09 捨てた過去
「つらいだろうが、ジョリス殿。ここは耐えていただきたい」
よく知る神官の言葉に、騎士はただうなずいた。
「神に、感謝を」
イゼフの言葉は短く簡潔であったが、彼を知る者には、彼がジョリスの生存を大いに喜んでいることが判ったであろう。
「黒騎士はやはりハサレックでした。ジョリス様が……確認を」
まずシレキは簡単に言った。神官たちは神妙な表情を見せた。
「何だと? キンロップ、お前は知っていたのか?」
「疑ってはおりました」
キンロップは王子に答えた。
「ですが確信は持てず、確証もなかった。私が彼を告発したところで、お聞き入れいただけなかったでしょう」
「そう、だな」
いささか不本意そうに、しかしレヴラールは認めた。
「確かにお前の言う通りだ」
「ところで、貴殿は?」
キンロップはしかめ面でシレキを見た。
「失礼、祭司長殿。私はシレキと申します。魔術師ではありませんが少々の魔力を持っており、ジョリス様をお助けした人物と縁がありまして、あの方をこの場にお連れする役割を果たさせていただきました」
「何だと」
キンロップは目をしばたたいた。
「どういうことだ」
「大導師ラバンネルの名を耳にしたことは?」
「ああ、もちろんだ。アバスターと懇意だった人物で、かの籠手に魔術をかけた人物だろう。……まさか、彼が? いまも存命で?」
「はい。術師はお元気で過ごしていらっしゃいます。ですが」
シレキは少し、躊躇った。
「彼には、かつてのような魔力はありません。過去に、とある事情で大きな術を行使し、その結果として魔力が枯れたような状態になっています。ジョリス様をお助けできたのは彼が魔力の珠を保管していたからですが、珠の力も無尽蔵ではなく、いまは消耗しています」
「つまり、いかな伝説の大導師と言えども、いまは頼れぬということか」
「そうご理解下さい」
「判った」
キンロップは余計な不満などは述べなかった。
「ハサレックの件は。あの男がまた狼藉を働いたのか。まさか」
祭司長の目がグードに向いた。
「ああ」
レヴラールは拳を握った。
「例の、黒騎士の出で立ちで現れた。グードは俺を守ろうとしたが……」
彼はそれ以上、言うことができなかった。
「俺は見ていませんが、だいたいのところは判ります」
再びシレキが引き継いだ。
「彼ら、つまりハサレックとコルシェントは『もうひとりの黒騎士』を作り上げようとした。オルフィです。魔術でハサレックとオルフィを瞬時に入れ替え、彼を殺して黒騎士と、そしてジョリス様殺害の罪を着せるつもりだった」
ぽん、とシレキは左腕を叩いた。
「籠手が証拠になりますからね。それに、死なせてしまえば腕からはぎ取るも容易でしょう」
顔をしかめながら彼はあまり想像したくないことを口にした。
「――俺には」
レヴラールは呟いた。
「俺には、判らなかった。何も見えていなかった。俺はジョリスが裏切り、箱を持ち出して死んだと思っていた。俺の怒りを正当なものとしたコルシェントは、自らの非を認めるように逃げ出し、コルシェントが支持した『英雄』、〈青銀の騎士〉もまた、黒騎士であったと知れた」
「厳しく言うのであれば、殿下は確かに誤られた」
キンロップは言った。
「ですが、我々もまた誤った。腹立たしいことですが、つい先ほどまで彼奴らの掌の上にいたのです」
「彼奴らの話はどこからが嘘だったのか。全てなのか」
「ほとんどは」
答えたのはイゼフだった。
「コルシェントが悪魔の訪問を受けたのがいつであるかは判然としない。だがハサレックについては半年前の、失跡の頃であろうと」
「子供を助けて死地をさまよったことは事実だと言っていたようだが……」
レヴラールははっとした。
「〈ドミナエ会〉のことはどうなのだ。奴らと手を組んでいたのか」
「――いや」
イゼフは首を振った。
「私はその話をするべくやってきた。〈ドミナエ会〉は相変わらず首都を避けて暗躍をしている。神殿の火つけは会の仕業ではないことが判明した」
「何?」
「ただ、ひとりの魔術師に会の名前を貸す約束はしたようだ。首都の神殿に手を出すなどという危険な真似を自ら行わない代わり、その『栄誉』はもらい受ける。代償として、ひとりの生け贄を差し出す約束も」
「どういうことだ」
判らないとレヴラールは顔をしかめた。
「先日、王室で死んだ『黒騎士』は確かに〈ドミナエ会〉の人間だった。だが彼は黒騎士ではなかった。王陛下を傷つけた本物の黒騎士の隠れ蓑になった、彼もまた気の毒な犠牲者のひとり」
淡々とイゼフは語った。
「もっとも、会の名を上げるためという狂信的な理由で生け贄に志願したというのが事実であれば、本人としては満足なのかもしれぬ。ただ死者は弁解ができぬ故、やはり騙された可能性もあるのだが」
「まるで〈ドミナエ会〉の人物から聞いてきたようなことを言うのだな」
レヴラールは目をぱちくりとさせた。
「聞いてきた」
イゼフはうなずいた。
「何? 連中は神官を敵視しているのではないのか」
「……捨てた過去である故、語るのは本意ではない。だが言わねばならぬのであれば言おう。私は〈ドミナエ会〉の前身を作った者のひとりだ」
静かに、彼は告白した。王子は目を見開き、シレキは片眉を上げた。
「あの頃は〈神究会〉と言った」
イゼフは息を吐いた。
「青二才の革命ごっこと指摘されたものだが、まさにその通りだった。私はやがてその理念に疑いを抱き、会を脱した。その後、噂に聞く限りでは、ずいぶんと会は荒れたようだ。〈神究会〉が〈ドミナエ会〉となり、いまのような形になったのは、私の責任もあるだろう」
告白はやはり淡々と行われ、イゼフの胸の内は顕されなかった。
「当時、会を仕切っていた人物はもういない。だが私のことを知っている者が、いまでも会に残っている。彼らにとって私は裏切り者、或いは志半ばで逃げ出した弱鼠だが、私の訪問を拒絶することなく全て話してくれた。権勢を誇るつもりもあったのだろう。それこそ、まやかしだが」
彼らは黙って聞いていた。キンロップもジョリスもその辺りの事情を知っていたが、レヴラールとシレキには初耳だった。
「〈ドミナエ会〉もまた、リヤン・コルシェントに利用された存在だ。自分たちで選んだ道ゆえ、同情の必要はないだろう。しかし黒騎士と籠手とジョリス・オードナー、アイーグ村のオルフィに関わる出来事について、会は第三者であること、理解していただきたい」
静かにイゼフは締めた。
「私が申し上げるのは、おこがましいのですが」
キンロップがそっと声を出した。
「〈ドミナエ会〉をも稀代の悪党集団に仕立て上げることで、コルシェントは私を追い落とそうとしたものと考えられます。事実、あの魔術師は私が責任を持つよう、執拗に言質を取ろうとしました」
「そう、か」
レヴラールは小さく呟き、力なく肩を落とした。
「俺は……俺がもっと早く気づいていれば、グードは」
繰り言だと判っていながらも、王子は言った。彼が気づくことはできなかったのだ。もし何かしらの疑いを抱いたところで、魔術師はそれを打ち消しただろう。もとより、コルシェントが乱暴に「魔術で何もかも偽装してしまえ」と考えたなら、やはりハサレックとグードが刃を合わせたことには変わりなかっただろう。
だが、王子は悔やんだ。
悔やんでも悔やみきれなかった。
「――言葉を語るは生者のみにあらず」
静かに、イゼフが言った。
「いや、たとえ言葉を発することがなくとも……できずとも、心を告げんとする者もいる」
すうっとコズディム神官は腕を伸ばした。自然と、一同の視線がその向こうに集まる。
「何……?」
戸惑ったのはレヴラールだ。イゼフの指はナイリアン第一王子を指しているように見えた。
「迷える魂はラファランの導きを受け入れず、いまだ彼の主を守ろうとここに留まっている」
いや、イゼフが指したのはレヴラールではなかった。
示されたのは、彼の傍ら。そのすぐ隣。
「ん……?」
シレキは思わずと言った体で目をこすった。
「何か、煙みたいな……いや、影……?」
「グー……ド?」
レヴラールは、その煙がいつも彼の少しだけ後ろに立つグードと同じ場所にある、それともいるのに気づいた。
「グード、なのか?」
「まさか……」
「通常、魂は生者の目には映らない。だが思いを強く遺した場合はその限りでもなく……本来、我ら神官の務めはそうした未練を断ち切ることであるが、この場合に置いてはかの魂に再び真意を告げさせることこそが救済になろう」
静かにイゼフが語り、そっと冥界神コズディムの印を切る間にも、煙はうすぼんやりと何かの形を取ろうとしていた。
「ああ……」
ひとのような形を取った煙は、すっとレヴラールにひざまずくかのように見えた。かと思うと、霧が晴れるように、消えていった。
「グード」
王子は顔を覆った。
「手妻などではない。俺には判る。いまのはグードだ」
「殿下……」
気遣わしげに王子を見たのは祭司長だった。彼はちらりとイゼフを見やり、神官がうなずくのを目にとめると息を吐いた。
「レヴラール様。グードの心は、私などが代弁する必要もないでしょう。ですが言わせていただきたい。彼は使命を全うした。そして、死してなお、あなたを守ろうとしている」
キンロップはレヴラールの肩に手を置いた。
「彼の死を悼むのは、悪いことではありません。しかしそうして自らの失態と悔やみ続ければ、彼はラ・ムール河へ向かうことができませんでしょう」
「俺は」
王子はぼそりと声を出した。
「幾つの……過ちを犯したのか。取り返しの、つかない……」




