08 あんなふうなのかも
驚きました、と少年は目をしばたたいた。
「シレキさんって、本当に魔力あるんですよね?」
「見りゃ判るだろうが」
男は顔をしかめたままで返した。
「ええ、はい。確かに見間違いようがないものがあるんですけど」
「なら訊くなよ」
「すみません。まさか協会同士の〈移動〉で酔う魔術師がいるとは思わなかったので」
魔術師協会は、基本的に対魔術師に限ってだが、余所の協会に魔術で「送る」ことを可能にしている。
非魔術師は彼らが好きなとき好きなところに魔術で飛んでいけると思いがちだが、実際にはそれは高度な術で、カナトもまだ使うことができない。だが協会に依頼して料金を支払えば、その術を確実に操ることのできる魔術師が請けてくれるのである。これまた基本的に行き先は協会に限られるが、街道の途中が目的地ということもそもそもあまりない。
このように協会は魔術師にとって便利なところだが、それは依頼を果たしてくれるという意味だけではない。協会内は魔力を持つ人間が普段より楽に術を使えるようになっており、使われる〈移動〉術も確実なら、送られる術師にも何ら問題が発生しないのが普通。
だと言うのにシレキは目を回し、倒れることこそなかったものの、気分を悪くしてしばらく休んでいたのである。
「俺は魔術師じゃないと言ったろ。調教師だ」
シレキは手を振った。
「職業はそうかもしれませんけれど、魔力があって協会に登録されているんですし、広義では魔術師ですよ」
それにしても、とカナトは肩をすくめた。
「よくラバンネルを名乗る気になれましたね」
「それは、馬鹿にしてるのか?」
「そういうつもりじゃありませんけど。シレキさんご自身は、そう思わないんですか?」
「だからあれは験担ぎ。それから、ラバンネル術師と面識があるか探るため。ものすごい魔力があると空威張りした訳じゃないさ」
「していたと思います」
「過去のことをぐだぐだ言うなよ」
カナトの指摘をシレキは受け流した。
「とにかく、こういうこともあるんだって訳だ。協会は絶対じゃないぞ」
「判っていますよ、そんなこと」
などと彼らが言い合っていたのは、当の協会のなかでであった。
「何とか言う導師はいつくるんだ?」
「サクレン導師ですよ。お忙しい人なので、もう少し待って下さい。休めていいでしょう?」
「まあな」
否定しない、とシレキはうなって長椅子の背もたれに寄りかかった。
「それで? 導師には何を報告するんだ?」
「報告と言うか、相談です」
カナトは真剣な顔をした。
「――これのこと」
「……ああ」
それか、とシレキは顔をしかめた。
少年が取り出したのは、細長い形状をした、銀色の美しい箱。
「オルフィがこれを置いていくなんて余程のことだと思いました。箱もジョリス様から預かったものとして、導師に渡すことも拒絶していたのに」
「それもあってお前さんはかなり慌てたんだよな」
「ええ。でもほかの荷はなくなっていましたし、もしかしたらオルフィが支度の途中で拐かされたのかもしれないと……」
「そんなことを心配してたのか」
「可能性のひとつですよ。笑わなくてもいいじゃありませんか」
むっつりと少年は言った。
「だって先生がオルフィに突き飛ばされたって話だったのに、何で拐かされるんだ」
「僕が考えたのは」
カナトは真面目に続けた。
「それがオルフィに見えてオルフィじゃなかった可能性、ですよ」
「む?」
「籠手に操られたのがオルフィの腕や身体だけでなく、彼の全て……心も含めてであれば、ということ」
真剣な顔でカナトは言う。
「お前さん、そんなことを考えていたのか」
驚いたようにシレキは目をしばたたいた。
「最初から考えていた訳じゃありません。ただ茫洋とした不安がありました。形になりはじめたのはバジャサさんの話を聞いてからです」
「ふむ……」
シレキは姿勢を戻し、両腕を組んだ。
「じゃあお前は、ナイリアールに戻って事実を確かめようとしているのはオルフィでありながらオルフィじゃないかもしれないと思ってるのか」
「可能性はあります」
こくりとカナトはうなずいた。
「バジャサさんから伝え聞いただけでも彼の様子は変だ。大げさに言ってきた可能性ももちろんありますが、僕はむしろ、バジャサさんは気づかなかったことの方が多いんじゃないかと思うんです」
「普通に暮らしてりゃ、とても思いつかないだろうからな」
同意するようにシレキは呟いた。
「オルフィがいなくなった朝、僕は言いました。彼が揺らいでいると。あのとき、あれは徴候だったんじゃないかと思うんです。僕がもっとはっきりそうと気づいていれば」
「無茶を言うな。それこそラバンネル術師でもなきゃ気づかんさ」
立ち上がるとシレキはカナトの肩に手を置いて慰めた。
「それで、箱をどうする?」
「僕には魔力の込められている箱であることしか判りません。どうしてこれをオルフィが一度だけ開けられたのか、ラバンネル術師がそれを目論んだのならどんな理由が考えられるか、導師の知識をお借りしたいと思います」
「成程な」
言ってシレキは手を差し出した。
「俺にも見せてくれ」
「どうぞ」
カナトより魔力の弱いシレキに何が判るのか――などとは言わず、少年は素直に箱を渡した。
「……ほう、こりゃ業物だ」
シレキは箱を撫でるようにしながら呟いた。
「成程な」
彼はまた言った。
「確かにラバンネル術師のもんだ」
「――え?」
「ま、籠手の話を聞いたときには判ってたが、お前さんがちまちま封じるもんだから確認ができなくてな。でもこうして触れてみりゃ俺でもはっきりと判る」
「それは」
カナトは戸惑った。
「何故、判るんですか? 僕がそれをラバンネルの力だと言うのは、書物に籠手のことが書いてあったからというだけです。彼その人の魔力かどうか判るためには」
少年魔術師は目を見開いた。
「それじゃ、シレキさん。ラバンネル術師を直接知っているんですか?」
「……ああ」
ふう、と男は息を吐いた。
「知ってる。よく知ってると言うほどじゃないが、面識があって……俺のささやかな、でも現状よりは明らかに強い本来の魔力は」
ううん、とシレキは迷うようにうなった。
「やめとこう」
「ちょ、ちょっと、何ですか! 気になるじゃないですか」
「オルフィがな。ジョリス様ジョリス様と言うだろ。俺はあれをからかったが、でも判るところもあるんだ。俺がラバンネル術師に抱いてる敬愛はもしかしたら、あんなふうなのかもしれん」
「会って……何かを託されたことが?」
「いや、逆だ」
「逆ですって?」
「いや、何でもない」
「何でもないってことはないでしょう」
カナトは顔をしかめた。
「言えないことなら強要はしません。でも本当に黙っていていいことかどうか、よく考えて下さいね」
大人顔負けに少年は言った。大人はうなるばかりだった。
「少し考えさせてくれ。……ちょっと歩いて考えてきたいが、いいか」
「もちろん、かまいません」
カナトはうなずいた。シレキもうなずいて、くるりと踵を返した。
「すぐ戻る」
そう言ってシレキは扉の向こうに姿を消し――カナトは目をしばたたいた。
「あっ、ちょっと! シレキさん! その箱は返し」
はっとして追いかけたカナトが扉を開けたとき、しかし、そこにシレキの姿はなかった。
「え……?」
シレキが扉を閉ざしたのはたったいまだ。だと言うのに、廊下には誰もいなかった。
魔力の働いた気配は感じなかった。もとよりシレキは〈移動〉術など使えないはず。
カナトの頭は混乱した。
だが確かなことがひとつ。
「シレキさん」
少年は呟いた。
「あの箱を……どうするつもりなんです?」




