03 大した騎士志願
「その籠手……まさかお前は、アバスターか」
魔術師はアバスターの籠手にその精神が封じ込められていた可能性を考えた。
「アバスターだと?」
ヴィレドーンは目を見開いた。
「は、彼に間違われるとは光栄だ。だが外れだよ魔法使い」
右腰には相変わらず剣がない。惜しいな、と彼は思った。何やら偉そうな口を利くこの魔術師ののど元に切っ先を突きつけてやりたかったのに、と。
魔術師と対戦したことはない。だが怖れも不安もなかった。それは決して、彼が無知なためではない。時に魔術が剣より速いことはよく判っている。
相手の能力の程は判らないが、「偉そうな口を利く」程度には自信があるのだろう。通常であれば、この数ラクトの距離が致命的となる。彼が史上最速の剣士であろうと、剣が届く前に魔術が彼を撃つ。
しかし、彼は怖れない。
魔術より強い力が彼を守る。
強く、邪な力が。
忌まわしき血の契約によって。
「何かが憑依しているのか? いや、どうでもいい。籠手についてはお前から取り外し、それから精査する」
「俺から?」
ヴィレドーンは鼻で笑った。
「できるものならやってみるがいい」
彼は褐色の目を細めた。この距離ならば、二歩。
魔術師を引き倒し、首を絞めてやる――殺すかどうかは、また別の話だ――ことができると確信した。
だが、彼が床を蹴ろうとしたその寸前、首筋に当たるものがあった。
「そこまでだ、〈漆黒〉の」
耳元でくすりと誰かが笑った。
「そいつを殺されちゃ困る」
「――何者だ」
〈漆黒の騎士〉ともあろう者が、簡単に背後を取られた。いや、いまのいままで、背後になど誰もいなかった。そのはずだ。
「術師、そうほいほい俺を呼ばないでくれないか。これまでと違って仕事も人目もあるんだからな」
刃を彼ののどに押し当てたまま、男は魔術師に向かって言った。
「判っている。だから少し待ってやっただろう」
コルシェントは答えた。
「ここでは殺すな。ピニアの館に黒騎士がいたなどとなれば、説明が必要になる。下手に話を作って矛盾を見つけられれば厄介だ」
「誰が探る?」
「キンロップがいる」
「成程。あの爺さんの息の根はまだ止まっていないな」
気軽に話すふりをしながら、背後の男は決して油断していなかった。これから逃れるのは容易ではない、と彼は判断した。
「何の話をしている」
苛ついて、またはそのふりでヴィレドーンは言った。
「いったいお前たちは何者だ。俺に何の用だ」
「お前自身には用などない」
コルシェントが言った。
「だが役には立ってもらう。……しっかり捕まえておけ」
「ああ」
刃にかかる力が強まった。
「ここでは殺せないんだろう?」
脅しだ、とヴィレドーンは口の端を上げた。
「何の。斬りつけておいて、術で一時的に血を止めておく方法もある」
さらりと魔術師は答えた。
「成程」
致命傷を与えておきながら、いつ死なせるかは魔術師の思うままという訳だ。ヴィレドーンは理解した。
(つまり、刃を当ててるのはただの脅しじゃない)
(本気でのどを切り裂かれる可能性も十二分にあると)
そうであれば無茶はできない。状況はいまひとつ判らないものの、欠けた記憶のなかに答えがあるのなら、判らないと戸惑ってみたところで仕方がない。まずは自らの安全を確保することだ。
(だがこの男、隙がない)
彼の背後にいる男は、絶対的優位にいると思っているであろうに、油断をしていない。
(かと言って様子を見るのも危険だ。こいつらの目的がさっぱり判らない)
いますぐ自分を殺すつもりでいるようだ。それは判るが、何のために。
(少なくとも後ろの男は俺を〈漆黒の騎士〉だと知っている。魔術師は……黒騎士、などと言っていたようだが)
〈漆黒の騎士〉はあくまでも〈漆黒の騎士〉で、黒騎士と呼ばれることはない。
(やはりどういうことか判らないな。判断するには材料が少なすぎる)
(手も足も出ないふりをしてもう少し口を軽くさせるか、それとも)
(危険を承知で後ろの男に襲いかかるか)
たいていの場合なら彼は後者を選ぶだろう。捕らえてから吐かせればいいだけのことだ。しかし背後の男が手練れであることは判る。多少の怪我など怖れはしないが、死んでしまえば何にもならない。
そのときふと、誰かの声が耳に蘇った。
『死んじまったら何にもならない』
『生き延びろ』
誰かが彼にそう言ったことがあった。だがそれは誰だったろうか。いったいどんな状況で、彼はそんな言葉をもらったのだったろうか。
心に強く残っている言葉であるのに、その相手がとっさに思い出せなかった。
それは彼の時間が歪んでいるせいだったが、彼自身には判らないことだった。
(生き延びる、か)
「――俺を殺してどうする?」
話を続けてみることにした。何か引き出せれば運がいい、そうでなくともとにかく隙を窺うのだ。
「騎士を殺して名を挙げたいなどという馬鹿な戦士もこの国ではまずいないが、魔術師ではなおさらだろう?」
「私が殺す訳ではない。私に黒騎士殺しの栄誉は必要ない」
「黒騎士殺しの、栄誉」
ヴィレドーンは考えた。自分のことではない。彼は知らないが、この連中には「黒騎士」と呼ばれる何者かを殺す理由がある。その相手が見つからないのか何だか知らないが、彼を「黒騎士」ということにして殺そうとしている。
(ずさんすぎる計画だ)
彼は呆れた。
(何でこんな馬鹿魔術師に、この男はつき合っている? 腕がいいだけでこいつも馬鹿なのか?)
(だが俺は)
「……つき合ってられん」
ぼそりと彼は呟いた。
「何?」
「おいお前。魔法使いじゃない、俺の背後を取っていい気になってるお前だよ」
「俺か?」
どこか面白そうに男は返した。
「何だ?」
「お前はこの阿呆な計画が巧くいくと思ってるのか?――俺が誰だか知ってるんだろうに」
小声でつけ加えた。聞き取れなかったか、コルシェントの片眉が上がる。
「ああ、知っているとも」
くすりと男は、やはり小声で返した。
「あんたより、な」
「何だと?」
「鏡を見せてやりたいね。どんな反応をするのかな」
「鏡?」
意味が判らない。ヴィレドーンは顔をしかめた。
「まあ、でも、正直に言うならばあんたとは手合わせをしてみたい。前に言った通りだが」
「前、だと」
知っている人物なのか。だが声に聞き覚えはない。
「あんたがその状態にあるのは、籠手の力なのかねえ? 俺にはどうにも判らん。魔術についても勉強はしたが、魔術師でない以上、限界があるからな」
「ほう、なかなか勉強家だな」
「そりゃ当然。ナイリアンの騎士になるには教養もないとな」
「は、大した騎士志願だ」
ヴィレドーンは少し笑った。彼からすれば、背後の男は騎士では有り得なかった。仲間たちの声ならば判る。声を作っていればともかく、先ほどから喋り方は自然で、無理をしている感じはない。
だが生憎と、それは騎士だった。
彼の知る騎士たちから、三十年あとの。
「志願じゃないさ」
ハサレック・ディアもまた、少し笑った。
「俺は間違いなくナイリアンの騎士だ」
「面白くもない冗談だ」
彼は軽くいなした。何も挑発したつもりはない。ヴィレドーンにしてみればごく普通の応答なのだ。
「本当さ」
ハサレックも腹を立てる様子はなかった。
(戯けたことを言う奴だ)
(これ以上話をしても、あまり得られることはなさそうだな)
彼はそう判断した。
(このまま待っていても、いま殺されるかあとで殺されるかというだけだ)
(いっちょ、賭けるか)
隙がないなら作るまで。
彼はぐっと前方に体重をかけた。それは思ってもいない行動だっただろう。刃を押し当てられた人間が身を引くなら判るが、その逆とは。
背後の相手は驚き、一瞬だけ右手を緩めた。刃のわずかに離れた、その一瞬が勝負だった。
ヴィレドーンは右肘を相手の腹に叩き込み、素早く離れた。
「何をしている!」
魔術師が怒鳴った。
「捕まえておけと――」
「馬鹿な」
その叫びに被せるように、彼は呟いた。
「それは」
驚きに目を見開く。
「青銀位の制服だ」
彼の背後にいた男は〈青銀の騎士〉の衣を身にまとっていた。
「その通り」
「いったい、どうなっている。さっきも赤銅位を名乗る男が」
ヴィレドーンは顔をしかめた。
「サレーヒ殿かな」
やはり面白そうにハサレック・ディアは言った。




