11 お前は何者だ
「ああ」
コズディム神官はうなずき、静かに歩を進めた。祭司長も続く。
「む」
「何と」
そっと奥へ進み、「気配」のある場所にたどり着いたとき、あまり物事に動じない――見せない――ふたりの神職者ですら驚きの声を発した。
「これは」
「リヤン・コルシェント……だな」
書斎と思しき地味な部屋の中央で、ナイリアンの宮廷魔術師であった男は仰向けに倒れており、苦悶の表情を浮かべたまま動かなくなっていた。
「アスト・ラムラマス」
静かに聖言を唱えたのはイゼフだった。
「……ふむ」
キンロップも死者への祈りの仕草をすると、あまり乗り気でないという様子を隠さず――「祭司長」の顔を見せるべき相手はいないからだ――コルシェントの近くに膝をついた。
「外傷は、ないようだな」
「彼は何か病を?」
「聞いたことはないが、もし病の精霊に憑かれたならそれを弱味と考える人物だ。もし何か徴候があったり、仮に医師から重篤な病だと告げられていても、誰にも言いそうにない」
「成程」
判ったというようにイゼフはうなずいた。
「責任者としては失格だな」
「このように突然倒れて死することのあらば、あとの混乱は必須」
継ぐように言ってキンロップは皮肉っぽく口の端を上げた。
「もっともこの場合、どちらでも同じだったが」
生きていたところで、前任者という扱いでもない。宮廷魔術師が突然いなくなったという意味では生きていようと死んでいようと同じ。
「心の臓が弱いものは極度の緊張や恐怖で鼓動をとめてしまうこともあるが……しかし」
「彼がそれに相当したとは思えない」
イゼフは容赦なく評した。
「彼に魔術師の敵がいたのだろうか」
キンロップは顔をしかめて考えるように言った。
「だが、『もし』私が彼の敵であれば」
少し皮肉っぽくキンロップは言った。
「こんなときに死なせはせぬ。いまは好機だと考える。さっさと殺してしまうより、評判を地に落として自尊心をずたずたに」
「祭司長殿」
たしなめるようにイゼフが呼んだ。キンロップは気軽に手を振る。
「私がそうしたいと言っているのではない。第一、私は彼と敵対したことなど一度もないのだからな」
「他人はそう思わなかろうが」
「反対の立場に立つことと敵対することは違う。……貴殿に言っても意味はないな」
「無い」
イゼフ自身は判っているが、ほかの人間がどう思うかは別の話。もとより「魔術師対神官」という構図は遙か昔、カナチアス・ケイスト一族が魔術で世界を支配しようとした時代から脈々と続く伝統だ。たとえキンロップとコルシェントがもっと穏やかにやっていたところで人々は彼らを反目し合っていると考えただろう。
確かにキンロップはコルシェントが魔術師だという時点で気に入らなかったし仲良くする気もなかったが、それでも「敵対」した覚えはない。
「魔術師、だと思われるか」
問うたのはイゼフだった。
「何?」
「彼を殺した人物だ」
「毒物というような可能性も皆無ではないが……」
「どっちも、外れ」
くすっと笑う声がした。神官たちはぱっとそちらを見やる。
「何者だ!」
北の窓の掛け布が風に大きくふわりと揺れた。開け放たれた窓の向こうで、頬杖をついて笑みを浮かべている青年がいた。
「誰かやってくる気配がしたんで、とりあえず隠れようとしたんだが、いい場所がなくてね」
「――お前が下手人か?」
慎重にキンロップは問うた。
「はは、まさか」
青年は陽気に笑った。
「宮廷魔術師殿を殺害しておいてすたこら逃げ出さず、新来者の様子をうかがった上にわざわざ姿を現す犯人がいるかな?」
「企みごとがあれば、その可能性もあろう」
キンロップは顔をしかめた。
「貴殿は」
イゼフが驚いた顔を見せる。
「知り合いか」
キンロップはちらりとイゼフを見た。
「知人と言うほどではないが、彼は」
少し戸惑ったように神官は続ける。
「……瀕死とまではいかずとも、かなり重篤な状態にあったはずだ」
「あー、あれはだね」
ラスピーは口の端を上げると窓枠に手をかけ、ひらりと室内に飛び込んできた。
「魔術の影響を消すには、申し訳ないが神官殿の神術や薬湯より魔術薬が効くんだ。イゼフ殿やヒューデア君の留守に、ひとりの少年魔術師君が見舞いにきてくれてね。魔術薬と引き換えにオルフィ君の行き先を話したらまた飛んでいってしまった」
ひらひらとラスピーは手を振った。
「どうしているのかな、彼もオルフィ君も。無事だといいが」
「お前は、何者だ」
改めてキンロップは問うた。
「そして、コルシェントは何故死んだ」
「自殺」
ぱっと両手を上げて、青年はさらっと言った。
「自殺だと?」
祭司長は口を開けた。
「馬鹿な……」
「どうして? そんな性格ではなさそうだからかな?」
「それもある」
キンロップはうなった。
「だが何より、死のうと考えている人間は金品を集めて袋に詰め込んだりはしない」
「確かに、逃げるつもりだったんだろう。だが私がそれは甘いと教えてやった」
にやりと笑ってラスピーは指を一本立てた。
「ちょっと酷く脅しつけすぎたとは思ったが、湖神だって邪神じゃないんだから」
「湖神」
イゼフが反応した。
「エクール湖の神のことか」
「その通り」
ラスピーはうなずく。
「この彼は湖神エク=ヴーの力を我が物にと企んでいた。私は少々、その辺りのことに詳しいからね。湖神は人間に操れるような代物じゃないと諭した上、神子を貶めようとしたからには、それはもう怖ろしい罰が待っていると」
「ま、待て」
祭司長は制した。
「エク=ヴー? 湖神の力だと?」
「神子を探していたというのは、神子を押さえて湖神を操るためか……愚かしい」
イゼフは息を吐いた。
「その通り」
またしてもラスピーは言った。
「だが、脅されて素直に怯えるような男ならこんな大それた真似はしておらん。自死などとは」
「ああ、言い直そう。彼は死ぬつもりだった訳じゃない」
青年は肩をすくめた。
「『神』から身を守れるほどの術を編もうとしたんだ。まあ、これも大それた真似だな。魔力が強いからこそ考えるんだろうが、所詮、人の子の身。気の毒にしくじった」
ぱん、と彼は両手を打ち合わせた。
「ピニア、というのは占い師の名前だったね?」
「……そうだ」
それが何だ、とキンロップはラスピーを見た。
「彼の最期の言葉だよ。ふふ、恋情が高じて軟禁とはね。ずいぶん歪んでいたようだけれど、もともとはそれほどねじ曲がった根性の持ち主でもなかっただろう。増幅させられたかな」
「何?」
「いいや」
何でもない、とラスピーは手を振った。
「ともあれ、強すぎる魔力は彼自身に逆流してその鼓動をとめてしまったんだ。大魔術師ともあろう者が失敗したのは焦燥感ゆえか、それとも一種の天罰かな、祭司長?」
小首をかしげてラスピーは尋ねるように言った。キンロップはそれには答えなかった。
「はは、失敬。天罰など、神に仕える方々の前で気軽に口にする言葉ではなかったな」
「もう一度訊くとしよう」
青年の謝罪の仕草に何か返すこともせず、キンロップはラスピーの目を見据えた。
「お前は何者だ」
「……その答えは、もう少しあとにさせてもらおう」
笑みを浮かべたまま、青年はそう言った。
「さ、この思いがけない結末……決着を王子殿下に伝えに行かないとならないんじゃないかな?」




