06 お笑いぐさだ
「『あいつ』がどこに匿っていたかまでは追わなかったけれど。これだけの星が墜ちたら僕らだって注目するもの。瀕死であろうと生きていることは判っていたよ」
「な……」
「お前」
ハサレックが目を細めた。
「俺にも、黙っていたのか?」
「ふふ、ごめんね」
少しも悪いとは思っていなさそうな様子でニイロドスは謝罪の言葉を口にした。
「でも教えちゃったらつまらないじゃない! 君が知っていたら、劇的な再会が台無しだ!」
「……ふん」
ハサレックは唇を歪めた。
「所詮、俺も駒か」
「そうだよ」
もちろん、と悪魔は答えた。魔術師は呆然と口を開けていた。
「お前たち……まさか」
「何だい、リヤン?」
わざとらしい声が言う。
「ああ、そうだ。君の行動で少しだけ面白かったのは、彼女への嗜虐的な行為だね。あれはよかった! ああいうのは悪魔的と言うんだ」
くすくすと笑う声。
「あのときは少し期待したよ。もしかしたら思いもよらず、君も化けてくれるかもしれないと。でも駄目だったね。ハサレックが見せてくれたものには遠く及ばないままだった」
「ニイロドス、貴様、まさか」
コルシェントはうなった。
「私……だけではなかったのだな。お前は私に囁く裏でハサレックにも」
「判ってくれたかい。君は決して頭が悪い訳じゃない。でもだからこそ残念だよ、もう少し面白い脚本を書いてくれなかったかと」
「待て。何なのだ、この声は。何の話をしている」
レヴラールが声を出した。最も状況を把握しきれないのが彼であったかもしれなかった。
「落ち着いたら誰か、説明のできる人間が話してくれるだろう。それまで王子殿下にはお待ちいただくしかないね」
もし、とニイロドスは続けた。
「説明のできる人間が残っていれば、だけれど」
「どういうことだ、貴様は」
「失礼ですが殿下、ここは声の言う通りに」
低く、だがはっきりと言ったのはシレキだ。
「何だと」
「私は魔術の勉強なんざほとんどしてないんですがね、それでも判ることがあります。この声の禍々しさは尋常じゃない」
シレキは苦いものを食べたような顔をしていた。
「口を挟んじゃいけません。耳にするのもできれば避けたいところですが、この場はそうも言ってられませんので」
聞くだけに、と男は言った。レヴラールは口を開きかけたが、何を思ったかそれをつぐんで黙った。
「なかなか賢明な判断だ」
笑いを含んだ声がそんなことを言った。
「そうしてくれると有難いね。殿下もいい素養は持っていると思うんだが、いかんせんまだ若い。そうだなあ、あと十年もしたら殿下の真価が判るだろう。誘導が好きな奴もいるけれど、僕は育成にはあまり興味がなくてね」
好みに育ってくれたらまた会おう、などと声は続いた。
「さあ、どっちでもかまわないよ、黒の騎士たち。勝った方が正義として、僕はこの先も手を貸していくから」
「悪魔の正義か」
ふんとヴィレドーンは鼻を鳴らした。
「いいや、そうは言わないよ。世間の正義になるよう、手を打ってあげると言うの」
「大した皮肉だ」
とヴィレドーンが唇を歪めた。
(〈白光の騎士〉と国王を殺した裏切りの騎士。どんな手妻でも挽回できなかろうよ)
(それに、事実を否定するつもりもない)
「あれ、本当なんだけれどなあ」
ニイロドスはいささか不満そうな声を出した。
「勝てば正義か。そいつはいい」
一方でハサレックは乗り気だった。またはそれを装った。
「それに簡単で判りやすい。子供殺しだの何とかのしるしだの、そうしたしち面倒でどうでもいいことは抜きだ」
「〈白光の騎士〉を殺そうとしたことも? それもどうでもいいことの部類か?」
問うたのヴィレドーンだった。ハサレックは唇を歪めた。
「さて、どうかな。判るのはこの世であんたと俺だけじゃないかとは思うが」
「俺たちの答えが一致するとも限らないな」
「仰る通り」
「何の話を、しているんだ」
コルシェントがようようという体で口を挟んだ。
「ハ、ハサレック……何を知っている……その若造は、いったい」
その視線は「彼」に向いていた。
「『ただの田舎者』にジョリスが大事な箱を渡したと思うか? それに気づけばこの若者に何かあるかもしれないくらいのことは考えるはずだ。もっとも、あんただってそれくらいは考えそうなもの……ということは」
ハサレックは気の毒そうに首を振った。
「制限をかけられていたんだろうな」
「制限だと。まさか……」
繰り返したコルシェントの声には、既に絶望めいたものが混じっていた。
そう、コルシェントは――気の毒にも――愚者ではなく、何が起きているか、起きようとしているか、理解していたのだ。
「その通り、リヤン。君は僕の遊戯盤の駒ではなく、駒を動かすための小道具に過ぎなかったんだよ」
ニイロドスもまた気の毒そうな声を出した。
「もしかしたら大逆転があるだろうかと思ってしばらく眺めることにはしていたけれどね。でも」
なかったね、と声は続いた。
「もういいよ、リヤン。君の出番は終わったんだ。とうに終わってた。あの箱を宝物庫から出した時点でね」
「わ、私をどうするつもりだ」
コルシェントの声は引きつった。
「別に」
悪魔は答えた。
「僕は君をどうもしないよ。だって君とは何も約束していないじゃないか」
助けもしないが殺しもしないと、ニイロドスはそうしたことを言った。
「何だと。お前の望むものを捧げてやったではないか!」
「はははっ」
コルシェントの憤りをニイロドスは笑い飛ばした。
「君が? 自分が捧げたつもりでいるの? ああしろこうしろと指示していただけで? 飛んだお笑いぐさだ!」
「な……」
「やったのは君じゃない。これだけ言えば、判るね?」
「この……」
魔術師は顔を真っ赤にしたが、怒りのあまり言葉が出てこないかのようだった。
「もっともハサレックが勝ったなら、彼の意向次第では君に都合がいいよう調整してやってもいいよ。どうだい?」
「俺に訊いてるのか?」
少し面白そうにハサレックは尋ねた。
「術師には世話になったしな、少しくらい面倒を見てやってもいいと思ってるが」
「何だと……」
「おっと、この言いようは閣下の自尊心がお許しにならないようだ」
おどけたようにハサレックは口に手を当てた。
「ぶっちゃけて言うと、俺にあんたをかばう理由は特にないからな、お勧めは『いますぐ逃げる』だね。ヴァンディルガでもカーセスタでも……この国から離れた方が無難だろうよ」
何しろ、と彼は肩をすくめた。
「ジョリスに箱を渡し、なおかつ彼を殺害してそれを奪おうと画策したのは、お前だからな」
「な」
コルシェントは目を見開き、顔色をなくした。
「貴様……裏切る気か」
「今更だろう? ジョリスが言えば同じことだ。まだ宮廷魔術師の地位を維持できると思ってる訳でもあるまい?」
「ち……よくも」
魔術師は騎士が彼をかばう気が全くないことを知ると、ぎろりとハサレックを睨んだ。
「このことは覚えておくぞ。お前に黒き竜の災いがあらんことを!」
〈七竜の災い〉の物語の内、最も怖ろしく忌まわしいとされるのが黒き竜の災いだった。ほかの六竜はそれぞれ火難、水難などと具体的な事象が当てはめられているが、七つ目の竜にだけはそれがない。その当人にとって死よりも怖ろしい残酷な災いと伝えられるものだ。
「そいつは怖ろしい」
ハサレックは茶化そうとするように笑ったが、あまり余裕ある笑みとは言えなかった。大魔術師と呼ばれる男の捨て台詞には、本当に呪いの力があるかもしれないからだ。
コルシェントはもう一度憎々しげにハサレックを睨むと指を動かし、はっとしてシレキを見た。魔術で跳ぼうとしてもいまの彼はそれを為せない。すると魔術師は、ばっとローブを翻した。
「ま、待て! 逃がすな!」
レヴラールは叫んだが、彼の命令を瞬時に聞ける存在はここにはいなかった。現状のジョリスにはそれが不可能であり、シレキもこの場を離れることをよしとはしなかった。
「彼」は――。
「こいつを置いて飛び出すことはできないな」
ヴィレドーンはそう答えた。
「魔術師を見捨てた、その本当の理由は?」
彼は〈青銀の騎士〉だった男に尋ねた。
「何だと?」
「本当の目当ては? 今更言い訳をする気もなさそうだな。ニイロドスの力があればどんな素っ頓狂な出鱈目だって信じさせることができるということもあるんだろう。となると……」
ヴィレドーンは左手を軽く曲げて身体の前におき、右手でそれを撫でた。
「これ、か」
「籠手か。いくらかは興味がある。だが特に俺が欲しいとは思っていないな」
「ふん、どうかな」
彼は肩をすくめた。
「だがこれだけは言っておく、ハサレック。気をつけろと」
「十二分に、承知だ」
「何に」という問い返しはなかった。「悪魔に」であること、ハサレックも理解していた。
「『俺は生け贄になる気はないし、お前を捧げるつもりもない』」
それからぽつりとヴィレドーンは言った。
「何?」
これにはハサレックも聞き返した。
「そんなふうに言われたことがある。俺もそれを告げておくことにするさ。もっとも、俺は英雄じゃない。彼ほどのことはできんがね」
「……アバスター」
「その通り」
ヴィレドーンは認めた。
「アバスターが『裏切りの騎士』を退治したと、そう伝わってるみたいだな。だがそれは不正確だ。彼は俺に協力してくれた。俺が馬鹿な真似をしないように。だが俺は彼を信じ切れず、ことを起こした。そのあとでアバスターが戦ったのは俺じゃない、ニイロドスだ」




