05 いまはとにかく
「昔の話だ。まだ彼ら……いや、ごまかさずに『我々』と言おうか。我々は過激な手段になど出ることはなかった。異端信仰を見つけてはその『罪』を説き、『正しい信仰』に導こうとした。いまにして思えば若さ故の傲慢だ。だがあの頃はそれが正義だと信じていた」
「成程な。それで〈罪を贖う者〉イゼフと名乗っているのか」
口の端を上げて彼は指摘した。
「……そうだ」
こくりとイゼフはうなずいた。
「まあ、あんたの過去に興味はない。本当はあんたが『誰』でも、有益な情報をくれるなら俺はそれでかまわない」
「そうか」
イゼフは短く相槌を打った。
「ところでそう言う貴殿は」
それから神官はまっすぐ彼を見た。
「『誰』だ?」
「何……?」
彼は虚を突かれたと言うように軽く目を瞠った。静かにヒューデアが立ち上がった。
「アミツが警告を発している。神殿で血を流すことは許されないが、その使徒を守るためであればコズディム神もお許し下さるだろう」
「ヒューデア」
諫めるように神官が呼んだ。だがヒューデアは首を横に振った。
「必要とあらばイゼフ殿とて戦えることは十二分に存じ上げています。ジョリスとふたり、キエヴをお守り下さった。ですが神殿内では困難なこともありましょう。それ故、この場は俺の為すべきことと」
「待て。彼には悪意も敵意もない。いささか――」
イゼフは目を細めた。
「揺らいではいるが」
「揺らぐ?」
聞き覚えのある言い方に、彼は戸惑った。
それは繰り返し、言われてきたことのように思う。
言ったのは長い黒髪に優しい茶色の目をした隣国の王女。
(ウーリナ……様……?)
そして、明るい茶色の髪に緑の目をした少年魔術師。
(――カナト)
(オルフィ!)
少年が彼を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「あ……あれ?」
オルフィは目をぱちぱちとさせた。
「俺、いま……何か、言った?」
「戻ったようだな」
「アミツも落ち着いた」
彼をしばし見つめ、ヒューデアは呟くと再び腰を下ろした。
「イゼフ殿、いまのは?」
「オルフィ殿のなかに誰かがいるようだ。稀にある。見た目や声音は間違いなく本人なのに、言動があまりにも本人と違うということ。その間の記憶は、本人にはないことが多い」
「え……」
「神殿では一種の憑依として祓うが、必ずしも悪鬼の類ではないため、一時的に追い払うことにしかならない場合もある。それでもよければ術を施すが」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
その言葉がじわじわと頭に浸透する。神官は王女とよく似たことを言っているような気がした。
「俺、何かやったんですか。変なこと言いましたか」
「覚えていないのだな」
「確かに、オルフィらしからぬという雰囲気ではあった」
苦い顔でヒューデアも言う。
「俺とてお前をよく知る訳ではないが、興奮のために礼儀が疎かになることはあっても、上から物を言うような様子はこれまでなかったからな」
「じゃあ、やっぱり」
(やっぱりさっきと、似たようなことを)
そう、マレサも言っていた。「サレーヒに偉そうな口を利いた」と。
「あっ、そうだ。マレサは」
この段になってようやく彼は少女のことを思い出した。
「あの子供ならナイリアールを見てくると言って出て行った。一刻もすれば戻ってくるそうだ」
「そっか。大丈夫かな」
と彼が案じたのは手癖の悪さが出なければいいがというのもある。
「口の利き方はぞんざいだがしっかりしているように見えた。心配しなくてもいいだろう」
と何も知らぬヒューデアはそう言った。
「そうして子供を案じる様子は普段通りのお前であるようだ。だが違う状態のときがある。それをしてアミツは危険だと言っている、と考えられるな」
「違う、状態」
「いつからだ?」
イゼフはウーリナと同じ問いを発した。
(五、六日くらい、前かな)
(ある夜、誰かと話してたような印象があるんだ。でもそれが誰だったのか、何を話していたのかはさっぱり覚えてなくて)
気がついたら違う場所にいたことや、ナイリアールに向かいたい焦燥感の理由が判らないこと、マレサを置いて行こうとした理由も判らず、ウーリナやサレーヒの前でも妙なことを口走ったらしい――。
誰が考えても明らかに異常なことが立て続けに起きている。
呪いなのか。憑依なのか。それとも。
「……いいや」
オルフィは首を振った。
「いまは、俺の話はいいんです。必要ならあとで呪い払いでも何でもお願いします。でもいまはとにかく、リチェリンのことを」
きっぱりとオルフィは断言した。
「だが」
「コルシェントと言いましたね。宮廷魔術師と。協会の追及を怖れない人物であり、外見的特徴も一致する。それから……」
「――穢れたものと近くある」
仕方なさそうにイゼフは口を開いた。
「キンロップ祭司長がつい昨日、私に話して下さったことだ。宮廷魔術師たる者がまさかとは思ったが」
「祭司長は気づいていて、何も?」
ヒューデアが尋ねた。
「気づいたところで彼に何ができようか。祓いや清めは、当人が望んでいなければ難しい。諭したところで糾弾と思われ、コルシェントを陥れる陰謀だという方向に持って行かれるであろう。いまやキンロップ殿よりもコルシェント術師の方が王子の信頼を得ているのだ」
「王子? 王様は?」
「現状、何かご判断を下すことのできる状態ではない。全ての権限はレヴラール王子殿下のもとだ」
イゼフの言葉にオルフィは目をしばたたく。負傷の報は聞いたが、それほどのこととは思わなかったのだ。
「巧いこと取り入った、という訳か」
「判らないが、可能性はある」
ヒューデアの問いに対し、イゼフは慎重な言い方をした。
「何でもいい。コルシェントだったな。そいつのところに乗り込んで」
「待て」
「乗り込む前に衛兵に捕まって終わりだ」
「協力してくれるんじゃなかったのかよ」
「それは正面から剣で道を無理に切り拓くということではない。俺は正義の狂人になるつもりはない」
正義を振りかざし、自らの信念を貫くためならほかの犠牲は厭わない、それでは誤りだとヒューデアは言った。
「アミツがどうのって言って街んなかで剣を抜く奴の台詞かよ」
「アミツのことは別だ」
当然のようにヒューデアは答えた。充分「正義の狂人」の資格があると思ったオルフィだが、ここは黙っていた。
「だいたい、彼女が城に捕まっているとは限らない。むしろ、そうではないと考えるべきだろう」
「じゃあどこにいるんだ」
「判るはずもないだろう」
「でも親玉をとっ捕まえれば、居場所だって判る」
「無謀だ」
「相手は宮廷魔術師。いや、ただの魔術師であっても厄介であろう」
ヒューデア、イゼフが続けて諫める。
「じゃあどうしろって言うんだよ! 忘れろとか諦めろなんてのはなしだぞ。誰が相手だろうと、俺はリチェリンを絶対に助ける!」
オルフィはだんと卓を叩いた。




