12 私が視たのです
躊躇など、あるはずもなかった。
ラスピーの言葉が全て真実かは判らない。密偵だとの告白も唐突だ。
だがその件に関しては成程とも思えた。ひとりであちこちに首を突っ込んでいれば怪しまれるが、連れがいればごまかせることもあるだろう。彼は必要なときだけ、連れを――何の関係もない通りすがりの連れを求めたのかもしれなかった。
また、オルフィは知らないことだが、もし知っていれば思っただろう。ラスピーがエクール湖やキエヴ族のことに詳しいのは本に著すためではなく調査のためだったのだと。資金が潤沢なのも「国」が背後についているならさもありなん、である。
しかしどうでもいい。ラスピーが何者でも、オルフィにはどうでもいいことだ。
ただ、密偵を名乗る男の情報網にかかった一羽の蝶だけが、彼にとっては黄金の蝶だった。
リチェリンは、占い師ピニアの館にいる。
ラスピーの言った通り、有名な占い師の住居はすぐに知れた。彼はほかの何もかもを忘れて、街路を走った。
イゼフやヒューデアとの約束のことも。籠手のことも。敵が宮廷魔術師だということも。ジョリスのことさえ。
(リチェリン)
(待ってろ。いま俺が助けてやる)
どうやって、などということは若者の頭にない。かっとなった彼はただひたすら走って目当ての場所にたどり着き、そこでようやく、考えざるを得ないことに気づく。
(侵入するなんて真似は、俺にはできない)
(正面から行くしかないな)
まず入るために、占いを頼みにきたとでも言えばいいだろうか、と彼は考えた。ピニアが病で休んでいるという噂は彼の耳に届かなかった。
(おし、行ってみよう)
こうしてピニアの館の女使用人は、久しぶりに「話を聞かない客」の訪問を受けることになる。
「主が病床にあるため、占いの依頼はお受けできません」
使用人はまず、誰にでもするように丁寧かつはっきりと言った。
「えっ」
オルフィはいきなり行き詰まった。こう言えばとりあえずは入れてもらえると思っていたからだ。
「その、大事な話があるんだ。病気というのは重いのか? 話もできないくらい?」
「お約束のない方はお通しできません」
すげなく言われた。もっともではある。
「じゃあ、ええと」
オルフィは考えた。ふっと彼の目に何かが宿った。
「――ジョリス・オードナーとリヤン・コルシェントの件で話があると伝えてくれ」
これに必ず食いつくはずだ、との確信があった。
「俺を追い返したら、あとで絶対に罰を食らうぞ」
堂々と言えば、使用人は戸惑った。
「では……こちらで少々お待ち下さい」
仕方なさそうに使用人は訪問客を玄関に入れ、待合い用と思われる長椅子に案内した。
「判った」
彼はうなずいた。
「待とう」
と椅子に座った彼だが、使用人が姿を消すやいなや立ち上がった。
(一階は占い、つまり商売用か)
(そうでなかったとしても一階は出入りが多い。外から見たところでは、二階に部屋数があるようだし)
(地下室でもあれば別だが……上だな)
彼はざっと当たりをつけた。
階段はどこにあるか。使用人は主人に話を聞きに行った。休むのなら――休息、という意味でも――忙しない一階より二階だ。
彼は使用人が出て行った扉をそっと開け、先の廊下を覗いた。先ほどの使用人がどこかの部屋に入るところが見えた。
(いや、あれは部屋じゃない。階段だな)
そう気づくと彼は扉の向こうに身体を滑り込ませ、そっとあとを追った。
階段を上がる。二階の廊下に出る。使用人が一室の扉を叩き、なかに入る。迷ったのは瞬時で、一秒と経たぬ内に彼は動いていた。
即ち、使用人が入ったその部屋に、そのまま入り込んだ。
「――お待ちいただいて……ひっ!?」
状況を説明していたらしい女使用人は、「お待ちいただいて」いたはずの客人が突然背後に現れたことに悲鳴を上げた。
「礼儀知らずは謝る」
彼は言った。
「だが会うと言われれば同じことで、会わないと言われても俺は無理に通ったんだから」
やっぱり同じことだと彼は肩をすくめた。
「占い師ピニア。あんたが?」
「ええ」
銀の髪をした女占い師は痩せた顔でうなずいた。
「ごっ、護衛を」
使用人が声を裏返らせた。素早く彼は女の腕を左手で掴んだ。
「ひっ」
「およしになって。……アリナ、いいのよ。私はこの方とお話をします。下がってちょうだい」
その言葉に彼はそっと手を放した。
「は、はい……」
使用人は心配そうな顔を見せたが、ピニアがうなずくのを見ると礼をして指示の通りに下がった。
「――強引なお若い方。お名前は?」
ふたりになると、ピニアはまず問うた。
「名前……」
彼は繰り返した。
「オ……オルフィ、です」
目をしばたたいてオルフィは言った。
(何だ? 俺、いま)
(ずいぶん、無茶なこと、した)
呆然と若者は自分の行動を振り返った。
記憶はあったが、不可解だった。「オルフィ」なら大人しく待っただろう。結果として会えないと言われ、突破しようと考えたかもしれないが、返答をもらってからだったろう。
「オルフィ殿」
ピニアは繰り返した。
「……ついに……」
彼女はうつむき、顔を覆った。
「いらっしゃいましたわね」
「え?」
「どんな方なのか、判ってはいませんでした。でもこうして面と向かえば判ります。その左腕にあるものが何であるのかも」
はっとしてオルフィは左腕を右手で押さえたが、隠れるものではないのも承知だ。
「あなた、でしたのね。〈ウィランの四つ辻〉であの方が……ジョリス様がそれをお渡しになったのは」
「どうして、そのことを」
ジョリスから預かったのだという話はそこここでしてきたが、四つ辻の名称など挙げたことがない。あの付近を離れたところで説明するなら「南西部」で充分だったからだ。
「私が視たのです」
占い師は静かに告げた。
「あの方の手にした『箱』、それはあなたの手に渡るべきものだった。封じを解く定めはほかでもないオルフィ殿、あなたのものだったからです」
「定め……? あっ、は、箱!」
そこでオルフィははっとした。
(俺、あの箱をどうした?)
(持ってない。エクール湖を離れたときからだ!)
(何でいままで、思い出しもしなかった?)
すっと彼は青ざめた。あの箱だって大事な預かりものだと、「オルフィ」はそう思っていたはずなのに。
「箱自体は重要ではありません」
しかしピニアは言った。
「箱はただの封じにすぎない。あなたを呼び寄せる力はあったと思いますが」
「呼び……寄せる?」
「ええ。あなたは箱を見て惹きつけられた。違いますか?」
「そりゃ、立派なものだったし」
思い出しながらオルフィは言った。ピニアは首を振った。
「それだけではありません。あの箱は、大導師ラバンネルからの、あなたへの伝言」
「ラバンネルなんて、俺には関係ない」
オルフィはきつく言った。
「そいつは俺を誰かと間違えたんだ。そのせいで、こんな訳の判らないことになってる。俺は」
恨み言のような台詞を吐きかけて、オルフィは首を振った。
「違う! 俺はそんな話をしにきたんじゃない!」
彼は声を荒げた。
「――リチェリンはどこだ」




