11 できることを
「すまなかった」
ジョリスに尋ねるようにしてしまったことにだろう、レヴラールが謝罪の仕草をした。
「ではジョリス。俺からも命じる。明らかに俺たちの話が間違っていてどうしようもないと言うのでない限り、一言も発するな。細かい点の差異は、いまはよい。眠っていろと言いたいところだが、それは聞かぬであろうからな」
その言葉に騎士はわずかに口の端を上げて――笑ったのであろう――胸に手を当てた。レヴラールはまたうなずく。
「イゼフ殿。もう少し聞かせてくれ」
王子は神官に要請した。
「オルフィという若者は、アバスターとラバンネル、両英雄に力を託された者……彼が籠手を手にしたのはそう在るべき神の導きによった」
イゼフは八大神殿全てに共通する祈りの仕草をした。
「だがまだその全貌は明らかではない。彼らが伝えなかったことが多いからだ」
「アバスターか。あの籠手を残した剣士だ、実在することは判っていたが……しかしどこかでは物語のように感じていた」
レヴラールは両腕を組んだ。
「本当に、存在するのだな」
「殿下は実際の活躍をご存知ありませんから、そのように感じられるのも不思議ではありません。ですが我々世代にとっては、アバスターはナイリアンの騎士同様に信頼と尊敬の対象でありました。いまでもです」
珍しくもキンロップは感慨深げだった。
「〈ドミナエ会〉を使って私を追い落とすコルシェントの企みを事前に見抜けなかったのは痛いですが、彼らがこの日のために籠手を残したことを思うと、何と申しますか……まるで若い日の、何の権力もなかった青年に戻った気持ちで、英雄に協力を求められたような誇らしい気分になっているのです」
「……この日のため?」
レヴラールは聞き返した。
「アバスターは知っていたと言うのか? 三十年の月日を経て、再び起こることを?」
「具体的に知っていたということはありますまい。ラバンネルとて予知者ではなかったと聞きます」
「ふむ……」
レヴラールは考えるようにしたが、息を吐くと首を振った。
「いや、その辺りはあとで聞くとしよう。この件はまだ終わったとはとても言えぬ。ハサレックの行き先は見当もつかぬが、コルシェントの方はピニアの館だとか」
「ええ。生憎と私は魔術師のように跳んでいくことも、暴力的な術を使うこともできませんが、少なくとも責任ある立場の者としてやるべきことがあります」
「魔術の……いや」
いかに祭司長と言えども、攻撃的な魔術を戦わせているかもしれない場で何が可能であるのかと、レヴラールはそうした疑問を思い浮かべたが、口にするのは避けた。
それはキンロップを信じようと考えたからだった。
「任せる。俺が必要であれば出向くが」
「いえ、殿下はこちらにいらして下さい」
祭司長は首を振った。
「誰か……そうですね、サレーヒ殿がよろしいでしょう。それから、モンバサ侍従長。彼らを呼んでおきます。コルシェントの術が騒ぎを外に洩らさぬようにしておりましたが、もう騒ぎは飛び火している。このあとの対応をご相談下さい」
「サレーヒ殿のところをヒューデアという若者が訪ねているはず。信頼できる者で、腕も確かだ。彼はキエヴの生まれで王家を快く思ってはいないが、仇なすことはない。殊に、どちらに正義があるか明確であればなおさら」
「――つまり?」
「この場に間に合わなかったと知れば彼も悔しがろう。騎士の代わりとはいかぬだろうが、随所の警護には協力を惜しまないはずだ」
言外にイゼフは、一時的にでもグードの、つまり王子の護衛の代わりにと告げていた。レヴラールは即答を避けたが、少なくとも拒否はしなかった。
「それに彼は、いち早くジョリス殿の生存を知る権利がある」
神官はそれをつけ加えた。レヴラールは何か問いたげにしたが、きゅっと唇を結ぶとうなずいた。
ジョリスという人物が他者にどれだけ影響を与えるか、それは彼自身がよく知っていることだ。
「ではイゼフ殿は」
「ご一緒しよう」
イゼフはキンロップに答えた。
「判った。それでは」
神官たちは王子に礼をして部屋を出た。
それから少しの間を置いて、ようやく駆けつけてきた者たちが再び部屋を騒がしくした。
先日の襲撃の驚きも冷めやらぬ内に起きた二度目の出来事に衛兵も使用人も顔を青くして硬直したが、とにかく部屋の片づけと、それから呼ぶべき人物など、毅然とレヴラールが指示したことによって、動き出すことができた。
みな緊張していて大声を出したりはしなかったものの、急に「動く人間」が増えただけで騒々しく感じられるものだ。ましてや、罪人とされた〈白光の騎士〉が衰弱した体で座っている様は、彼らを驚愕させた。
「話はあとだ」
王子は手を叩いた。
「医師のところへ……いや、医師をここへ。俺が話す」
ジョリスに負担をかける訳にはいかないのだと思い出して、彼は命じた。
「公表があるまで余計な噂はするな」
それからそう禁じたが、完全に封じることは難しいだろうとは判っていた。もっともジョリスの評判は、一時期はレヴラールが腹立たしく思ったほど高いものだ。立つであろう何の根拠のない噂は全て、ジョリスに好意的なものであるに違いない。
この状況で、レヴラールは立派な対応をしたと言えた。
ほんの数十分にも満たない間に何が起きたのか、よく判っていると同時に、まだ理解できないところがあった。
ジョリスの件以外は、嘘だと否定したくなる出来事ばかり。コルシェントのこともハサレックのことも、何よりグードのことも。
全て事実であることは、判っていた。
試練を乗り越えると誓った気持ちも本当だ。
ただこのときの彼は、この場を的確に処理することだけに心を費やした。
何かしている間は、痛い思いも蘇ってこない。そうした気持ちも、まだ少しだけ、存在した。
「――お待ち下さい」
戸口の方で声がした。室内の使用人たちは異常事態への緊張のあまりほぼ無言だったため、その声は妙に響いて聞こえた。
「こちらは……いまは、お入りになれません」
衛兵が誰かを制止していた。レヴラールはそちらに目をやった。そして軽く目を瞠る。思いがけない人物がそこにいた。
その人物は衛兵に何か言った。すると兵士は困ったように身じろぎし、その脇を――彼女は抜けてきた。
「ウーリナ殿」
レヴラールは戸惑った。
「……失礼だが、いま、貴女とお話をすることは」
「いまの兵士の方にこう言いましたの」
かまわず、ウーリナ王女は笑みを浮かべた。
「私が入ってはならないのでしたら、あなたが私の代わりにレヴラール様を抱き締めてくれますの?……と。困らせてしまいましたわ」
「何を」
王子は目をしばたたいた。と、ウーリナはそっと手を伸ばして言葉の通りに彼を抱き締めた。
「ウーリナ殿」
「――何があったのか、それはわたくしには判りません。ですが判ります。レヴラール様が強い哀しみに彩られていらっしゃること」
静かにウーリナは囁いた。
「私には、できることが少ない。とても口惜しく思うこともあります。でも、だからこそ、できることを大事にしたいのです」
レヴラールは黙って、されるままになっていた。
それはまるで、少女が大きな猫を撫でてでもいるかのようだった。
王子であるとか、その婚約者候補の王女であるとか、そうしたことはこのとき、彼らの頭のなかにはなかった。
ここにいるのは、ただ友の死を哀しんでいる若者と、その哀しみを少しでも軽くしたいと考えている少女。それだけだった。
静かに立ち働く使用人たちがいるのも忘れたように、レヴラールはウーリナの腕のなかで、初めて涙を流した。
(第4章へつづく)




