09 なかったはず
サクレンとの話は中途半端にならざるを得なかった。
カナト自身状況を掴み切れていないのだし、見せたかった箱はない。導師も助言に迷うようだった。
シレキが急に消えたことに関しても相談をした。
それについては、何か道具を使ったのではないかという推測が返ってきた。魔力の込められた品であれば普通は魔術の発動に似た痕跡を残すはずだが、作動を気づかれないように作られた品であればその限りではないと。
「でもそれでは、彼があらかじめ用意をしていたということになります」
「絶対に違うと言い切れる?」
サクレンは尋ねた。カナトは黙った。
シレキ。
魔力を持ち、ラバンネルを探すと言い、オルフィを運命だと言って彼らに――オルフィについてきた自称調教師。「変わった人だ」とは思いながらも悪人ではないと感じていた。
だが、どうだったのか?
いまでも「実は悪党だったのだ」とは思えないものの、いったい何を隠しているのか? 何故、籠手の入っていた箱を持ち去ったのか?
「――ラバンネルと面識がある、と言っていました」
「ラバンネルと?」
「はい。彼を探すと言っていたときは、そんな素振りは見せていなかった。さっき箱を渡したとき、間違いなくラバンネル術師の力だと言って、彼の魔力を知っていることを告白したんです」
「大導師ラバンネル……生きているのかしら」
「判りません。いつ会ったのかというような話も聞けませんでした。でも、彼がラバンネルを探しているというのは本当だと思います」
そう言ってカナトは、シレキが「ラバンネルを探す人物を見つけては一緒に旅をした」と話したことを説明した。
「それは考えられそうね。彼自身でも探したけれど巧くいかなかった。そこで、他者の目線に頼ることにした」
自分が探しても探しても見つけられなかったものを他人があっけなく見つけてしまうというのは間々あることだ。失せ物探しと人探しは違うが、それでも自分の知らない、気づかない道を他人が見つけることは有り得る。
「ラバンネル探しに箱が使えると思ったのだとしても妙です。シレキさんにはそれほど魔力がありません。彼自身では魔力をたどるなんて難しいと思うんです。協会を頼るならこのまま導師にお願いしてしまう方がいいですし、いったいどうして……」
カナトは首を振った。
「すみません。繰り言を」
「いいのよ。人に話す内に整理がつくこともあるし、それこそ君が気づかないことに私が気づくかもしれないわ。生憎、いまは発見がなかったけれど」
サクレンは手を振った。
「別件なんですが」
判らない話を切り上げ、カナトは言った。
「僕のことなんですけれど」
まるで自分のことを相談するのが照れ臭いかのように少年は少しうつむいた。
聞いてみたいのは、背中の「しるし」のこと。
「皮膚上に突如、これまで存在しなかった紋章のようなあざが出てくる現象について教えて下さい」
彼はまずそう言った。
それからざっと、自分の身に起きたらしいことを話した。前には絶対とは言い切れないが、かなりの確率でなかったと判断できるものがいま現在彼の背中にあること。導師は見せるよう言い、彼はもちろん気にせずに上衣を脱いでそれを見せた。
「〈はじまりの湖〉エクール湖畔の村に伝わるしるしに酷似しています」
カナトはそのことも隠さずに告げた。
「エクール湖」
サクレンは眉をひそめた。
「あの場所は、魔術の理とは違うものが働いていると聞くわ。少なくとも、そのしるしからも魔力は感じないわね」
「ええ。ですから不思議でたまらないんです。僕が、知らぬ内に魔術を振るわれたというのならまだ判るんですが」
服を着ながらカナトは言った。
「あら、そうは思わないわ」
くすりとサクレンは笑った。
「あなたに気づかれないで魔術を振るえる術師なんてそうそういないわよ」
それは過大な褒め言葉のように聞こえ、少年は顔を赤らめた。
「とにかく、以前にはなかったはずなのね?」
「十中八九、としか言えませんが」
「ミュロン殿に確認を取ってみましょうか」
「あ……そうですね、それがいいかもしれません」
ずっと世話になっているミュロンならきっと知っているに違いない。そんな簡単なことにさっさと気づかなかった自分が少し恥ずかしく、少年の頬はもう少し赤くなった。
「あとで私が会いに行ってお話を伺ってくるわね」
「わざわざ、すみません」
「しばらくご挨拶していないから、ちょうどいいわ」
魔術師、それも導師級になると自覚するしないに関わらず非魔術師を見下すところがあったが、サクレンはそうではなかった。少なくともミュロンに対しては敬意を抱いていた。
「カナトは元気ですと伝えて下さい」
「そうしましょう。でも」
導師は少し表情を曇らせた。
「オルフィ君についてはどう言おうかしらね」
「……ありのままを」
少し間を置いてから少年魔術師は言った。
「判ったわ」
サクレンはうなずいた。
「そうそう、〈はじまりの湖〉についてだったら、ピニアが知っているわよ」
「ピニア?」
「首都にいる間、聞いたことがなかったかしら? 王城にも上がることのある占い師のこと」
「占い師の方が、知っているんですか?」
よく判らなくてカナトは首をかしげた。
「ええ。彼女はエクールの民だから」
サクレンは言った。
「彼女が魔力を発現したのは確か六つくらいだった。あなたと同じように故郷を離れ、ここの協会にやってきたのよ。子供の頃のことだから細かいしきたりなんかは知らないかもしれないけれど、私を含めたその辺りの聞きかじりよりはよく知っているし、曖昧な噂話と違って確かだわ」
「エクールの……」
カナトは繰り返し、すっと導師を見上げた。
「おかしなことを尋ねるとお思いでしょうが」
少年は前置いた。導師は首をかしげ、教え子の言葉を待つ。
「僕は、エクール湖畔の村からきたのではありませんよね?」
「もちろん違うわよ」
サクレンは即答した。
「南の、小さな村だったわね。確か、パンテスと言ったわ」
「パンテス」
正直、覚えのある音ではなかった。
「どうしてエクールの村だなんて……ああ、しるしのせいね」
「はい。シレキさんは、しるしがあるからには僕が神子だと言うんです。でもそんなはずはない。僕はそのパンテス村からナイリアールにきたんですから」
カナトは知らず、リチェリンと同じ主張をしていた。十何年前だかまで畔の村にいたなんてことはない、と。




