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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第1話 託されし運命 第2章

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01 歓迎できない出来事

 驢馬のクートントをいつもの場所に休ませると、長めの黒髪を飾り紐で結わえた若者は、すたすたとカルセン村を歩いた。

 村はいつものように彼を出迎えた。

 いや――。

(うん?)

 オルフィはきょろきょろと辺りを見回した。

(何で誰もいないんだ?)

 昼日中だ。男たちは畑や牧場で仕事をしているかもしれないが、誰も彼もずっとそちらに行ったきりということはない。女たちは男と同じ仕事もするが、家のこともやる。今日のような好天なら、洗濯をしながら何やら笑い合っている女たちの姿が自然と目に入るはずだ。子供たちだって、元気よく走り回っては大声で遊んでいるはず。

 なのに、見当たらない。

 誰も。

(……どっかに集まってんのかな?)

 何か村の決めごとでもあって、集会をしているのかもしれない。そういうのはたいてい日中の仕事を終えた夕刻からやるものだが、緊急の話し合いだって有り得る。

(あ、もしかして、昨日の噂話)

 黒騎士がチェイデ村の兄妹を殺害したという、その件について急の集会を開いているのでは。オルフィはそう推測した。

(だとしたら、ジョリス様がきて下さったって話をした方がいいな)

 鼻をぴくりとさせて彼は思いついた。

 カルセン村の重大な集会であれば、アイーグ村のオルフィが口を挟めることではない。だが黒騎士のことであればひとつの村の問題ではないし、〈白光の騎士〉がやってきたと知ればみんな安心するはずだ。

 英雄がやってきたと知らせることでささやかな英雄になってやろうと――そんなふうにはっきりと思っていた訳ではないが、どこかにはそんな気持ちがあったかもしれない――オルフィは村の中心の方へ進んでいった。

(……何だ?)

(やっぱり、集まってる、みたいだけど……)

 広場の一角に、見慣れた人影がいくつも見えた。だが集会という感じではない。整然と集まっての話し合いなど、村人たちはしていなかった。

 その代わり、あちらにこちらにと数名で固まって、ひそひそと語り合っている。まるで興味深いが近寄りがたい何かが彼らの中心に置かれているかのように、遠巻きにしている様子だった。

(いったいどうしたんだ)

 オルフィは不安になった。その場の雰囲気は、彼を酷く落ち着かない気持ちにさせるものだった。村人たちの心情が伝播したのかもしれない。

 何かが起きている。決して歓迎できない出来事が、何か。

 彼はよく知った顔を見つけると――ここの村人のことはかなり知っていたが、頻繁に話す者とそうでない者はいる――小走りに近寄った。

「こんちは」

 遠慮がちに声をかければ、若い夫婦は驚いた顔で振り向いた。

「ああ、オルフィ」

 男は彼を見て笑みを浮かべてよいものかどうか迷うように表情を引きつらせた。

「みんなこの辺に集まってるみたいだけど、何かあったのか?」

 そっと問えば、ふたりは顔を見合わせた。

「……大変なことが起きたんだ」

 それから男の方が言う。あまりに深刻な調子に、オルフィは何だかどきりとした。

「大変な……?」

 まさか、と彼は思った。

(この村にも)

(黒騎士が――?)

 どす黒い危惧が頭をもたげたが、彼が案じたようなことはなかった。この村にはもっと幼い子供こそいるが、成人前後という年齢層の子たちはいなかったはずだ。

 もっとも、だからと言って、ほっとして笑い飛ばせる話ではなかった。

「……ったんだ」

 男の声は小さかった。まるで、言ってはならない秘密をそっと口にするかのようだった。

「え?」

 聞き取れなくてオルフィは顔を寄せる。

「いま、何て」

「亡くなったんだ。……タルー神父が」

「え……」

 オルフィは口を開けた。一(リア)、聞き違ったのではないかと思った。だが頭のなかでいまの音を繰り返しみても、そう言ったとしか聞こえなかった。

「な、何で」

 彼は呆然とした。

「だって、昨日は、普通に……元気で……」

 確かにタルーは高齢だ。しかしかくしゃくとしていて、病の徴候ひとつなかった。昨日だって、白髭だらけの顔を穏やかに笑ませて、ナイリアールへ出立するときには祝福を送るから立ち寄るよう、言ってくれたのに。

「……たんだ」

 またしてもぼそぼそと男は言った。

 口にするのが怖ろしいとでもいう様子で。

「え……?」

 聞きたくないような気がした。だが、聞かない訳にはいかない。

「殺され、たんだ。(イネファ)の仕業だと、思われて――」

「何だって」

 オルフィははっとなった。

「リチェリンは! リチェリンは無事なのか!?」

 彼は半ば掴みかかるようにしながら尋ねた。タルー神父の死という事実への衝撃は、しかしタルーのもとで神女見習いをしている彼女への心配のために瞬時吹っ飛んだ。

「ああ、無事だ」

 男は答え、オルフィはほうっと息を吐いた。

「昨夜のことのようなんだ。神父様はどういう理由でか、村の外にいらしたみたいで」

 外での出来事だったからリチェリンに危難はなかったということだった。

「『ようだ』『みたい』……曖昧だな」

「そりゃあ」

 村人は眉をひそめた。

「死んじまった人には訊けないからな」

 どうしてタルー神父はわざわざ夜に村を出たのか。何をしていたのか。誰にも判りはしない。

 確かなのは、カルセン村中の、いやこの付近の村々全ての村人から尊敬を受ける温厚な神父が、昨夜の内に村の外で死んだということだけ。

「朝になっても礼拝堂へ出ていらっしゃらないから、おかしいということになったんだ。神父様だって人間だし、寝坊するなんてこともあるかもしれないが、だとしたらそれは身体の調子が余程お悪いとかそういうことだろうし……」

 タルーが朝の礼拝に遅れたことはこれまで一度もなかった。心配しながら神父の寝室に赴いたリチェリンがまず、彼の不在に気づいたと言う。

「最初は数人で探していたんだが、騒ぎになってきて、やがて村中総出で」

 だがどこにも姿が見えない。捜索の手は村の外に広げられ、程なくして彼らは街道脇のパスサ池のほとりに神父の遺体を発見した。

「俺は見てないが、真っ正面から一刀両断だそうだ。聖職者を殺すなんて、そんな性質(たち)の悪い賊がいるとは」

 顔をしかめて男は言い、神に祈る仕草をした。

 無法者、山賊などと呼ばれるイネファたちは、もちろん悪党だ。だが人を脅し、時に殺して金品を奪う彼らでも、聖職者にはまず手を出さない。狼藉を躊躇わない悪党たちでも、怖れることがある。

 人は死ねば冥界に行く。これは怖ろしい場所ではない。肉体から離れた魂は導きの精霊ラファランに連れられ、アルムーディ・ルーに迎えられて大河ラ・ムールに浸かる。そこで人は生前を忘れ、主神コズディムに裁かれたのち、ザルムーディに送られて次の世へ旅立つ。次の生までにどれだけかかるかは、前世の汚れや業の深さによるとされるが、これが正しい流れだ。

 一方で、あまりの悪逆非道を成した者は、ラファランに導かれることがない。彼らはしばし地表をさまよい、やがて名なき闇の精霊、闇のラファランと仮称される何かに連れ去られる。その行き先が獄界だ。悪魔ゾッフルに苛まれ、死神マーギイド・ロードや死の女神ドリッド・ルーの慰み者にされ、「恐怖」そのものと謳われるロギルファルドに弄ばれ続ける。

 人々は冥界には畏怖を抱くが、それは敬意をも伴う。獄界は忌まわしすぎて話題にすら上らない。悪戯な子供を叱るときであっても、その名を使うなど怖ろしい。彼らがそれらの名を耳にするのは、神殿や教会といった安全な場所で幼い内にその知識を教わるときだけだ。

 そう、獄界の恐怖はどんな屈強な戦士の内にも刷り込まれ、根付いていると言える。倫理のかけらもない賊たちであってもそれは同じ。神に仕える神官を殺すなどすれば、断じて冥界へは行けない。聖職者殺しは、賞金を賭けられるような悪人でも忌避すると言う。

 だと言うのに、殺されたのだ。タルーは。

 いったいどんな人間が、神父を。

黒騎士(・・・)

 オルフィの内には、とっさにそんなことが思い浮かんだ。だが彼はすぐそれを否定した。黒い剣士が狙うのは子供だ。


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