06 全容
次に気がつくと、頭が割れるように痛んだ。
あのあと、カナトやリチェリンのことに気を取られていたオルフィはハサレックが何気ない調子で動いたことにろくな警戒をせず、背後から殴られて意識を失ったのだ。
〈閃光〉アレスディアは反応していた。だがナイリアンの騎士の本気に、籠手の力だけでは一歩及ばなかったのだろう。
オルフィはぼんやりと考えた。
これは以前に思ったことと似ている。
籠手の力があっても、黒騎士に本気を出されたら敵わないだろう――と。
(ハサレック様が、黒騎士だった)
(ハサレック様が、ジョリス様を……殺した)
衝撃的なことが続くと、人の感覚は段々鈍くなってくる。リチェリンのこと、カナトのことがあったあとでは、この怖ろしい事実さえも「ひとつの出来事」にすぎない気がした。
(手足が動かないな)
(縛られてるんだ)
ゆっくりと自分の状態を把握しようとした。
(ご丁寧に、猿ぐつわまで)
完全に動きが封じられている。
(それに、何も見えないときた)
ここがどこであれ、部屋が暗いのではない。そのことはすぐに判った。彼は何か、箱のようなもののなかに閉じ込められている。
(はは)
乾いた笑いが浮かんだ。
(まるで棺桶、だな)
実際には棺のように細長い箱ではない。彼は足を折り曲げて横になっている。いや、自分の意思でそうした訳ではないのだから、そういう形で箱に入れられた、と言うべきであろう。
(どうなっちゃうのかな、俺)
(あいつ、何て言ってたっけ。確か)
(〈ドミナエ会〉の服を着せる……とか)
どういうことだろうか、と考えていけば答えは案外簡単に見つかった。
(そうか)
(ハサレック様が黒騎士なら、黒騎士が倒されたなんて話は嘘っぱちだ)
(黒騎士が〈ドミナエ会〉だっていうのも)
(嘘だ)
オルフィ「にも」〈ドミナエ会〉の服を着せる、と言っていた。つまり、ハサレックが退治したことになっている黒騎士は偽物であり、〈ドミナエ会〉と関係があるというのも出鱈目。
(コルシェントは、神子を探そうとしていた。その理由はまだよく判らないけど、何か特殊な力があると考えてるってところだろう)
強い魔力を持つ魔術師であっても手に入れられない力。神子にはそれがあると、少なくともコルシェントは考えているのではないか。
神子のことを考えるとリチェリンのことが思い出され、怒りが湧き上がりそうになった。だがオルフィは何とかそれを抑えた。いまは冷静に、考えるべきときだ。
(奴は神子を探して、あちこちの子供をさらった。手当たり次第だったのか、何か目論見があったのかは判らないが、「成人前くらいの子供」という情報だけがあったんだろう。背中を確認し、「しるし」がないことが判ると……殺していた)
いったい何人の子供がそんな下らない捜索のために未来を奪われたのか。それを思うとまたしても怒りが湧きかけた。
(手を下したのは「黒騎士」――ハサレック様だ)
(半年前の「死」自体が企みだったのか、それを利用したのかも判らない。とにかくハサレック様はコルシェントと組んで……)
それでもオルフィは、ハサレックから敬称を外すことができなかった。ナイリアンの騎士なのだ。ジョリスやサレーヒと同じ。最初から悪人であったはずがないと、オルフィはそう信じたかった。
(いったい、どうして)
その動機も判らない。コルシェントの野望はキンロップを押さえ、レヴラールを抱き込んでナイリアンを実質上支配することだと容易に推測できる。だがハサレックがそれについて甘い汁を吸おうとしていると考えるのは納得がいかなかった。
オルフィはどうしてもハサレックを「騎士」としてしか見られなかったのだ。
しかし動機がどうあろうと、ハサレックが黒騎士であることは事実だ。オルフィはあの声を聞いたし、当人も認めた。
退治された「黒騎士」はいったい誰だったのか。もしかしたら〈ドミナエ会〉の人間だったのかもしれない。しかし黒騎士ではなかったはずだ。
(〈ドミナエ会〉と黒騎士には、直接の関わりがない)
(両方一緒に掃討し、それを自分の手柄にできる人物は)
(――コルシェントだ)
ところどころ欠けてはいるが、はめ絵の大きな破片はだいたい埋まり、全容は見えた。
(リヤン・コルシェント。あいつが全ての元凶だ)
(どうすればいい、俺に何ができる)
(コルシェントのことを……レヴラールに知らせる?)
王子が知れば宮廷魔術師を放ってはおくまい。
(いや、魔法で信頼させてるようなことがあるかもしれないし、第一、あいつが俺の話を聞くとも思えない)
聞いてくれそうなのは、サレーヒ。或いは――。
(ウーリナ様)
(駄目だな。既にお妃だってんならともかく、他国の姫じゃ)
(あとは)
(……そうだ、祭司長!)
それだと思った。宮廷魔術師に同等の権力を持つ、キンロップならば。
(面識はないけど、イゼフ神官のことを出せば会ってくれるかも)
(……なんて、な)
オルフィは自嘲気味に口の端を――この状態で可能な程度に――上げた。
手足を縛られ、猿ぐつわをかまされ、箱に閉じこめられたこの状態で誰かに会う計画を練っているなど滑稽だ。
(頼みは、ヒューデアとイゼフ神官か)
彼らはサレーヒ、キンロップへのつてを持っている。イゼフは〈ドミナエ会〉の人間に会いに行くなどと言っていたが、無事なのだろうか。
(……あ)
暗闇のなかでオルフィは目をしばたたいた。
(そうだ、シレキのおっさん! あの人は、何やってんだ!?)
カナトはたったひとりで現れた。魔術のように、いや、魔術で。ああしたことはできないと言っていたはずだ。シレキや協会――サクレンの助力があったのだろうか、とオルフィは考えた。
(でもおっさんがカナトをひとりで行かせるか?)
(サクレン導師だって、少しでも話を聞いたら危ないことは判ったはずだ)
(それじゃ……)
カナトはひとりだった。そう考えるべきなのか。ではシレキは。カナトと分かれたのか。
(おっさんがついててくれれば……なんて、繰り言だよな)
(悪いのはおっさんじゃない。俺だ)
(覚えてないなんてことは言い訳になるもんか。ほかでもない俺があいつを置き去りにして、心配をかけたんだ)
(俺が)
(カナトを――死なせた)
無意識に、考えるのを避けていた。
ハサレックやコルシェントのことも重要だが、先にそのことを考えたのは一種の防衛本能であったろうか。
(カナト)
オルフィ、オルフィと彼を呼ぶ少年の声が耳に蘇る。胸が痛み、目が熱くなる。
(駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!)
(いまは泣いてる場合じゃない)
(いまは、まだ)
何とかしてここから出なければならない。そしてコルシェントの悪行を暴き、無事に南西部へ帰るのだ。カナトのことをミュロンにきちんと伝えて、そのあとでなら泣いてもいい。
そんなふうに思うと、オルフィはぐっと手足に力を込めた。縄が緩む様子はない。何とかならないかと身をひねれば、箱の内壁に当たる。動ける範囲が狭すぎて、どうしようもなさそうだ。
「目覚めたのか。あんまり暴れるなよ?」
彼の嘆息にかぶさるように、くぐもった声がした。箱の外に誰かいる。
「お前の出番はまだだよ。もう少しだがな」
(――ハサレック様だ)
苦い思いと怒りが同居している。自分の感情が判らなかった。
「……やるか」
騎士が何か呟いた。と思うと眩しい光がオルフィを襲った。
部屋の明るさはごく普通の昼間のものだったが、暗がりにいさせられた彼にはずいぶん強く感じられたのだ。
「おはようさん。よく眠れたか?」
少しおどけた調子でハサレックは言った。
答えは求められていないだろう。もとより答える気もなかった。たとえ口が利ける状態にあったとしてもオルフィは無言でいたに違いない。




