09 ものすごく、いい日
「私の方こそ、頼むと言おう」
ジョリスは先ほどの包みを差し出した。
「必ず、タルー神父その人に、直接。たとえどんなに信頼できる者でも、ほかの人物には渡さぬようにしてほしい」
「はいっ」
そうして、彼は受け取った。
運命と呼ばれるものが本当にあるのなら、このときオルフィのそれは大いに動いた。
もしもこのときこの四つ辻を通らなかったら、彼はジョリスに出会うことなく一生を送り、平凡な生涯を閉じたかもしれない。
いや、そのような仮定は無意味だ。
彼は出会った。
〈白光の騎士〉ジョリス・オードナーに。
それとも――。
「……決して」
少し躊躇うようにしてから、騎士は続けた。
「決して、その中身を見ようなどと思わぬよう」
「んなっことっ」
オルフィは目を見開いた。初めは驚き、それから自尊心が傷つくのを感じた。
「言ったように、俺は、荷物運びをやってます! たいていは農作物とか酒瓶とか、何も言わなくたって中身が判るようなものだ。でもたとえば手紙とか、恋人への贈り物とか、そんなのを開けて覗いたりはしない。当たり前のことだ!」
彼は目の前の相手が誰であるかを忘れたかのように叫んだ。
「すまなかった」
ジョリスは謝罪の仕草をした。
「貴殿を疑おうと言うのではなかった」
「えっ……あっ、いえっ、俺こそ」
はっとしてオルフィも謝った。
「大事な、もんなんですよね。ジョリス様の仰ることだって、当然です」
何も追従ではない。念を押すという行為は、必ずしも相手への不審から出るとは限らない。そう、時にそれは、自分自身の不安から。彼はそのことを知っていた。
(でも)
(ジョリス様が何かを不安に思うなんて)
いささか想像が難しかった。それよりは、自分が不審に思われたという判断の方が余程納得できるというものだ。
「必ず、タルー神父様に直接、届けます」
オルフィは包みを受け取ると、しっかりと握り締めた。
(何だろう)
(箱、みたいな)
(いやいや、詮索は禁物!)
正直なところを言えば、好奇心も皆無ではない。だがこれだけきっぱりと言い切っておきながら、「これは何ですか」とも問いづらい。
「報酬はどれだけ渡せばよいか」
「うへっ、とんでもないっ」
ぶんぶんとオルフィは手を振った。〈白光の騎士〉から金を取るなんて。
「だが貴殿は荷運びが仕事だと言っただろう」
「そうですけど……まさかジョリス様から、そんな……」
断りかけたオルフィは、はっとリチェリンの言葉を思い出した。
(どんな人からも公正にって、リチェリンはそんなふうに)
(でっでも、ジョリス様なんだ!)
(ほかの誰とも、訳が違う……)
どうしたらいいものか彼は迷った。
(仕事)
(ああ――でも、もしかしらたジョリス様は、俺が荷運びを仕事にしているって言ったから)
だからオルフィなら大事なものをきちんと運んでくれると考えたのではないか。
(そうだとしたら、俺も玄人だってことを示さないと)
オルフィは顔を上げた。
「判りました。俺はこれを仕事としてきちんと請けます」
そう言うことでジョリスが安心するのではという思いもあって、彼は告げた。金銭のやり取りが発生することで責任が生じる、というリチェリンの話も思い出した。
「じゃあ、あの、これだけ」
遠慮がちに指を一本立てる。
「百ラルか」
「ふえっ!? とととんでもない。十ですよ、十ラル!」
慌ててオルフィが訂正すれば騎士は目をしばたたいた。
「ナイリアールでは不思議でない価格だが。オルフィ、貴殿は自分の労働を安く見積もりすぎではないのか」
「んなこと、ないっす。そんな長距離を運ぶ訳じゃないし。だいたいこの辺りじゃ、たかが荷運びにぽんと百も出せる奴なんかいやしませんよ。十ラルだって負けろと言われます」
笑ってオルフィは言った。
「それに俺自身、この辺の人々の世話になってんだ。飯をただでもらったりとか。〈損得の勘定〉って言うほど淡々とはしてないけど、何でもお互い様って言うか」
もごもごとオルフィは言った。
「んで、ついでに言うと、俺は立派な人が相手だからってふっかけたりしません。十は十です」
「そうか」
かすかに騎士は笑みを見せた。
「だが」
彼が取り出したのは、しかし十ラル銀貨ではなかった。
「生憎とこれしか渡すことができないようだ。」
騎士が取り出したのは十ラル銀貨より少し大きい五十ラル銀貨だった。
「いや、駄目ですよ」
オルフィは断ろうとしたが、ジョリスは首を振る。
「本当に手持ちがないのだ。受け取ってもらえないか」
「えっと、じゃあ釣りを」
彼は腰の小銭袋を漁ったが、こういうときに限って小銭が底をついている。買い物代行用に預かっている分もあったものの、生憎と十ラル銀貨は四枚に満たない。
「……ないや」
支払いは村のなかで行われるのが常だから、なければ誰かに崩してもらえるものだ。だが街道の途中ではそうもいかない。
「でもやっぱり五倍も受け取る訳にはいかないです。釣りはカルセン村で渡します」
きっぱりとオルフィは言った。判ったと、騎士は笑みを浮かべてうなずいた。
(――この五十ラル銀貨は)
(とっておこう)
彼はそっと、一枚の銀貨を小銭袋とは違うところにしまった。
「じゃあ俺はカルセン村に行きます。ジョリス様も早くいらしてくださいね。黒騎士退治の報、待ってますから」
純粋な気持ちから言い、オルフィはにっと笑った。騎士は力強くうなずいた。
そこに、かすかな翳りがあったことに、若者は気づくことができなかった。
「ではオルフィ。また会おう」
「はいっ」
誇らしく、オルフィは胸を張った。
〈白光の騎士〉と出会った。名前を呼んでもらった。頼みごとをされた。否、仕事を任された!
(早くリチェリンに話してやんなきゃ!)
彼の鼓動は高鳴りっぱなしだった。
ジョリスが彼から離れ、馬にひらりとまたがり、オルフィに軽くうなずいてルタイの砦の方に走っていく。
(今日はやっぱり)
(ものすごく、いい日だ!)
去っていく〈白光の騎士〉ジョリス・オードナーをいつまでも見送りながら、オルフィは実に嬉しそうな笑みを浮かべた。
今日の出立は取りやめた方がいいかもしれない。
予定外の――誇らしい――仕事に、オルフィは計画を考え直した。幸い、首都への用事に日数の期限はないのだから、依頼主たちにはもう少し待ってもらおうと。
この辺りからカルセン村へは、半刻ほどでたどり着けるだろう。
オルフィは知らず知らずの内ににやにやとしながら、きた道を戻った。
(ジョリス様とお話をした)
(間違いなく、本物だった)
そのことは疑い得なかった。
(すげえ!)
改めて、興奮が湧いてくる。
彼の憧れるふたりの英雄の内、アバスターは過去の人物だが――その死については伝わっていないものの、例の反乱以来、ナイリアンのどんな危難にも姿を見せていないことは確かだ――ジョリスは現在の人物だ。しかし、会うことがあるなどとは思っていなかった。ナイリアールを訪れたときにたまたま姿を見るというようなことは有り得たとしても、まさか話をすることも、仕事を請けることもあるはずがないと思っていた。いや、そんなことは想像すらしてみなかったというべきだろう。
それが、叶った。
思いもよらぬ、偶然の悪戯で。
彼はそう思った。
偶然だと。
もしも、彼の傍らに星を読む者があれば、言っただろう。
これは決して偶然などではないと。
〈定めの鎖〉が引き起こす、運命という名の必然なのだとでも。
何も知らず、オルフィは驢馬のクートントを御して、慣れた道を行く。
彼の運命は、これまで彼が進むと思っていた方向とは全く異なるところに彼を連れて行こうとしている。
何も知らない。
オルフィは、まだ。
(第2章へつづく)




