02 きっと、神様の罰が
「ルタイの砦に連絡は?」
「まだだ。それどころじゃなくてな……」
大声で喚きこそしないものの、村人はみな動じ、怖れ、嘆いている。よく知る人物の死に。そして「聖職者の殺害」に。
「そう、か」
当然のことだろう。
「リチェリンは」
オルフィはそれから再び問うた。
「どこにいるんだ」
「おそらく教会にいるだろう」
返答をもらうとさっと感謝の仕草をし、オルフィは小走りに教会へと向かった。
(リチェリン)
(どんなに衝撃を受けてるだろう)
賊に襲われなかったとしても、悲嘆と恐怖に苛まれているに違いない。
彼が支えて、やらなければ。
「――リチェリン!」
教会の入り口をくぐったところは礼拝の間だ。誰もいない空虚な空間にオルフィの呼び声が反響した。
(奥か)
(そうだよな)
ここは神父が信者と、それとも神が神父を含めた信者と、心や言葉を通わせる場所だ。こんな不測の事態が起きたいま、リチェリンは神父を手伝っている――手伝っていたほかの人物と一緒に、奥の部屋にいるのだろう。
普段は許可をもらわない限り礼拝の間より先には行かないが、いまはそんなことを言っている場合ではない。だいたい、許可をくれる人間もいない。オルフィはかまわず、祭壇の左にある扉を開けた。
「リチェリン!」
そこでもう一度呼ぶ。奥には部屋がいくつかあって、どこにいるものか見当がつかなかったのだ。
数秒の沈黙のあと、遠慮がちにひとつの扉が開いた。それはオルフィが足を踏み入れたことのない、タルーの私室だった。
「……オルフィ」
酷く顔色の悪い娘が彼を呼んだ。オルフィは走ってリチェリンの傍に寄った。いつもなら教会のなかで走るなどすれば叱られてしまうが、このときは彼女もそれを咎めなかった。
「あの……いま、大変なことが、起きていて……」
「判ってる」
彼はうなずいた。
「外で聞いた」
「……そう」
どこか呆然とした様子でリチェリンは相槌を打った。
「もしかしたら、ナイリアールへの出立の、祝福を? でも、ごめんなさい。いま、そういうことができる人は、いなくて」
「判ってる」
彼は繰り返した。
「俺がきたのは……」
オルフィは言葉をとめた。何と言ったらいいのか判らない。
〈白光の騎士〉ジョリスに出会ったのだという話は、しかしいま、こんな状況下ではしゃいでする話ではない。
「タルー神父に渡してほしいというものを預かって」
誰からという詳細を省いてオルフィは言った。
「そう」
判ったと言うようにリチェリンはうなずいたが、本当に判っているのか甚だ怪しかった。
「神父様は……部屋に?」
そっと彼が問えば、娘はこくりとまたうなずいた。
「どうして……」
神助見習いは両手で顔を覆った。
「いったいどうして、こんなことに。ああ、神様。神父様がいったいどんな不義をはたらいたと仰るのです。どうして、彼をお守り下さらなかったのですか……!」
声は大きくなかったが、悲痛だった。オルフィはそっと手を伸ばし、リチェリンを抱きしめた。
恋する娘を腕に抱いていても、喜びは少しも浮かばなかった。
どうしてこんなことに。
それはオルフィの内にも同じように湧いていた気持ちだった。
先ほどまでは、リチェリンにジョリスの話をすることばかり考えていた。彼女が驚くだろうと。自分のことのように喜んでくれるだろうと。ただ、そんなことばかりを。
「オルフィか」
神父の部屋からもうひとりの人物が現れた。
「ニクールさん」
オルフィはぴょこりと頭を下げた。リチェリンも顔を上げ、そっとオルフィの腕から離れる。これは何も「抱擁を見られて恥ずかしい」などというものではなく、毅然としなければという気持ちによるものだろう。
ニクールはオルフィより十歳ほど年上の村の青年で、タルーに頼まれていろいろな雑用をこなしていた。リチェリンとは親しいが、妻子ある誠実な男であるから、オルフィも妙な心配や嫉妬をしたことはなかった。
「事情は……?」
「だいたい」
若者はうなずいてみせた。そうか、と青年もうなずき返す。
「その、神父様に……お会いできるかな」
躊躇いがちにオルフィは問うた。
「ああ」
ニクールはうなずいた。
「つい先ほど、その」
彼もまた言いにくそうにした。
「きれいに、したところだから」
それが何を意味するかは判った。オルフィは血まみれの遺体を想像して少しぞっとした。
「あの」
そっと彼はニクールに近寄った。
「きれいにしたってのは、誰が?」
小声で尋ねる。青年は一瞬、何を尋ねられたのか判らないという顔をしたが、すぐに気づいた。
「俺やサクトンや……村の男たちだよ」
リチェリンではない、と彼は答えた。オルフィはほっとした。
「ご挨拶をするか?」
「じゃあ、少しだけ」
うなずいてオルフィは、神父の私室に初めて足を踏み入れた。
簡素な寝台の上で、身体を敷布で覆ったタルー神父は、まるで眠っているかのようだった。だがその胸が呼吸に上下することはない。もう二度と。
オルフィは哀しみと、そして憤りを感じた。
どうしてこんなことに。
(神父様)
彼は寝台の傍らに行くと、そっとひざまずいた。
タルーの年齢はよく知らない。六十は超していたものと思うが、そういった大雑把な辺りしか。
首都から赴任したという話は知っているが、オルフィの知る神父はいつもこのカルセン村周辺で優しく人々を見守っていた。子供たちに神々のことを教え――無論オルフィもリチェリンも教わった――、人々の告解を聞き、冠婚葬祭を司った。頭ではタルーがいつか世を去ること、普通に考えればオルフィたちよりずっと早く神の御許へ召されるだろうことは判っていたけれど、またずっと先の話だと思っていた。
それは彼が健康だったからというだけではない。心のどこかでは、理屈に合わないことに、この神父様はずっとずっと南西部を見守り続けてくれるものだと思っていた。
(こんな酷いことをした奴には、きっと、神様の罰が下りますよね)
そうとでも思うしかなかった。神父が生きていたなら、彼を傷つけた賊にすら許しを与えようとするかもしれなかったが、オルフィはそんなふうに思えなかった。
彼はあまり熱心に教会に通ってはいなかったが、タルーのことは好きだった。つい昨日だって、リチェリンの話を聞いて何か必要なものはなかったかと真剣に検討してくれた。結果としては何もないということになったのだが、簡単に切り捨てずにきちんと考えてくれたことが嬉しかった。
オルフィはしばらくじっと、彼にできる限りの祈りを捧げた。
神父が冥界への道に迷うはずはなかったが、それでも、どうかラファランの導きが順調であるようにと。
「何か、俺に手伝えることがある?」
祈りを終えるとオルフィは部屋を出て、ほかの村人に何か指示を出していたニクールにそう尋ねた。
「有難う。そうだな……」
ニクールは考えた。
「もしよかったら、届けものを頼まれてくれないか」
「え?」
確かにそれは彼の仕事だ。だが意外だった。いまは葬儀の手伝いだとか、そうしたことの意味で申し出ていたからだ。




