10 騎士にはなれん
「貴様!」
素早く反応したのはグードであった。
「黒騎士!」
すぐさまグードは左腰の剣を抜き、開かれもしなかった扉の前に立っている黒衣の剣士とレヴラールのいる卓の間に立った。
「『もうひとり』が現れたか」
何も知らぬレヴラールは、そう呟いた。
「お前も〈ドミナエ会〉なのか。コルシェントは何をしている」
「ああ、あの魔術師か。何、案じずともよくやっている。我々は首都の拠点を突き止められ、散り散りだ」
素知らぬ顔で――面を下ろしているので表情は見えないものの――ハサレックは言った。
「だからこの仕事は、その礼でもある。我々の目的を阻害する者は、たとえ王家でも許しはしない」
言うなり黒騎士は黒い剣を抜いて床を蹴った。グードも飛び込み、二者の剣が合わさる。
「衛兵!」
レヴラールは叫んだ。
「侵入者だ! 出会え!」
もっとも、前回の状況は詳細に耳にしている。衛兵たちは王室に足を踏み入れることができなかった。「黒騎士は魔術を使う」というのが彼らにある――誤った――情報だ。急に部屋のなかに現れたことと言い、王子がそれを疑う理由はなかった。
彼の声は外の兵士に届かないか、或いは部屋の扉は魔術で開かないようになっているのだろう。レヴラールは推測し、それは正しかった。違うのは、魔術を使っているのが黒騎士ではないという点だけだ。
(どうする)
(俺が狙われているのであれば、俺が飛び出して助けを呼びに行くのは危険だ)
彼を守ろうとするグードの行動を無にするだけではない、彼が背後にいると考えて戦うグードの剣技を乱し、彼自身よりもグードを余計な危険にさらすことになる。
「誰か! 聞こえないのか!」
レヴラールはその場で叫ぶしかなかった。
「どこだ、コルシェント! すぐにこないか!」
宮廷魔術師ならば黒騎士に対抗できるはずだと、まさかここで魔術を使っているのが当のコルシェントだなどとは思いもせぬまま、王子は魔術師を呼んだ。
そうする内にも剣戟は続いた。グードが押され気味であるのが、あまり剣術をたしなまないレヴラールにも判った。
「グード……!」
レヴラールは歯がみした。彼にできることはないのか。
(――窓!)
彼は思った。中庭が見える窓を開く、或いは割る。彼自身が逃げてもいい――無論、グードを見捨てるのではなく、助けを呼ぶためとグードに背後の憂いをなくさせることができるからだ――し、ただ大声を出してもいい。扉はふさげても窓までは気を回していないかもしれない。
(迷っている時間はない)
王子は決断すると、すぐさま行動に移った。
うろうろと窓を開けてはいられない。
彼は先ほどまで自身が座っていた椅子を掴むと、思い切り窓に向かって投げた。
がしゃーん、と派手な音がする。一瞬、黒騎士もグードもそれに気を取られた。幸いにしてグードが隙を突かれることはなかったが、生憎と逆に隙を突くこともなかった。
だがこの行動は明らかに気を引いた。中庭にいる人間が気づかないはずがない。王子の部屋で異常な事態が起きていると。
(時間は、俺が望んでいるよりもかかるだろう)
(だが何もしないよりは確実に早くなった)
兵士が寄り集まっても扉は開かないかもしれない。隣室から窓を抜け、外壁を伝わってくることならできそうだが、すぐそれに気づく者がいるかどうか。
しかし、兵士が束になってかかるよりもできることがあるはず。
「コルシェントを呼べ! 早くしろ!」
王子は窓の外に向かって叫んだ。それがどんなに無意味なことであるか知らぬまま。
「くくっ」
こらえ切れぬように、ハサレックは笑いを洩らした。
「何がおかしい」
対峙したまま、グードは黒騎士を睨む。
「いいや、護衛剣士殿。ただあんたが気の毒だと思っただけだ」
「何だと」
「たまたま今日このとき王子の傍にいただけで、死ぬことになるなんてな」
余裕のある黒騎士の言葉に、レヴラールははっとグードを見た。いつしか剣士は傷を負い、肩で息をしている。
「グー……」
「ご案じなさいますな、殿下。このグード、斯様な極悪人に敗れてなるものですか」
「心意気は立派だ、グード」
ハサレックは笑った。
「だがなあ、所詮お前はなり損ないだ。騎士ヅラをしたって騎士にはなれんのさ!」
疾い一閃が振るわれた。黒い剣はグードの剣を弾き飛ばし、そのまま男を――騎士にならなかった男を貫いた。
「グード!」
王子は悲鳴を上げた。
黒い剣を差し込まれ、そして容赦なく引き抜かれた男は、ぐう、と奇妙な声を発してその場に倒れた。身体はびくびくと動き、おびただしい量の鮮血が悪夢のように絨毯を染めていく。
「グード、グード!」
最後の冷静さを失って、レヴラールは護衛剣士のもとへ駆けた。これが戦場であったら、彼はすぐさま斬り捨てられただろう。だがハサレックが王子に襲いかかることはなかった。
「しっかりしろ、グード!」
彼は致命傷を負った男を抱きかかえた。しかしグードにレヴラールの姿は見えていないようで、その瞳は宙を見たまま、口からは苦しげなうめきだけが洩れた。
「コルシェント! まだなのか! 早く、グードを救え!」
もう無理だ、と彼の理性は告げていた。たとえいまこの瞬間に魔術師が現れたとしても、手の施しようはないだろうと。
だが認められなかった。
ようやく、初めて、本当にグードと話をすることができたとそう感じていた矢先だ。グードが彼の謝罪を受け入れないのだとしても、これからは彼の方こそ恩を返さなければならないような気持ちで。
自分でもこれまではっきりとは判っていなかった、彼の望んでいたもの――彼を王子としてのみならず、レヴラールという彼自身を見てくれる誠実な相手。そう、ジョリス・オードナーがそうした人物だった。だがジョリスは〈白光の騎士〉となり、レヴラールとそう頻繁に話すことはできなくなった。
キンロップが指摘したことは正しかった。ジョリスを慕っていたからこそ、レヴラールは彼が黙って出て行ったこと、そして戻ってこないことに憤った。子供のように癇癪を起こした。
だが感情にまかせて冒した過ちも、グードがいてくれれば正すことができるかもしれないと、胸に刺さったままのとげを溶かすことができるかもしれないと、そんなことを思いはじめたところだったのに。
「ああ……誰でもいい、グードを助けてくれ……!」
悲痛な声は、しかし神には届かなかった。
彼の腕のなかで剣士は激しく痙攣し、そして――事切れた。
「おかしなことを仰る、王子殿下」
死んだ護衛剣士を足蹴にして、黒騎士は切っ先をレヴラールに向けた。
「いまや、死者よりもご自身を案じられた方がよいのでは?」




