12 本当に、残念だ
ぞわり、と全身の毛が逆立つような感覚があった。知らず、高く左腕が差し上げられる。鋭い音と強烈な衝撃が腕に生じた。
(そうだ!)
彼は魔術で飛ばされたのだ。ハサレックが「黒騎士」を狙う、そのさなかへと。
(ありがとよ、アレスディア!)
それは「籠手」なのか「魔術」なのか、何にせよオルフィはしのぐべきと考えた第一撃をしのいだ。
状況はさっぱり判らなかった。ここがどこであるのか、ほかに誰がいるのか。
だが戦うしかない。生き延びるために。
「ちっ」
ハサレックが舌打ちした。オルフィは素早く立ち上がって後退する。
(剣、剣があるはずだ!)
(悪いけどもっかい頼む、アレスディア!)
(俺に……ハサレック様に勝つ力を)
それは虫のよすぎる願いごとだった。これまで散々、思ってきたのだ。籠手の力を借りても黒騎士――ハサレックには勝てないと。
何も卑下ではなく、客観的に判断してのことだった。もちろんオルフィはこの籠手にどんな力があるかなんて把握しきれていないが、籠手の力だけで黒騎士に――ナイリアンの騎士に勝てるなどとは思えないのだ。
ジョリスが、ヒューデアが、籠手がなければ黒騎士には勝てないと考えた。
だがそれは籠手があれば勝てるということではない。ジョリスやヒューデアのような能力があってはじめて籠手が助力になるということだ。それくらいのことはオルフィにだって判る。
だがここで、力を発揮しなくてはもうあとはない。
籠手の力も。
彼の力も。
(そうだ)
(俺の――)
考えていたのは一瞬の間だった。拳の先も見えないような濃煙のなかで、ハサレックは正確にオルフィの位置を掴み、二撃目の怖ろしい突きを放ってくる。
ぎらりと、オルフィの目が光った。
彼は紙一重でそれをかわし、床を大きく蹴った。
「何だ、何が起きている」
戸惑った声がレヴラールのものであるのが判った。
「下がってじっとしてろ、王子様!」
彼は怒鳴るように言った。
「後ろへ、殿下!」
重なるようにハサレックの声。
「ハサレック!」
レヴラールは、当然ながら、ハサレックを味方と取った。
「コルシェント、ようやくきたか! すぐにグードを」
王子は護衛の死を認められぬままなおも叫んだが、彼らはそれを聞いてはいられなかった。必死の攻防――必死なのは主にオルフィの方だが――がはじまるからだ。
(右だ)
彼は何とか均衡を保って飛び退いた。それはオルフィにしてみれば奇跡的なことと言えた。ヴィレドーンにしてみれば、どうだったろうか。
次第に煙が薄れ行く。どうやら魔術によるものではなく、衝撃を与えると煙を出すように作られている、戦闘用の道具であるらしかった。
(剣)
(剣はどこだ)
彼は、「黒騎士」の剣を探した。入れ替わったハサレックの剣は黒くない。そして彼を黒騎士に仕立て上げるならば、黒い剣は小道具として必要なはず。
だが剣を求めてきょろきょろと見回すような愚は犯せない。いや、暇はない。ハサレックは本気で彼を仕留めにきている。
決死の思いで彼は騎士の攻撃をかわし続けた。
できるはずがない。「オルフィ」には。
籠手の力か、それとも「ヴィレドーン」か。しかし「彼」に自分のことを考えている余裕はなかった。
「なかなかやるな」
ハサレックが呟いた。
「面白いじゃないか。剣を拾わせてやろうか、ん?」
「――ハサレック殿」
忠告するような声はコルシェントのものだ。
「黒騎士」が王子を脅したあと、魔術師はいくつかのことを同時に行った。即ち、部屋の扉を開放することと、自らがその外からやってきたように装うことと、部屋に煙を満たすことと、オルフィとハサレックを入れ替えること。
もし冷静に見ていた誰かがいればどこかおかしいことに気づいたかもしれなかったが、生憎とそこにはレヴラールしかおらず、王子はそれどころではなかった。
「判っています。冗談ですよ」
気軽に〈青銀の騎士〉は言った。
「許しはしません。グード殿と、それに、ジョリスの仇ですからね」
ジョリスの名にオルフィはかっとした。
「ふざけるな! ジョリス様はお前が」
その語尾にかぶせるようにバンと大きな音がした。もわっと煙が再び立ちこめる。オルフィは思い切り吸ってしまって咳き込んだ。
(くそっ)
魔術師が「直接的でない」魔術を使ってきたのだと推測できた。
(そうか、レヴラールに聞かせちゃ拙いってんだな!)
彼は気づいた。
それなら言ってやるまでだ――と思ったものの、ごほごほとやっていては言葉も出せず、ハサレックの攻撃を避けるのも難しくなってきた。
(やばい)
(このままじゃ)
どん、と何かに当たって彼はびくりとした。
(壁)
(もう、逃げられない)
「本当に、残念だ」
ハサレックが言った。
「本気のあんたと戦ってみたかったよ」
騎士が剣をかまえ直す。オルフィは思わず目を閉じた。
(終わり、なのか)
(ここで)
(ごめん、カナト)
思い出が蘇る。カナトと旅した日々。サーマラ村。ルタイの砦。ナイリアール。マルッセ。モアン。橋上市場。〈はじまりの湖〉。
何と濃厚で、短い日々だったことか。
彼はカナト少年の何を知っていただろう。どうして慕ってくれるのかもよく判らないまま、死出の旅に赴かせてしまった。
(ごめん……リチェリン)
首都での再会。タルーを亡くして頼りなげだった彼女。カルセン村での平和な日々。アイーグ村での懐かしい時間。
守ってやらなければならなかったのに、酷くつらい目に遭わせた。
もう、彼女を抱き締めることも、できないのか。
ばんっ――と鈍い音をオルフィは他人事のように聞いていた。
そして。
「……え?」
衝撃も、痛みもない。彼は目を開けた。
煙は晴れていた。彼の前には、大きな背中。見覚えの、ある。
「死ぬにはまだ早いぜ、お前さん」
「あんた」
オルフィは口を開けた。
「シレキのおっさん!?」
「おうよ」
男は口の端を上げて答えた。
「待たせたな。助っ人参上だ」
長い木の杖を横にかまえ、堂々とシレキは言い放った。
(第3章へつづく)




