10 代理人と言うよりも
「殿下」
キンロップは呼びかけた。王子は首を振った。
「お前の言わんとすることは、判った。だがまだ、気持ちの整理がつかない。あと少しだけ時間をくれ」
「――判りました」
仕方のないことでもある。キンロップはうなずいた。
「イゼフ殿、祈りを任せてもよいか」
「私のような外れ者でよろしいので?」
皮肉でも卑下でもなく、イゼフはただ確認するように尋ねた。
「たとえ異なる道を進んだことがあろうとも、戻ってきた者は外れ者ではない」
キンロップはそうとだけ言った。
「では」
進み出るとイゼフはグードの傍らにひざまずき、聖印を首から外して握った。
「コズディムよ……気高き御魂に慈悲を……」
緑色の瞳を閉じて神官は聖句を口に上せた。キンロップは唱和し、レヴラールも瞳を閉じた。ジョリスも立ち上がろうとしたが、気づいたシレキがそれを制し、座ったままで印を切ることになった。
(グード)
(俺は少しでも、お前に報いていたか?)
(よき主だと……たとえいまは未熟でも、やがてはよき君主になると、本当にそう思えたか)
(俺自身には思えない)
(お前が決して反論しないことを知っていながら言葉の刃でお前を傷つけようとした)
(それはお前の目に、ただの痛々しい子供としか映らなかったのではないか)
(詫びすら口にできぬまま)
(俺は)
彼自身が刺されたかのように心臓が痛んだ。胸が苦しくなった。レヴラールは大きく息を吐き、呼吸を整えようとした。
取り返しが、つかない。
死者は決して、帰らない。
たとえ魂がそこにとどまろうとも。
(いや、とどまってはならぬぞ、グード)
(精霊の導きを受け、ラ・ムールの大河へと行け)
(俺は)
王子は目を開いた。
(この試練に立ち向かう)
それは何も突然の喪失による哀しみということだけではない。
彼にはもう判っていた。
ジョリス・オードナーは生きていた。その驚愕と喜びは、計り知れないほど大きなものだ。
しかしそれですら打ち消せないものがある。
コルシェントの陰謀、ハサレックの裏切りが明るみに出れば――もちろん、隠すつもりはない――ナイリアンは大きく揺れる。
国王の病状は思わしくないまま、仮に持ち直したところで国政は難しい。元通りに回復するとしてもだいぶ時間がかかる。現状、実質的にはレヴラールが君主も同然だ。即位を早めるべきだという声も多く上がろう。
彼の学問はまだ足りない。優秀な助言者が多数必要だ。だが平穏なときでも王の交代には多少の混乱が生じるもの。それがいまは問題が山積みである。彼の道は歴代の新王が通ったもののなかでも極めて険しいものになるだろう。
(だが、俺は必ずこの混乱を治めて見せよう。グード、お前が大河で惑うことのないように)
(俺は、必ず)
レヴラールが誓いを胸に刻んだとき、イゼフが顔を上げた。
「――ラファランが彼を連れました」
それは神官の決まり文句であるのか、はたまたイゼフには何か感じ取ることができたのか、王子には判然としなかった。
「葬儀などの相談は、ご家族ともする必要がありますが」
「判った。連絡をしよう」
冷静を装って王子はうなずいた。
つらい務めだ。だが自分で行おうと彼は思った。何と言えばよいのか判らない。事実をどこまで伝えてよいものか、キンロップと相談するべきだろう。しかしこれだけははっきりと言える。
護衛剣士グードは、ナイリアンの第一王子を守るというその使命を果たして倒れたと。
騎士の座に、いや、それ以上のものに相応しい男であったと。
「すぐに神殿から使いを寄越しましょう。ですがそれまではどこか……寝かせられる場所を」
「俺の寝台に」
レヴラールは即答した。キンロップは少々躊躇いを見せたが、異論を挟むことは避けてうなずいた。イゼフが何も言わずグードを抱え上げる。細腕に見える神官にしては意外な腕力であった。やはりレヴラールも黙ったまま隣室の寝台を案内した。
血は既に――鼓動とともに――とまっていたが、まだ乾ききってはおらず、イゼフの衣とレヴラールの寝台を赤く染めることになった。コズディム神官がそれを厭うことは無論なかったが、まだ数十分も前の話ではないのだという生々しさが浮き彫りにされるようで、レヴラールはまた呼吸の苦しくなる思いを覚えた。
「すみません、殿下、祭司長、それから神官殿」
そこでシレキは咳払いをして片手を上げた。ふっと空気が変わる。
「もう十二分に時間を食っちまった。俺はオルフィを追います。くれぐれもこの人の動向に注意して下さい」
彼はジョリスを見た。
「ろくに動けやしないのに、何をしでかそうとするか判りませんからね」
「判った」
イゼフが答えた。
「ジョリス殿の気質は理解しているつもりだ。縛り付けてでも、どこにも行かせぬようにしよう」
「イゼフ、殿」
言われた〈白光の騎士〉は困ったような顔をした。
「それじゃ、あとはよろしく」
王子の前から退出するにはずいぶん軽い挨拶だったが、誰もそれを咎めなかった。
みな、理解していたからだ。
まだ、終わっていないこと。
魔術でその場に現れ、大魔術師たるコルシェントの魔力を抑え込み、オルフィを魔術で送り届けた男は、しかしその場から消え去らず、慌てたように走って行った。
それを見た残りの一同はいささか呆気にとられたが、何故だと尋ねられる当の相手はもういない。ただ見送るしかなかった。
「しかし、本当に彼らに任せきりにする訳にもいきません」
それから王子の方を見ると、キンロップが言った。
「いかに英雄たちの代理人であろうと」
「英雄たち?」
レヴラールは片眉を上げて聞き返した。
「代理人と言うよりも」
イゼフがそっと言った。
「彼らは継承者とするのが相応しいかもしれぬな」
「継承者……」
繰り返して王子は首を振った。
「どういうことだ。あのオルフィや、シレキという男は何者なのだ。英雄と言うのは、アバスターのことか?」
「ええ。アバスターと、そして彼ほど知られてはおりませんがラバンネルと」
キンロップはうなずいた。
「ラバンネル」
聞き慣れない名を王子は繰り返し、〈白光の騎士〉を見た。
「ジョリスを助けたという人物か」
「はい、殿下。彼のことは――」
「ジョリス殿」
厳しくイゼフが呼んだ。
「話は私が聞く。貴殿に負担のかからないやり方を使う。それまで、口を閉ざして休んでいるように。これは友人としての忠告だが、聞かぬようなら強硬な手段も取るというのは冗談のつもりではない」
珍しくも力の込められた声でイゼフが言えば、ジョリスは嘆息して小さくうなずいた。




