09 何も仰らずに
レヴラールはうんざりとした顔を見せた。
「まだ、目を通すものがあるのか」
「これで最後です」
グードは言って、書類の束を王子の目の前に積んだ。
「これでも普段よりは少ないのだそうです。執務官たちが相談をして、至急許可の必要なものだけを殿下にお持ちするようにしたらしいので」
「ここにくるまでに事案はみな精査されているのであろう。至急許可が必要だと言うのであれば俺の署名など待たずに実行すればよかろうに」
「殿下」
「冗談だ。務めだと判っている」
手を振ってレヴラールは投げ出した羽根ペンと紙束を恨めしげに見つめた。
「もっとも、少しばかりお休みになっても問題はないかと」
護衛剣士はそっと言った。
「もう一刻になります。お疲れになっていては、書かれていることも理解できませんでしょう」
「確かにな。気づけば同じ行を何度も読んでいるようだ」
「一件にかかる時間が長くなっております故」
控えめにグードは休んではどうかと繰り返した。
「……すまないな」
ぼそりと王子は言った。
「こういう形で俺につき合うのは、お前の仕事ではないのに」
「書類を運んだりすることでしょうか?」
「そうしたことも含めてだ」
「ですがいまは必要です。この急の事態に、邪な心を持って殿下に近づく者が増えております」
「俺の機嫌を取っておこうという類だろう。そうした連中をあしらうのには慣れている」
何でもないとばかりにレヴラールは手を振った。
「こう申し上げては何ですが『王子殿下』に誰もがよい顔をするのは当然です。ですがいまからすり寄ってくる者は」
「あからさまだ」
「仰る通りです。しかし全てをこれまでのようにただあしらう訳にはいかなくなります」
「力のある者を優遇しろ、とでも?」
「無視はできないというだけです。よろしくない言い方になりますが、これを好機と捕らえてより力とラルを手にしようと考える者は多い」
「判っている。だがお前はどうしろと言うのだ?」
「わたくしが申し上げることではありません」
グードは引いた。
「は、お前が自分に都合のいいことを述べて俺に『すり寄る』とは思っておらん。思うままを言え」
「有難いお言葉ですが、そうは見ない者も」
「他人がどう思おうとかまわんだろう」
「そうはまいりません」
「相変わらず固いことだ」
レヴラールは肩をすくめた。
「私が申し上げるべきは、レヴラール様が何をなさるかということではありません。私のいまの役割は、レヴラール様が滞りなくお仕事を進められるよう配慮することだと考えております」
「それが書類運びか?」
「いえ、余計な者を近づけて余計な時間を取らせ、心労をおかけすることのないように」
「……そうか」
王子は呟き、口の端を上げた。
「ますます持って、騎士の仕事ではないな」
「私は騎士ではありません」
「だがお前は騎士たちと何ら遜色のない……いや、騎士の座にあって何もおかしくない人間だ」
「お言葉は有難くちょうだいいたします。しかし私が審査に通らなかったのは事実です」
「……はない」
レヴラールはうつむいた。
「グード。そうでは、ない」
絞り出すように言うとレヴラールは顔を上げた。
「俺はお前に、告げねばならぬことがある」
「――レヴラール様」
男は非礼を詫びる仕草をしながら王子の言葉を遮った。
「どうか、何も仰らずに」
「……何?」
「よいのです。私は審査に落ち、レヴラール様に拾っていただいた。それで」
よいのです、とグードは繰り返した。レヴラールは口を開けた。
「お前……まさか、知っているのか……?」
「光栄に思っております。たとえ、ジョリス殿の代わりでも」
それがグードの答えだった。レヴラールは唇を噛んだ。
「城内にも口さがない者はおります。知った顔で、私は何度も聞かされました。私は審査に通らなかったのではなく、殿下の護衛剣士として選ばれたために審査の対象から外されたのだと」
「グード……」
その通りだった。グードには審査に通るだけの実力があった。だがレヴラールが傍らに剣士を欲していると知った父王は、青銀位の審査に挑戦した男にその役割を与えることにした。
騎士候補でなければ、それは抜擢だっただろう。だがナイリアンの騎士は最高級の名誉だ。他国であれば大きな栄誉である王子の護衛の任も、騎士の審査に臨んだあとであっては。
「ですが私は、レヴラール様と私自身の名誉にかけてそれを否定してまいりました。今後もそうしていくでしょう」
グードは淡々と言った。彼の立場であれば、「騎士になれず王子の護衛剣士として拾われた」よりも「本来ならば騎士の座に就けた」という形の方が名誉であるに決まっている。しかし彼は自らの名誉ではなくレヴラールのそれを重んじて、王子の寛容さを称えてきたと。
「――何故だ」
レヴラールは卓上で両の拳を握った。
「俺は、お前を拾ってやったと恩を売った。お前は騎士にはなれなかったのだと貶めた。それは俺が下らぬ優越感を持ちたがった、そのためだと言うのに」
「そのように、殿下がお気づきだからです」
静かに剣士は言った。
「激情に任せて言葉を発してしまったあと、殿下はいつも後悔された。無礼を承知で申し上げますが、そうした方だと判っておりますからこそ」
「……激情に任せて言葉を発する程度だとは思わぬのか」
「まだお若い故に感情が出てしまうのでしょう。他者ではなく私に向けられているのであれば、それもまた殿下をお守りすることと存じております」
粛々とグードは答えた。口の巧い男ではないことは百も承知だった。つまりこれは、いまこの場で出た台詞ではない、普段からグードが考えていたことだ。レヴラールはそう気づくと、ますます拳を強く握った。
「俺は……本当に、お前に酷いことを」
「何も仰いますな、殿下」
グードは首を振った。
「たとえ国の騎士でなくとも、こうして殿下にお仕えすることで……何と申し上げたらよいか」
少し顔をしかめて、グードは考えるようだった。
「これが務めだと……私の道はここにあるのだと本当に思っております」
「そう、か……」
レヴラールはどう答えていいものか迷った。
「だが、グード。俺は考えている。このまま、ハサレックが白光位に上がれば青銀位が空く――」
「殿下」
三度護衛剣士は王子の言葉を遮った。
「どうか、それ以上は」
「しかし」
「不遜ながら、わたくしの考えをお聞きいただけますか」
「何だ」
「わたくしは、騎士の心を持ち続けんと日々を過ごして参りました。――殿下の騎士たらんと」
彼は握った拳を胸に当て、レヴラールに敬意を示した。
「王子の騎士」とは時に、グードを揶揄した影の呼称だった。また、レヴラールがまるで姫君のように過剰に守られている、という言いようにもなり得る危うい表現だったが、グードはそうした声をも吹き払おうとするかのように、胸を張って堂々と述べてみせた。
「グード」
驚いてレヴラールは剣士の名を呼び、そこで言葉を失った。
「――なかなかご立派なことだ」
そのときである。ぱち、ぱち、と気のないように手を叩く音がした。
「感動的な幕間を見せてもらったようだな」




