04 赤い
「――騎士を騙る者どもは放っておけない」
彼は姿勢を低くした。
武器はない。小刀さえ。相手はずっと手にしていた短剣をしまい、左腰の細剣に手をかけた。
「よせ。ここでは捕らえるだけだ」
コルシェントの忠告が飛ぶ。
「やれるもんならやってみな」
ヴィレドーンはあおった。
「似非騎士なんぞに負けはせん」
「殺す気はない」
細剣をかまえながらハサレックは言った。
「できればさっさと降参してもらいたい。丸腰の相手をいたぶりたくはないんだ」
「そう簡単にいたぶれるかどうか、やってみるといい」
嘯いてみたものの、確かに丸腰はつらい。実力差のある相手ならば軽くあしらえるが、この似非騎士はなかなかのものだと彼にはよく判った。
(先手を取る!)
じっくり身構えればこちらは不利になるだけだ。ヴィレドーンは覚悟を決めた。
だがそれはハサレックも予測していたことだった。〈青銀の騎士〉は〈漆黒の騎士〉が飛び込もうとした場所を嫌味なくらい正確に当て、鋭い突きを放った。すんでのところで交わせたのは、殺さないようにと腕を狙ってきたからだ。ヴィレドーンは再び距離を取る。
「邪魔するなよ、術師殿」
ハサレックは言った。
「俺自身の興味としては正々堂々勝負したいところだが、やった結果負けましたって訳にいかないのは判ってる。だからいま、ちょっとだけ、楽しませてくれ」
「負ける? ずいぶんと籠手の力を買っているのだな」
コルシェントは少し笑った。
「いいだろう。好きにしろ。ただし、あまり時間をかけるな」
「了解」
ハサレックがにやりと笑う。
(拙いな)
鞭を持った人間が獰猛な獣に挑むというような見せ物がある。まるで人間が危険と戦うかのような演出をしているが、実際には必ず人間が勝つと決まっている。人間は怯えたり負けそうになったりするが、みんな演技だ。獣は牙を抜かれているし、調教もされている。
彼はまるでその獣になった気分だった。牙を持たず、いいように翻弄されるところを見物される。
(いや)
(そうは行くものか)
状況は相変わらず判らないものの、この似非騎士にひと泡吹かせてやらなくては気が済まなかった。
褐色の瞳に何かが宿る。左手に力を感じた。籠手だ、というのはすぐに判った。
左腕にぴたりとはまる青き籠手は、ただの装備品でも装飾品でもない。
そのことに彼は気づいていた。
否、知っていた。誰かが彼にこれを託した。
『次は』
『お前の番だ』
そしてその人物はそう言った。
だからこれは、彼の籠手だ。
ヴィレドーンは左手をかまえた。ハサレックは警戒し、素早く剣を握り直した。
次の数秒で、何らかの決着が見える。――そのはずだった。
しかし。
(何っ!?)
彼らの間に飛び込んできた影があった。コルシェントではない。「ヴィレドーン」は知らぬことだが、部屋の片隅で震えていた娘でもない。
「駄目です!」
彼の前に立ちふさがった人物は叫んだ。緊張しきった高めの声に彼ははっとした。
「――オルフィ!」
聞き覚えのある声。感じるのは涙さえ浮かびそうな懐かしさと安心感、それから「どうしてここに」との驚き。
そして。
「あ……」
とまらなかった。
微かに光った籠手が何らかの力を発揮するものと警戒したハサレックは、本気で斬りつけにきていた。それこそ彼の腕を切り落とすことも考え、場合によっては殺すこともやむなしと判断したのだろう。上級者を相手に手加減をするというのは難しい。とっさに決定を換えることができるのもまた上級者だ。
無茶だ。無謀なのだ。いくら片方が武器と言えるものを持っていなくても。熟練者同士が本気を出して立ち合えば、たとえジョリスでも――ファローでもとめられないだろう。
もしとめることができるとすれば、それは自らの身をなげうって。
赤いものが散った。
それが何であるのか、オルフィには一瞬理解しがたかった。
「カ……カナト!!」
どうしてとか、どうやってとか、そんな疑問には何の意味もない。確かなのはいまここで、彼の目の前で、こまっしゃくれた、はにかみ屋の、謝り癖のある、賢くて将来有望と誰もが認める小柄な少年魔術師が、細く鋭い刃を身に受けてその場に倒れ伏したこと。
「カナト! カナト!」
オルフィは叫び、もう何もかも忘れ、または状況を推し量ろうともせず、床に膝をつくと年下の友を抱き起こした。
「しっかりしろ!」
「オル、フィ」
自らの血にまみれ、少年は彼の名を呼んだ。
「探し……ました、よ……」
「いい、喋るな、いま、血を」
血をとめてやると、オルフィはそうしたことを言おうとした。だが、どうすればいいのか。
温かいもので彼の両手が濡れていく。鮮やかな赤。ぬるりとした感触。嗅ぎ慣れない臭い。いや、それとも、彼はこの臭いをよく知っていただろうか。
「カナト、カナト!」
「魔術師か?」
ハサレックは顔をしかめた。
「急に現れた」
「まだ幼いのに〈移動〉術を操るとは大したものだ」
コルシェントが呟いた。
「だがそれだけの技があるのならこんな愚かな真似をせずに済んだはずだ。誰かの手を借りたか」
そんな言葉はオルフィの耳には届かなかった。
「何で、こんな……馬鹿な、ことを……」
少年の小さな身体からどくどくと血が流れていく。命が、流れ出ていく。
「僕……よかった……オルフィを、助け、たくて」
「馬鹿な……馬鹿な、こんなこと……おかしいだろ、だって……」
目の前が、真っ赤だ。
怒りのためではない。
カナトの血で、視界が赤い。
このままでは――。
「だ、誰か」
オルフィの声はかすれた。
「助けてくれ! こいつを助けてくれ!」
彼は辺りを見回した。
「な、なあ! あ、あんた」
ごくりと彼は生唾を飲み込んだ。
「魔術師だろ!? な、何とかできないか!?」
怒りに燃えて襲いかかった相手に、オルフィはかすれる声で言った。
「……血を」
コルシェントは静かに言った。
「とめてやることならば、できる」
「やってくれ!」
語尾にかぶせるようにオルフィは叫んだ。
「頼む!」
「そのようなことをして、私に何の得がある?」
冷徹に魔術師は問うた。
「得だって」
人命がかかっているのに損得なんて、などという正論は通じない。そのことは瞬時に悟った。
「こ、籠手を」
彼はカナトを抱き締めた。
「この籠手をくれてやってもいい! だから、だからこいつを」
「生憎だが、その子供が死のうと生きようと事態は変わらない。お前も籠手も、私の手中にあるも同然だ」
得にはならない、とコルシェントは簡単に答えた。
「し……死なせたらまずいって言ってなかったか!?」
次には彼はそう言った。
「ここで、誰かが死んだら、まずいんだろ!?」
「生憎だが」
また言ってコルシェントは肩をすくめる。
「ここで死なれて困るのは『黒騎士』だ。その子供は、性質の悪い少年盗賊とでも処理すればよい。ここの護衛に罪を引き受けてもらうことになるが、何、暴れたので仕方なかったと言えば咎めもあるまい」
魔術師に少年を助ける気がないことは明らかだった。オルフィは絶望感に襲われた。
「カナト……カナト……!」
「オル……」
少年の声はもうほとんど聞き取れなかった。
「……か、……って……」
「無理するな! 待ってろ、いま、医者を」
いまから医者など呼んだところで間に合うはずがないのは判っていた。だいたい、この部屋から出してもらえるとも思えない。だが何か、何でもいい、気休めでも何でもいいから、カナトを安心させてやりたかった。
「……を」
だが少年は弱々しい力で腕を伸ばし、きゅっと彼の袖口を掴んだ。
「行……ないで」
「わ、判った、行かない、大丈夫だ。俺はここにいる」
こくこくと彼はうなずいた。
「大丈夫だ、カナト。大丈夫だから」
かあっと目が熱くなった。
(馬鹿な)
(泣くな)
(泣いたりしたらまるで)
(まるで、カナトが)
まるでカナトが死んでしまうと思っているようではないか。オルフィは現実に目をつむり、ぐっと涙をこらえた。
(死ぬもんか)
(大丈夫だ)
少年が苦しそうに何か言おうとする。オルフィは首を振って、やめさせようとする。
「大丈夫だ」
空言を繰り返した。ほかに何が言えただろう。




