03 そこにいたのは
そのとき、その場は、凍り付いた。
しかし、生憎なことにと言うのか、木杖をかまえて〈青銀の騎士〉の一打を防いだ年嵩の男は、その場の主役ではなかった。
彼は先触れにすぎなかった。
誰もの目を奪ったのはシレキではなく、オルフィでもなかった。
シレキとオルフィ以外の人物は、突如目前に現れた「事実」にただ愕然とした。
魔術によって姿を見せたのは、シレキだけでは、なかったのだ。
「ま、助っ人なんて言ってみたはいいが、俺じゃ正直、力不足だわな」
その雰囲気を無視するように、気軽な調子を装ったシレキは肩をすくめた。
「それよりは」
静かに、オルフィの肩に手が置かれた。彼がびくりとしたのは――誰もいなかったはずの背後に誰かが立っていたためだけではない。
そう、その場にはもうひとりが、現れていた。
長い木杖をかまえた大柄な男よりも、誰もの目を奪った姿があった。
シレキとてそのことに苦情を述べはしない。もとより彼は、この人物を連れるためにこそ、やってきたのだから。
それが誰であるのか。
それはいるはずのない人物。
オルフィだけが、その顔をまだ見ていなかった。
だが、判った。はっきりと。
いるのだ。こういう人間は。
神に選ばれたとでも言うのか。そこにいるだけで、何か不思議な力を発する。その存在は「違う」と、誰にでも思わせる。
ゆっくりとオルフィは、顔を横に向けた。いるはずのない相手を見るために。
金の髪――蒼玉の瞳。
その姿はオルフィの記憶にあるよりも、驚くほどやつれている。
だが、間違いない。
どこか哀しみを秘めた表情でそこにいたのは、紛れもない――。
「ジョリス、様……」
〈白光の騎士〉ジョリス・オードナーは、ただ小さくうなずいた。
みな、呆然としていた。再会の喜びよりも、驚きの感情の方が彼らを支配した。
奇妙な沈黙が流れ、場の空気は張りつめた。
「ジョリス……!」
次に絞り出すような声を出したのはハサレック・ディアであった。
「どうして……死んだはずだ! 俺は、確実に」
「――確実に、殺した、はずだったか?」
誰もがぎくりとした。
ようようと言った体で発されたかすれるような声は、彼らの知る〈白光の騎士〉の、凛と張った響きと似ても似つかぬものだったからだ。
だがさもありなん――襟元をゆるめたジョリスの首筋には、ぞっとするような傷痕があった。包帯の必要こそなさそうであったが、それはまだ十二分に生々しく、気の弱い者であれば直視に耐えなかったであろう。
「何という……」
コルシェントは歯ぎしりをした。
「馬鹿な……有り得ん……」
「死んだはずの〈青銀の騎士〉の帰還」を作り出した男は、〈白光の騎士〉のそれに完全に虚を突かれ、目を泳がせた。
「普通なら〈移動〉なんかに耐えられる状態じゃないはずだ。ようやく起き上がれるようになったばかりだそうだからな。だが」
シレキは息を吐いた。
「じっとしてろと言われて素直に聞くような騎士様でもなかったようでなあ」
「おっさん、ど、どういう」
オルフィは上ずった声で質問にならない質問をした。
「あー、すまん」
男は頭をかいた。
「俺は、知ってた。この人が生きてるってな。だがちょっと、言う訳にいかなかったんだ」
「彼の師に助けられたのだ」
聞いている方が痛々しい気持ちになる声でジョリス・オードナーは告げた。
「大導師ラバンネルに」
「なっ」
思わぬ名前にオルフィはまた驚く。
「――ジョリス。ジョリスなのか、本当に」
レヴラールもまた呆然と、生還した〈白光の騎士〉を眺めた。
「生きて、いたのか……」
「はい、殿下」
騎士は片手を上げて胸に当てた。だがその動作は緩慢とも言えるほどで、シレキの説明を裏付けるものだった。レヴラールはぎゅっと両の拳を握り締め、言葉にならない感情をただ押さえつけるのに必死になった。
「生きて……」
「ラバンネル」
ハサレックが繰り返す。
「そうか、伝説の魔術師は健在か」
〈青銀の騎士〉はどうにか余裕を見せようと口の端を浮かべたが、それはいささかひきつった。
「伝説に救われるとは、強運をも味方につける〈白光〉殿らしいことだ」
「……ハサレック」
ジョリスの青い瞳に怒りや憎しみは宿っていなかった。しかし、彼が「黒騎士」と対峙したときに見せた驚きや疑問も、もうない。
あったのはただ、哀しみだった。
「何だ?」
〈青銀の騎士〉は、かつて親友とした男の視線を受けとめた。
「生きていたとはな。喜ばしいことだ、ジョリス。だが何にせよ、その身体でわざわざ姿を見せるとは、あまり賢明とは言えまいな」
ハサレックは剣を軽く持ち上げた。
「そこの男から離れた方がいい。その『黒騎士』は改めて、お前を殺そうとするだろうから」
「白々しいことを!」
かっとなってオルフィは叫んだ。そこで面を外すことにようやく思い至った。
「俺は黒騎士なんかじゃないッ。お前こそが、そうなんじゃないかッ」
慣れぬ手つきで外した兜を床にたたきつけると、オルフィはジョリスの分もとばかりにハサレックを睨みつけた。
「まあ、落ち着け」
シレキはオルフィを制した。
その手にある杖は、魔杖という感じはしない。どちらかと言うと、武術としての杖術に使われるもののような。
「……魔術師、か?」
しかし彼らが扉を通らずにここへ現れたことは事実だ。警戒するようにハサレックが呟いた。
「おい! コルシェント!」
厳しい声音で彼が呼べば、魔術師ははっとした顔を見せた。
「た、確かに、魔力はあるようだが、大したものではない。〈移動〉にも他者の力を借りただけ」
何かを振り払うように首を振り、集中力を取り戻すとコルシェントは言った。
「正体が何であれ、曲者であることに変わりはありません。その男とて、ジョリス殿の姿を真似た、不埒な偽者であるやも」
「何だと」
言ったのはレヴラールだった。
一瞬オルフィは、第一王子が宮廷魔術師の戯言に騙されそうになったのかと思ったが、そうではなかった。
「馬鹿げたことだ、コルシェント。たとえ大きな負傷にやつれていようとも――ジョリスを知る者がジョリスを見誤るなど有り得ない」
(それは)
(判る)
オルフィはこっそり同意した。
死んだと――ハサレックがとどめを刺したと信じ込んでいたのだ。大導師がどんな魔力でその命をこの世に留めたのだとしても、長く死の淵をさまよったこと、想像に難くない。
いまのジョリスを見て、「これこそがかの輝ける〈白光の騎士〉だ」とは思えないかもしれない。
だが、彼を知っている者には、判る。
これはジョリス・オードナー以外の何者でも有り得ないこと。




