとしても当分先だろうと思っていたのだが、どうやら彼はそうした段階を一気に飛び越えたようだ。
「ジョリス様とは、南西部で偶然お会いした」
内心に浮かんだものをすっと隠し、オルフィは続けることにした。
「あの人がタルー神父様を捜していたというのは前に話した通り。もっとも、ジョリス様はタルー神父様が知っていたはずの誰かの居場所を知ることが目的だった。俺が聞いたのはそこまでだけど、あとあとになってヒューデアと推測したところでは、その探し人はラバンネルだろうって話になった」
彼はヒューデアを見た。
「その通りだ」
キエヴの若者はうなずいた。
「俺はジョリスから手紙を受け取った。彼は、キエヴの長とピニア殿の予言の一致が気にかかると言っていた。ふたつの予言の共通点は〈閃光〉アレスディア。その封印を解くべしということだった」
「私が……?」
ピニアの目はまだ潤んでいたが、名を呼ばれた驚きに顔を上げた。
「覚えておいでではないと聞いたが、ジョリスの手紙にあった。『箱の封印を解け』『カルセン村のタルー神父がラバンネルの手がかりを知る』――それがピニア殿の言葉だ」
ヒューデアは占い師を見た。
「我が長の言葉は『昔の星が蘇るとき、この国は大きく揺らぐ。崩壊をとめるには閃光が目覚めなければならない』それから『黒い魔剣が世を乱す』。ラバンネルに封印された箱、そしてその箱に眠る〈閃光〉アレスディア。二者の言葉はどちらもアバスターの籠手が必要だとしていた」
「オードナー殿は占い師殿の予言について我ら……私とコルシェントに告げたが、全ては告げていなかったということか」
キンロップが言う。
「成程、王家の宝を持ち出して封印を解くなどという話になれば反対されることは必至、黙ることを選んだのであろうな」
「だがそれは国を守るためだ」
ヒューデアが強く口を挟んだ。
「ジョリスは私利私欲のために動いたのではない。彼は、キエヴの長の予言などと言っても王城で相手にされないことは判っていた。自ら行動するしかなかったのだ」
ぐっと彼は拳を握った。
「責めたつもりではない」
銀髪の青年が何に反応したか気づいてキンロップは首を振った。
「ひとりで決断し実行する前に話してくれていたらとは思うが、もう済んだことだ。実際、あのときオードナー殿が箱を持ち出すなどと言い出せば、彼の予測通り私は断固反対し、宝物庫の警備を強化することも考えただろう。もしそうしていればどうなったかは判らないが……」
「同じだったかと」
イゼフが言う。
「ジョリス殿にコルシェントが手を貸したのだ。彼はナイリアン城から離れたところで箱の解封に取り組むつもりだったのだろう」
「成程。魔術を使えば通常の警備など意味がない」
苦い顔でキンロップはうなった。
「城内を魔術から守るべき宮廷魔術師が悪道に陥ちては……いや、繰り言はよしましょう」
「キエヴと言ったな?」
レヴラールはヒューデアを振り返った。
「北のキエヴのことか」
「ああ」
キエヴの青年はうなずいた。
「『北の蛮族』だ」
その自虐的、或いは攻撃的な台詞に、レヴラールは一瞬怯んだようだった。
「ヒューデア」
忠告するようにイゼフが青年を呼んだ。
「……判っている」
唇を結び、ヒューデアはうなずいた。
「キエヴの民も、我々に反感を抱いているのか」
「殿下」
「よいのだ、キンロップ。この際、はっきりさせておきたい。どうだ、ヒューデア」
「反感を抱いているのはそちらだろう。そもそも我々に、始祖だの真の王だのを名乗る気はない」
ヒューデアは訥々と語った。
「だがよい機会だ、これだけは言っておく」
その口調を耳にしたイゼフは案じるように眉根を寄せたが、今度は黙っていた。
「我らの村が八大神殿を信仰しないとして〈ドミナエ会〉に荒らされたとき、ジョリスとイゼフ殿が加勢をしてくれた。もっとも彼らは国や神殿の命令でやってきた訳ではない。彼らはそれぞれ報告を上げたはずだが、何の音沙汰もなかった。いや、それはかまわない。連中を放置しておくのはどうかと思うが、いまはそこを糾弾したいのでもない」
淡々とヒューデアは続けた。
「彼らのような人物を中枢近くに置いているナイリアンを煙たく思うことはないが、それでも我らは国の庇護など必要としない。戦う力を持ち、自らを守ることができる。だがそれをして反乱の意思があるなどと取られて弾圧されれば、抗うことになるだろう。そうならないためにも、これからも放っておいてもらえばそれでいい」
キエヴの若者は言い切った。きわどい言い方でもあったが――キエヴはナイリアンに属していない、という宣言にも取れる――、イゼフもキンロップも咎めなかった。
オルフィはきゅっと拳を握った。それは、ヒューデアの気持ちが痛いほど判ったからだ。
(エクールの民はまさしくそうした疑いをかけられ、危険なところだった)
(命じたのは先々代……レヴラールの曾祖父だが、これから先もいつ真摯な忠告が反意と取られるか判らない)
(王家との関係はキエヴのようにきっぱりと絶った方がいいのかもしれないな)
下手に忠言をなどと考えるから、エクールは睨まれた。そうとも言える。
(だが、エクールでは全て湖神の意思次第。湖神がナイリアンを守らんとするのなら、関わらないと決めることに意味はない――)
「しかし」
レヴラールは返答に迷ったようだった。彼の立場としては「判った、放っておく」とも言えまい、というのも理解できた。
「失礼ながら」
イゼフが声を出した。
「ジョリス殿がキエヴ族との繋がりであったと言える。かつてナイリアンの騎士たちは頻繁にキエヴを訪れていたが、その関わりを続けていたのはジョリス殿だけだった」
神官は説明を続けた。
「彼が首都とキエヴを結ばなければ、〈ドミナエ会〉の騒動があったあとにキエヴ族はナイリアン国に見切りをつけたかもしれない。武器を取るようなことこそなくとも、従うことを拒めば、結果としては争いが近づいたろう」
「……定期的に騎士の派遣をせよ、とでも?」
「いや。『任務』では意味がない。キエヴの者たちは見張られていると感じよう。ジョリス殿だからこそできたことだ。将来のことを考えるのならば彼の意思に同調する後継も必要ではあるが、その話はまだよいだろう」
「ジョリスは」
ヒューデアはそっと瞳を閉じ、思い出すようにして続けた。
「黒騎士を追っていると手紙に書いていた。アレスディアがなければ打ち勝てない可能性を考えながらも、見過ごす訳にはいかなかった。そして彼は黒騎士を……或いは黒騎士が彼を見つけ、戦うこととなった」
「……ジョリス様は気づいたんだ。それがハサレックであることに」
呟くように、オルフィ。
「あの人が驚くのは当然だ。ハサレックは容赦なくそこを襲った。それで……」
オルフィは黙った。




