01 弔いを
相変わらず、占い師の顔色は神女見習いよりも酷いようだった。
それがますます酷くなったのは、掛け布を長衣のようにまとった娘の姿を認めたときだ。
ピニアは驚き、オルフィ同様に起きたことを推測して顔を覆い、リチェリンを抱き締めて詫びを繰り返した。
「あの……大丈夫です、私……その」
リチェリンは戸惑いながら言った。
「誤解、です」
どうにか彼女がそう言うと、占い師もまた戸惑った顔を見せた。
「服を……その、借りるようにと、言われました」
それからリチェリンは端的に告げた。
「あ、ああ、そ、そうね」
ピニアははっとした顔を見せた。
たとえそれが「命令」でなかったところでピニアはほどなくそこに気づいただろうが、「コルシェントの指示である」ということは気の毒な彼女にそれを何より優先させた。
占い師は自らの私室にリチェリンを連れ、神女見習いでも着られるような派手なところのない服を探して――ピニア自身、特に派手好みではなかったが、商売上は必要なことも多かった――貸し与えた。
リチェリンは礼を言って気忙しくそれを着用し――彼女には少々、胸周りが大きかったろうか――、真剣な表情を浮かべた。
「ピニアさん、私、戻ります」
「何ですって?」
占い師は驚いた顔を見せた。
「『戻ってくるな』とは言われませんでした。私、オルフィのところへ」
戻りますと彼女は繰り返した。
「でも……」
「いえ、ピニアさんにきて下さいとは言いません」
リチェリンは首を振った。
「その代わり、神官の方を……呼んではいただけませんか」
「神官ですって?」
どうしてとピニアは当然の問いを発した。
「はい。その……」
きゅっと彼女は拳を握った。
「男の子が、あの部屋で、亡くなっています」
それから彼女は胸の痛みを抑えて、カナトの死について簡潔に説明した。即ち、オルフィを助けようと彼の友人である少年魔術師が飛び込んできたが、剣士の刃の前に倒れてしまったことを。
「何てこと……」
ピニアは両手を口に当て、白い顔を更に蒼白にした。
「あの人……あの男は、都合の悪くないように『処理』をしろと。ですが、弔いをするなとも、言われませんでしたから」
どうか神官を呼んで下さいとリチェリンは繰り返した。
「わ、判ったわ」
占い師はうなずいた。
「手はずを整えます。それから」
ごくりと彼女は生唾を飲み込んだ。
「私も、行きます」
「え?」
「――あなたも気づいている通り、あの男に戻るよう言われたら私は従わざるを得ない。でもこの館のなかで起きたことはやはり私の責任でもあります。状況を……事実をきちんと把握しなくては」
それは痛々しくさえ見える表明だった。
リチェリンは少し迷った。彼女の心がこのときもっと強くあったら、彼女はピニアを気遣い、自分ひとりで大丈夫だと言っただろう。神官を迎えてほしいとでも。
だが一緒にきてもらえるというのは実際、心強かった。ピニアが彼女以上にコルシェントに逆らえない立場にあっても。
結果、リチェリンはただ黙って先に立つピニアについていった。
占い師は女主人らしく、館のなかで誰かが死んでいるという不穏な事態にも毅然と使用人に指示をした。使用人には詳細を話さず、弔いのための神官を至急呼んでくるようにとだけ言った。使用人は驚いたようだったが主人が言わなかったことを問い返しはせず、どなたか神官様を指名しますかとだけ尋ねた。
「イゼフ殿という神官に」
さっとリチェリンは声を出し、それからどう続けようか少し迷って、決断した。
「リチェリンが、オルフィに関わることですと言っていた、とお伝えして下さい」
イゼフはオルフィが何か重要な役割を担っていると考えているようだった。こう言えばイゼフ自身がやってきてくれるのではないかと思った。そうでなかったとしても、きっとすぐに誰かを寄越してくれるはずだと。
使用人はピニアを見て、主人がうなずくのを確認すると、判りましたと言って踵を返した。
(……イゼフ神官は、何をご存知だったのかしら)
明確に知っているのではないという風情だった。だが彼がほかでもない「オルフィ」を気にかけていたことは強く印象に残っている。
しかし何であれ、彼は彼女の幼なじみだ。弟のように思っている。
助けたい。怖れ、震えて彼の足枷になっている場合ではない。
(……もっと)
(もっと強くなりたい)
その願いもまた、痛々しいものと言えたかもしれない。襲われ、脅されて怯えた娘が身を縮ませて震えていたって誰も責めはしないのに、彼女はまるで自分が弱いために魔術師を退けられず、ピニアをも守れないと思うかのようだった。
部屋の扉の前にやってくると、占い師は少し躊躇いを見せた。リチェリンは勇気を奮い、ピニアを制して扉に手をかけた。
(ムーン・ルーよ)
(私に力を)
強い魔術のような抗いがたい力を前に、しかし震えている以外にも何かできることはないのか。
彼女がただ守られる位置に甘んじないのは、神女見習いだというためもある。だが、それだけでもなかった。
がちゃり、と取っ手の回る音がずいぶんと重く聞こえた。神に何を祈ったのか自分でも判らないまま、リチェリンは取っ手を回した。
そのとき既に、部屋に人の――生者の姿はなかった。残されていたのは強烈な血の臭いと、気の毒な少年の死体だけ。
「何て……」
王宮付きの占い師などと言われていても、ピニアとてリチェリンとそう変わらない若い娘だ。ここで気を失うようなことがあっても不思議ではなかった。いまのような体調ではなおさら。
だが彼女はやはりぐっとこらえた。死人よりも酷い顔色ではあったが。
「オルフィ……」
リチェリンは幼なじみの名を呼んだ。
「いったい、どこへ」
自分の意志で行ったのか。魔術師に連れられたのか。正確に判断できる材料はなかったが後者の可能性が高いことは判った。
(神よ)
リチェリンはまた祈った。今度の祈りは明瞭であった。
(どうか彼を)
(オルフィをお守り下さい)
はっきりとした祈り。いまはそれしか思うことのない。
ただその代わり、明瞭でなかったこともあった。
「――可哀想に」
ピニアはカナトに近寄ると、そっとひざまずいた。
「まだ成人もしていなかったのではないかしら?」
「ええ……おそらく」
答えてリチェリンは唇を噛んだ。「おそらく」。オルフィのために命を落とした少年に対して、そんなことしか言えないなんて。
「きれいにして、あげないといけないわね」
呟くようにピニアは言った。
「どうしたらいいのかしら……」
通常、死者が出れば神殿へ赴き、すぐに葬儀の相談などをする。遺体に死に化粧を施したり、棺を用意したりする専門の者たちには神官が連絡をしてくれる。だが家庭で死ぬのはたいてい病人だ。血を吐くような病であることもあろうが、家族で対応できる場合も多い。
大きな怪我をした者が死ぬのは、たいてい診療所だ。そうであれば医師や助手がある程度のことはやってくれる。喧嘩や事故のため路上で死ぬという気の毒な者もいるが、その辺りの仕事は町憲兵隊や、彼らが雇う〈汚れ屋〉と称される者たちが行う。
通常、家庭で斬られたり刺されたりして死ぬことはない。彼女らに身近な死者を送った経験があったところで、この状態に何をしていいのか、すぐに思いつくことがなくても当然だった。
「そうね……まずは血を拭いてあげましょう。それから、何かきれいな服を」
ピニアにもまた、リチェリンを支えてやらねばならないという気持ちがあった。彼女が見知らぬ子供を気の毒に思うことは本当だが、「カナト」に対する感情はない。しかし幾つもの大きな衝撃を受けたリチェリンを前にしっかりしなければならないと考えていた。
「神官様がいらっしゃる前に、それくらいはしてあげましょう」
そう言うとピニアは使用人に水や手ぬぐいを用意させ、少年の服を買ってくるよう指示した。そのあとはそれらをしばらく待つことになり、重い沈黙がふたりの娘の間に落ちた。
「何か……飲み物はどうかしら」
そっとピニアは言った。
「ここは、私に任せて。あなたは温かい香り茶でも飲んで休んだ方がいいわ」
「いえ、大丈夫、です」
リチェリンは答えた。
「神女見習いとして、オルフィの幼なじみとして、オルフィの友だちをきちんと送りたいんです」
祈りの言葉は捧げたが、思うのはタルーのときと同じ。正式な弔いを彼に。




