07 望んでいたのは
「そんな目で見るなよ」
騎士は口の端を上げた。
「子供殺しは、俺も楽しくはなかった。さっきの少年もな。でも仕方ない、運命だとか宿命だとか……そういうのには逆らえないもんだ」
自分が宿命を背負ったと言うのか、子供たちが成人もせずに死ぬ運命だったと言うのか、どちらにせよ納得できる話ではなかった。
「何か言いたそうだな。いいぞ、恨み言でも遺言でも、聞いてやろう。それくらいは務めだ」
言うとハサレックは手を伸ばし、オルフィの頭を半ば抱え込むようにして猿ぐつわを解いた。
「まだ少し時間がある。何でも聞いてやろうじゃないか?」
「――どう、して」
ふたの開けられた箱のなかで彼はどうにか身を起こした。
「どうして、こんなことを?」
「うん?」
何を尋ねられたのか判らないと言うようにハサレックは目をしばたたいた。
「こんなこと、というのは?」
「あの魔術師と手を組んで、そんな……黒い服を身につけて」
このときハサレック・ディアは〈青銀の騎士〉の制服ではなく、黒衣に身を包んでいた。鎧は身につけていないが、兜を小脇に抱えている。
「そりゃ、騎士の制服でやる訳にゃいかんだろ?」
にやりと黒騎士は笑った。
「そんなこと、言ってるんじゃ」
「おいおい、冗談だよ。怒るなって」
「あなたが……ナイリアンの騎士がこんな非道な真似をするなんて、俺には信じられないんだ! それに――ジョリス様を」
「ああ、ジョリスか」
ハサレックは肩をすくめた。
「そうだな。あいつが原因、かもしれんな」
「何だって?」
「なあ、オルフィ坊や。知ってるか? 白光位と青銀位の間にどれだけの差があるかを」
「差?」
オルフィは顔をしかめた。
「首位と、第二位……だろ?」
少しもごもごとオルフィは言った。
「ああ、その通り。首位と第二位。そうだな?」
ハサレックは繰り返し、戸惑いながらもオルフィは小さくうなずいた。
「だがその首位と第二位の間には、想像以上の差があるんだ」
「……だから、どうだってんだよ」
しかめ面のまま、オルフィは言った。
「まさか、あんたは、ジョリス様が自分より上なのが気に入らなかったとか、そんな理由で」
「非常に簡単に言えば、だがそういうことだな」
さらりとハサレックは認めた。
「すまないねえ、騎士に憧れを抱いてくれるのは有難いんだが……俺ももともとはそんな子供だったし、よく判るんだが、実際にはどろどろしたもんよ」
肩をすくめて男は言った。
「人間なんてどこまででも堕ちる。理想に燃えて自らを研鑽し、騎士と呼ばれるまでになった男でさえ、子供を殺して背中に傷を刻んだり、親友を剣で貫いてのどをかき切ったりするようにな」
「ふ、ふざけんなよ!」
「いいや、ふざけてなんかいるもんか。もっともジョリスは……あいつは、まっすぐに見える通りの奴だった。だが、周りまでみんな理想通りとはいかないもんだ」
あくまでもハサレックは気軽な調子だった。
「自分がはまった罠が、誰でも落ちるような大層なもんだとでも思ってんのか」
低く、オルフィは言った。ふつふつと怒りが――抑えようとしていたものが湧き出しはじめる。
「正直、ちょっと妬ましかったり憎らしかったりなんてことは誰にでもあるさ。でも他人を羨んだところで何にもならないって思い直す」
「はは、成程。そうできるのが当然で、俺はケツの穴の小さい駄目野郎ってことだな?」
ハサレックは笑った。腹を立てた様子はなかった。
「ああ、そうだ。俺はジョリスを妬んだ。ま、最初から憎んだりはしなかったさ。あいつはいい奴で……腹が立つくらいまっすぐで、ああ、こういう奴が白光位に相応しいんだろうなと、たとえナイリアン国王はどれだけ腐ったとしても、こういう奴にでないと白光位を渡さないんだろうなと、そんなことを思ったっけ」
彼は肩をすくめた。
「俺も最初は、他人にするように自分に言ったもんさ。『馬鹿らしい、下らない嫉妬はよせ、ハサレック。青銀位だって十二分に立派なもんじゃないか』なんてな」
はは、と彼はまた笑った。
「自分のなかに存在する嫌なものを見るまいと目を閉ざし、『高潔な騎士』を演ってきた。だがな坊や。そういう澱は、溜まるんだ」
笑った顔のままで男は続けた。
「俺は次第に息苦しくてどうしようもなくなった。あいつが少しでも嫌な奴だったら楽になれたろう。『オードナー家の血筋で白光位に就いただけだ』なんて考えて溜飲を下げたろう。だが生憎と言うのかね、あいつにケチをつけるとしたら『悪いところがない』ってことくらいしかないのさ」
自分の冗談がおかしかったとでも言うようにハサレックはくっと笑いを洩らす。
「あるとき、俺は気づいた。何を抑えることがある。何をこらえることがある。溜まった澱に触れぬようにし、上澄みだけで生きていって何になる。望みがあるのならば、それを叶えるために生きればいいじゃないかと」
「望み」
オルフィは苦々しく言った。
「名も知らない子供や、カナトや、ジョリス様を殺すことがか」
「それらは結果だ、坊や。付随してきた連中の運命。コルシェントなら絡まり合った〈定めの鎖〉が生んだ事象とでも言うかね」
ひらひらと騎士は手を振った。
「もちろん、判ってた。民衆には判りやすい対象……英雄が必要さ。国によっちゃ王や王子がそうなるが、この国にはナイリアンの騎士がいた。いや、〈白光の騎士〉が」
人々は、ジョリスがいれば何でも安心だと思うかのようだった。そのようなことを言われ、オルフィは唇を結んだ。彼自身、そうであったからだ。
「かまわないさ、判ってた。評判に上がるのは〈白光の騎士〉ばかり。青銀も赤銅も、あとはみんな『それ以外』だとね」
「……必ずしも、そうじゃないだろ」
「何だって?」
「たとえば、橋上市場だ。あの付近の人たちはジョリス様じゃない、〈青銀〉のハサレック様に感謝して、子供たちはほかでもない、あんたに憧れを抱いてる」
バジャサ、マレサ。彼らだけではあるまい。あの辺りの子供たちがごく普通に「〈青銀の騎士〉は自分たちの英雄だ」と考えるようになったほど、周囲の大人たちは「ハサレック派」だったのだ。
「橋上市場? ああ、ディセイ大橋か」
ハサレックは思い出すようにまばたきをした。
「ふん、成程ね。ま、有難いこった。だがね、実際の行為に感謝されるのは不思議でも何でもない訳だ。おっと、俺だってやってもいないことで尊敬を勝ち得ようなんて思わないぞ。ただ、やったことが他人の手柄になったら、どうかな?」
首を振って騎士は言った。
「俺たちが一丸となって問題を解決しても、『ジョリス様がお助け下さった』ってことになる。一度や二度なら苦笑いで済むさ。だが毎度のように続けばうんざりもする」
「そんなの、だって、それは、ジョリス様のせいじゃ」
「そりゃそうさ。あいつのせいじゃない。言ったろ、腹が立つくらいまっすぐなあいつはいつだって『自分だけの力ではない、仲間たちがいたからだ』と言ったさ。上辺だけじゃない、本心からな。だがそれはあいつが『ご自身の戦歴をひけらかさないご立派な方』だってことになるだけだ」
「だったら、何なんだよ」
オルフィは低い声で言った。
「人々にもっともてはやされたかったって、あんたの言うのはそういうことなのかよ」
「手厳しいねえ」
やはりハサレックは笑ったままだ。
「ま、この辺が理由っぽいかと思ったんだが」
「……何?」
「気の毒だが先のないお前さんだ。こうなったら正直に言おう。嫉妬、羨望、そうしたものも確かにあったさ。だがだからって殺してやりたいとか、成り代わりたいとか思った訳じゃない。俺は」
ハサレックは口の端を上げた。
「本音を言うならな、俺は――戦いたかった。ジョリス・オードナーと本気で。生ぬるい手合わせなんかじゃなく、命を賭して」
言葉は淡々と発された。だが言った男の顔から笑みは失せていた。
「理解できんだろうな? 判ってもらおうとは思わん。俺自身、どこかでは馬鹿げていると思う。本気で戦り合うために敵対しようなんてな。だがオルフィ、俺はな」
ハサレックは目の前の若者に呼びかけたが、目を合わせることはしなかった。
「勝ちたかった訳じゃない。むしろ……俺が望んでいたのは」
そこで男は黙った。
「……あんた……」
ジョリスに倒されることを望んでいたと言うのか。いや、それも少し違う。
ハサレックは、オルフィや〈白光の騎士〉に憧れるたくさんの子供たちのように、ジョリス・オードナーに無敵であってほしかったと。
(矛盾じゃないか)
(でも)
そこを指摘し、糾弾する気にはなれなかった。
ジョリスを殺した男であるのに。カナトを殺した男であるのに。たくさんの子供たちを殺した男であるのに。
(何だよ)
(何だよ、こいつ)
(何だよ……俺)
悔しいのに。憎いのに。
どうして言葉が出てこないのか。言葉だけではない。もしいま拘束が解かれたとしても、彼はきっと殴りかかることもしなかっただろう。




