08 伝えてやる
奇妙な沈黙が降りた。
どちらも言うことを探しているのに何も見つからないと言うような、ぎこちない沈黙。
先に口を開いたのはオルフィだった。
「ジョリス様は」
彼もまたうつむいていた。
「あんたが黒騎士だと……気づいた、のか」
「ああ」
問いかけと取ってハサレックは答えた。
「気づいたよ。なるべく自分の癖を出さないようにしたんだが、あいつとやり合いながらそんな小細工はいつまでもできない。慣れたやり方で剣を合わせなけりゃならなかった。そうしたら奴はすぐに気づいて」
かすかにハサレックは息を吐いた。
(大きく距離を)
「大きく距離を取って、驚愕した表情を見せた。気づかれたと判った俺は、あいつが俺の名を呼ぶ前に」
(――見た)
オルフィは口を開けてハサレックの話を聞いていた。
(俺は、見た。その光景を)
あの悪夢は真実だったのか。だが、どうして。
「俺が勝ったとは、言えないな。あとほんの数秒も待てば、あいつは友人と戦う躊躇いを捨て、極悪な黒騎士を退治する道を採っただろう。俺は判っていたから、そうさせなかった」
(あのときのジョリス様は)
(そうだ、相手が誰だか気づいたんだ。死んだはずの仲間が、親友が、黒騎士として目の前にいると)
(その隙を……ついて)
戦いであれば、それは決して卑怯でも何でもない。「敵」が隙を見せれば、それがどんなものであろうと自分の有利になるよう動くべきだ。相手の弱点でも、何でも、利用しなければ自分の死に繋がる。
だが戦士ではないオルフィにはそう割り切ることはできない。いや、戦い手であったところで「仕方ない」とはなかなか思えなかったろう。
「敵」ではなかった。「友」だったのだ。黒騎士のような存在があったなら、並んで戦うはずの仲間だった。ジョリスがどれだけ衝撃を受けたか。
もしも当のジョリスがその意見を聞くことがあったなら、敗れたのは自らの技量が足りなかったのだとでも言うだろう。瞬時に戦闘の意志を固められなかった彼自身の負けだと。
しかしハサレックも勝利したとは思っていない。あれは勝者のない戦いだった。
「ま、俺のお喋りはこの辺にしておくか」
笑いを取り戻してハサレックは膝をぽんと叩いた。
「これじゃまるで俺が、死の間際に懺悔でもしたみたいだな。それが必要なのはお前さんの方だってのに」
「……俺を殺すのか」
「ああ」
気の毒だが、と気軽に男は言った。
「ジョリスから籠手を受け取っちまったのが運の尽きだな。いや、それはきっかけにすぎなかったのかもしれんが」
「きっかけだって。どういう意味だ」
「もし本当に人の運命が定まっているなら、そのきっかけさえもお前が縛られている鎖輪のひとつ……なんて、魔術師が言いそうな台詞だが」
ハサレックは口の端を上げた。
「果たしてラバンネルにはどこまで見えてたんだろうな? 偉大な魔術師と言ったって神じゃないんだし、全て判ってたってことはないはずだ。予知の力も明瞭に未来を見せるってんじゃないそうだし」
「ラバンネル」
オルフィははっとした。
「そうだ、あんた、ラバンネルやアバスターのことをを知ってるんだろう」
「ああ? いや、直接には知らないな。何でそう思ったんだ」
「何でって、あんた自身が言ったじゃないか。俺が籠手を持ってるとアバスターが知ったらどう思うだろうかとか何とか」
「そのことか」
そこでハサレックはくすりと笑った。
「まだ完全に目覚めてないんだな。強情なこった」
「目覚める? 強情だって?」
「判らないんじゃ何を言ったって仕方ない。聞きたいなら話してもいいがね」
「思わせぶりなことを……」
「ヴィレドーン」
ハサレックは言った。或いは呼んだ。オルフィはびくりとし、それから首を振った。
「それってのは〈裏切りの騎士〉の名だよな。それが何なんだ? あんた自身のことか?」
「ははは」
思わずと言った体でハサレックは笑う。
「そう言ってもらえるとは光栄だ、とでも言えばいいのかねえ」
「光栄だって。いったいどういう感性なんだよ」
オルフィにしてみればハサレックの態度はこれまで以上に判らないものだった。
「いや、実に残念だ。あんたと剣を交えたいと言ったのは本気なんだからな。時間が許せばもっと様子を見たかったよ。こういうときは『運命が許せば』とでも言うのが相応しいのかもしれんが」
「――剣を交えたい? 俺と?」
「お前であって、お前じゃない。何度も言わせるな。お前ももう聞いて、知ってるはずなんだ。なのにそのことを忘れちまってる」
「忘れて」
オルフィはぎくりとした。
「何で……そんなこと」
「判るさ。お前の状況をお前よりほんの少し知ってるだけでな」
「な、何を知ってるってんだよ」
「俺はそれを説明してやる立場にない。だいたい、そろそろ時間もない」
ハサレックは立ち上がった。
「さ、お前も立てよ」
言いながら騎士はオルフィに向かってかがみ込むと、子供のように抱え上げた。手足を縛られている彼が立とうとするのを見ているより、その方が早いだろう。
「なっ、何だこれ」
オルフィは素っ頓狂な声を上げた。
立ち上がって――立たされて初めて気がついたことがある。彼が身につけているのは目の前の男が着ているものと同じだった。
即ち、黒ずくめの、黒騎士の。
「厳密にはここが違う」
ハサレックはオルフィのマントを翻して見せた。
「そちらは〈ドミナエ会〉の紋章入りだ」
「……つまり、やっぱり、会の関連は嘘っぱちだってことだな」
「そりゃな。俺が神官崩れの過激集団の一員な訳ないだろ?」
ハサレックは片目をつむった。
「神様には興味ないな」
「たとえ思想は違っても、都合がよければ仲間になるってことはある」
「確かに。だが俺はむしろ、連中とはやり合ったんだ。俺が九死に一生を得たのは本当の本当でね、そいつは奴らのせいなんだ」
騎士は簡潔に説明した。
「もっとも、おかげで目が覚めたってのはある。やりたいことは生きてる内にやっとかなきゃならんとな」
「やりたいこと」
オルフィは繰り返した。
「子供殺しはやりたかった訳じゃないって言ったよな? それじゃあんたは結局、コルシェントにいいように利用されてるだけじゃないか」
「そうだな」
あっさりと肯定がきた。
「あいつは俺を利用してる。俺もあいつを利用してる。持ちつ持たれつ、〈損得の勘定〉が合えばそれでいい」
「損得だなんて」
「騎士」の口から聞きたくなかった言葉だ。そう思ってオルフィは唇を噛んだ。
(俺はまだこの人を)
(ナイリアンの騎士として見ているのか)
「お前は何も心配しなくていい。お膳立てはみんな俺がやってやるからな。お前は煙のなかで俺と入れ替わって、そのまま俺に斬られるだけだ」
簡単だろ?――と笑みを浮かべた騎士は嘯いた。
「魔術で何でもかんでも目眩ましをすることはできるらしいが、それでも『本物』には敵わないんだと」
この「本物」は「本物の黒騎士」ということではなく「本物の人間」「本物の死体」というようなことだった。
「さっきの話だがな」
ハサレックが言った。
「遺言を聞いてやると言ったのは、脅しでも皮肉でも、悪質な冗談でもないんだ。故郷の親兄弟、友人や恋人に遺す言葉はないか? ちゃんと伝えてやる」
「悪質な冗談にしか、聞こえない」
オルフィはぼそりと返した。
「しかし残念なことに、お前が死ぬことは決まってるんだ。だが、『アイーグ村のオルフィ』の名誉は守ってやってもいい。つまり黒騎士は〈ドミナエ会〉の人間であって、『オルフィ』は違う事情で死んだことにしてやる」
ハサレックがたまたま「オルフィ」の死を看取ったことにして遺言を伝えてやると、そういうことを言っているようだった。
(遺言)
そんなことを言われたって思いつくものではないし、考えたいものでもない。
「――結構だよ」
相手を睨んで、オルフィは答えた。
「伝えたいことは、自分で伝えるさ」
「は」
騎士は呆れたように笑った。
「俺の言うことを聞いてないのか、それとも誰か『英雄』が夢のように助けてくれる幻想でも抱いているのか?」
「さあな」
オルフィは他人事のように答えた。
「だがこれだけは言っておく。何でもかんでもあんたたちの思い通りにはならない」
「まあ、恨み言は聞くと言ったしな」
ハサレックは少し同情するような表情を見せた。
「もっともひとつだけ……もしもお前に、お前が期待するような逆転劇が訪れるとしたら、それは」
ぐっと手を伸ばし、男はオルフィの左腕を掴んだ。
「これだ」
「放せ」
「言っとくが、俺はもちろん、逆転される気なんかない。だが何度も言うように、本気のあんたとやり合ってみたいのさ。それにはお前が籠手を使いこなし、本来持っていたはずのものをみんな取り戻さなきゃならん」
「また、そういう妙なことを」
「妙なことに聞こえるのはお前が拒否してるからだ。『お前』を守るにはそれがいいんだろうが、このままじゃ守ったところで無意味だ。命と天秤にかけても守り通したいのかどうか、残りわずかな時間で考えるといい」
その言葉はオルフィにはやはり意味不明だった。彼が何を拒否していると言うのか、彼が何を守ろうとしていると言うのか、ハサレックは説明しなかった。
そう、オルフィのなかには既に情報がある。
ニイロドスが彼に寄越した。
だがハサレックの言う通り彼はそれを拒み、いまのオルフィを保っている。
このままでは死しかないということを彼はまだ、理解できていないのかもしれなかった。




