13 何の慰めにも
「あ……」
ピニアの顔色が変わった。
「あんたはあの魔術師の……リヤン・コルシェントの仲間なのか?」
名を出した。これは賭けだ。イゼフの推測やラスピーの言葉が正しいとは限らない。
だが。
「そ、それは」
ピニアはびくりとし、明らかに動じた。
「私は」
「リチェリンはどこだ!」
オルフィはピニアに詰め寄った。左手がうずいたが、どうにか抑え込んだ。
(女に暴力なんて、駄目だ)
「オルフィ」はそう考えた。
「彼女は……」
ピニアは頭痛をこらえるように顔をしかめた。
「い、いません……」
「嘘だ」
彼は間髪を入れずに返した。
「この館にいることは判ってるんだ」
本当に判っているとは言えない。だがはったりと言うよりはもう少し自信があった。ピニアの反応が顕著だからだ。
占い師は時に演技を必要とする職種であり、彼女も占い「業」の最中は場合によって限りなく嘘に近いことも言う。〈星読み〉をする者の誇りにかけて嘘はつけないが、何もかも直接的に言えばいいというものでもないからだ。
だから彼女もごまかすことはできる。
しかしこのときはできなかった。
コルシェントを守る意志は彼女になく、できることならばあますところなくオルフィに全てを伝えたい。魔術師の制約がそれをさせないが、葛藤のなかにいる彼女は隠しきることもできず――意識してそれをせず、オルフィに答えを教えていた。
若者がその複雑な絡み合いを知ることはないが、その答えは伝わったのだと言える。
「どこだ」
「それは……」
「言わないなら片っ端から当たるまでだ」
オルフィはくるりと踵を返した。
「右の!」
ピニアは頭を押さえながら言った。
「右の――奥から二番目の部屋に」
「……有難う」
小さく、彼は礼を言った。
「ごめんなさい」
彼女は言った。
「ごめんなさい……」
その声は悲痛だった。オルフィは一瞬、もう一度踵を返して彼女を慰めるべきかとも思った。
「たぶんあなたは悪くないんだろうと思う」
だがその代わり、彼はそうとだけ言って占い師のいる部屋を出た。
ラスピーの話では、この占い師がどういう人物なのか判らなかった。彼の得た情報ではコルシェントの「仲間」と考えることが自然だったが、そうした感じは覚えなかった。
(ジョリス様のことを言っていた)
(あの女の人が「予言」をして、それでジョリス様はあの四つ辻にいらしたのか?)
(だとすると、俺からすると諸悪の根源って感じだけど)
(――黒騎士に籠手が渡らなかったってのは、いいことなのかな)
籠手がジョリスの手にあれば彼が敗れるなどなかったのではないかと、オルフィはそう思っているものの、ジョリスでは封印が解かれなかったというのが各識者たちの判断だ。
となればジョリスが籠手を手放したのは蜘蛛の巣から逃れる数少ない正しい道のひとつで――。
(あの人は悪人って訳じゃない)
オルフィは、ピニアは利用されているだけだろうと正しい推測をした。
(この件……いや、「この」件だけじゃない。半年前から続くナイリアンの不穏な出来事の裏にいる悪党は)
奥から二番目の扉は、ほかのものと特に変わることない様子で彼を待ち受けていた。
戸を叩くとか、なかの様子を窺うとか、そんなことを考えるより早く、オルフィは取っ手を回していた。
鍵はかかっていなかった。
虜囚がいるのであれば妙なことだと、そんな判断をするよりも早く、オルフィは部屋に飛び込んだ。
「リチェリン!」
部屋には、簡素だが上質な家具や椅子が置かれていた。寝台の数と大きさからするとひとりのための部屋なのだが、この広さだったら五人は寝られるんじゃないかと、余裕があればオルフィは呆れただろう。
だがいまは部屋の広さにも空間の無駄な使い方にも驚いているときではなかった。
寝台の周囲に描かれた奇怪な紋様についても、疑問に感じている暇はなかった。
彼は飛び込み、見慣れた、愛しい人影を探した。
「リチェリン!」
「いや!」
声がした。それは間違いなくリチェリンの声だった。
オルフィはきょろきょろと見回す。姿は見えない。声はどこから聞こえたのか。
「俺だよ、オルフィだ。安心して出てき――」
「オ……オルフィ?」
「そうだよ、俺だ」
ほっとして彼は言った。
「こないで!」
だが娘の声ははっきりとオルフィを拒絶した。
「え?」
どこから声が聞こえていたかは判った。寝台の向こう、ちょうど影になっているところだ。
どうしてそんなところにいるのか。
まるで隠れるように。
「リチェリン、どうしたん」
拒絶の言葉の意味が判らず、結果的にそれを無視して、オルフィは寝台を回った。
その奥、部屋のいちばん隅で、娘は薄掛けをまとうようにしてうずくまっていた。
顔色は酷く青い。対するように目は真っ赤だ。頬に涙の筋が見える。
「どうしたんだ、リチェリン! 何か」
魔術師に何かされたのか。その問いかけは途中でとまった。
悲痛そうなピニアの声が耳に蘇る。まるで何かを知っていたような。
寝台のある部屋。影に隠れて怯えたように泣く娘。白い布の隙間からのぞく素肌。
脱ぎ散らかされた、いや、破り捨てられたと思しき、女の衣服。
(まさか)
ぞっとするような想像が若者の内に走った。
(まさか、リチェリン)
(まさか)
(魔術師が)
「魔術師が何かした」のだと、若者が確信するまで長くない。彼の目の前は真っ赤になった。
「リチェリン!」
彼は娘に手を伸ばした。
「や――駄目、こないで」
「大丈夫だ、リチェリン。俺が」
「俺が」? 自分がどうすると言うのか? オルフィは言葉を探した。
この怖ろしい想像が事実であれば、「助けてやる」などと言ったところで何の慰めにもならない。「守ってやる」だっていまからでは遅い。
遅かったのだ、彼は。
どんな慰めの言葉を口にできるとしても、もっとあとだ。
少なくともいま自分にできるのは。
「俺がいる。ずっと、君の傍にいる」
そのまま彼は彼女を抱き締めた。
「オル……オルフィ」
涙声で彼女はオルフィの腕から逃れようとした。
「駄目よ……私、私は」
「大丈夫だ。リチェリン。俺が」
浮かぶのはどす黒い怒り。これまで感じたこともない憤り。
いや、一度だけ感じたことがあったろうか?
「オルフィ」ではない彼が一度だけ感じ、そして決意したこと。
「俺が」
目の前が真っ赤になる。
「俺がそいつを……殺してやる」
(第2章へつづく)




