01 常軌を逸している
町憲兵隊には届けたのかという問いかけには、否と返ってきた。何故と重ねて問えば、これはいわゆる「人攫い」、つまり女子供を誘拐して売り飛ばしたり、身内から身代金を奪ったりするための拐かしとは違うからだと言う。
それならいったいどういうことなんだ、とオルフィは両手でばんと卓を叩いた。
「何でリチェリンがさらわれたりしなきゃならない!」
「考えられることはただひとつ」
コズディム神殿の奥の小部屋で、ヒューデアはきゅっと眉をひそめた。
「彼女がエクールの神子だからだ」
「へ……?」
全く思いもしない返答がやってきて、オルフィは間の抜けた声を出した。
「〈はじまりの湖〉エクール湖のことを知っているか」
「し、知ってるさ。行ったことも、ある」
これまた思いがけなかった問いかけに、彼は少々焦り気味に返した。
「神子? でも湖畔の村じゃ、神子は行方不明だって話だ」
「本当に訪れたことがあるようだな」
「そんな意味のない嘘をつくもんか」
オルフィは顔をしかめた。
「リチェリンが神子だって? 馬鹿馬鹿しい。十年以上前から彼女はアイーグ村にいた。俺と一緒にだ」
「彼女自身、そう主張していた。背中にあるあざがエクールのしるしと一致するのはただの偶然だと」
「あざ?」
「知らないのか」
「し、知るもんか」
彼女の背中など見たことがない。当たり前だと、思った。
「そうか。だが確かにあった。俺もこの目で確認した」
「か、確認だと!?」
「見た」と言うのか。思わずオルフィは立ち上がった。
「落ち着け」
ヒューデアは片手を上げた。
「その前後にあった事情については、俺が話せることではない」
この慎重な物言いは、ラスピーが無理に脱がせたなど聞けばオルフィが激高することが目に見えているせいもあれば、下手にヒューデアが語ればラスピーを貶める形になるということもあった。
「そ、それって」
だがオルフィは勘違いをした。
「まさかお前……リチェリンと」
「何?……いや、違う」
気づいてヒューデアは咳払いをした。
「それは断じて違う」
「そ、そうか」
オルフィも咳払いをした。
「そっ、そんなことより!」
再び彼は卓を叩いた。どういう理由で彼女の背中――素肌を見ることになったのかは大いに気にかかるが、いまはそこを追及するより言いたいことがある。
「背中にしるしがあるから神子だって? 有り得ない。リチェリンは」
「幼い頃から一緒だった。それは彼女からも聞いたと言った」
「ならどうして!」
「俺が言っている訳じゃない」
「じゃあ誰が」
「……ラスピーだ」
「ラスピー?」
オルフィは目を見開いた。
「あいつ、まだリチェリンにつきまとってるのか!」
「落ち着け」
ヒューデアはまた言った。
「俺と彼は、彼女に協力していた」
「協力?」
「そうだ。彼女はお前が追われていたことを知り、お前の無実を信じて、事情を調べるためナイリアールにずっと残っていた」
「何だって」
彼は驚いた。
「ラスピーが何を考えているのかはよく判らないが、俺は占者ピニアの助言に従い、彼女を手伝っていた」
大まかにヒューデアは説明した。
「彼女の背中にしるしがあると判ったのはつい昨日のことだ。ラスピーは、彼女が神子であるならば安宿では危険だと言って高級旅籠に案内した。だがそこで」
「拐かされた……のか?」
声がかすれた。
「そのようだ」
ヒューデアは顔をしかめてうなずいた。
「ああした場所では、不審者はすぐに見咎められる。入り口の警備がまるで王城のように厳重だからだ。護衛戦士が何人もいて、宿泊客以外は必ず誰何される。客を訪問してきたのであっても、客当人の許可がなければ決して入れないものだ」
「じゃ、じゃあ宿泊客の誰かが犯人ってことか!」
勢い込んでオルフィ。
「そうとも限らない」
ヒューデアは首を振った。
「『戦士』の警戒では防ぎ切れない存在もある」
「――魔術師」
ぴんときてオルフィは呟いた。
「その通り」
表情を引き締めてヒューデアはうなずいた。魔術の警戒まで必要になるのは暗殺の危険がある要人といったところで、そうであれば当人が魔術師を護衛を雇ったり、旅籠側に追加の料金を支払って雇わせたりするものだった。
「彼女とはラスピーが一緒にいたようだ。彼の話によると、急に黒ローブの男が入ってきて、意識を失わされたと」
「黒ローブ」
それが何を意味するかは明白だ。では「魔術師だ」というのはただの推測でもないのだ。
「ラスピーは? あの野郎はどこにいるんだ。話を聞きたい」
「イゼフ殿と話したいと言って、別室にいる」
「俺も話したい」
オルフィは立ち上がった。
「慌てるな」
「慌てるなだって。必死で落ち着こうとしてるとこだよ!」
怒鳴るように言ってから、彼ははっとした。
「……悪い。あんたに怒ったって仕方ないよな」
「気持ちは判るつもりだ。お前はこの状況下で可能な限り冷静に話を聞いていると思う。だからもう少し待て」
諭すようにヒューデアは言った。
「ラスピーは魔術で気を失わされたとは話したな。見つけたのは俺だが、異常だった」
「異常?」
「そうだ。揺すっても叩いても目を覚まさなかったばかりではない。手足は死人のように冷たく、呼吸もごく浅かった。あと少し発見が遅れれば、命が危うかったかもしれない」
「な」
ラスピーのことを好かないオルフィだが、もちろんと言おうか「死んでしまえ」とまでは思わない。動機はともかくリチェリンに協力してくれていたと言うのだし、たとえ下心つきだとしても、場合によってはもしかしたら感謝すべき点もちょっとはあるかもしれない、くらいには思っていた。
それが命を危うくしたなど、想像以上の話だ。
「俺は神官の手が要ると感じ、イゼフ殿に助けを求めた。それは功を奏して彼は目を覚まし、こちらへ運び込まれてから少し話をしたが、まだまだ完調ではない」
「……判った」
オルフィはうなずいた。
「怒鳴り込んだりしないさ。重病人に接するようにするから、どうか話を」
「判っていない」
ヒューデアは首を振った。
「彼は『神官殿に話がしたい』と言うのが精一杯だった。まだ、ろくに口も利けないんだ。そう、まるで本当に重病人か、重篤な怪我人が死の淵から帰ってきたばかりのときのように」
「でも、魔術じゃないのか? そういうのって、解ければ治るんじゃ」
「俺も詳しくはない。だが身体の状態を異常にする術の場合、かけた時点で術は終了する、つまり術がかかっているから異常だということではないようだ」
考えながら剣士は言った。
「つまり」
オルフィも考えた。
「術がかかった時点で、たとえば『病気になった』みたいなもんってことか。解いたから治る訳じゃないと」
「おそらく」
よく理解していない者同士のやり取りは曖昧だったが、曖昧なりに誤りではなかった。
「そんでラスピーは、重病状態にあるみたいなもんで……」
「それをイゼフ殿が癒している。だが通常の病であっても、さっと祈ってすぐに快癒するものではない。ましてや魔術では」
「だったら魔術師協会の方がよかったりするんじゃねえか?」
「いや。魔術では『癒す』ことはできないようだ」
「そ、そうなのか」
何も知らないことにオルフィは少し頬を熱くした。もとよりヒューデアも似たようなものなのだが。
「ラスピーからはイゼフ殿が話を聞く。そのほかに、俺で判ることがあれば伝えよう」
ふう、とヒューデアは嘆息した。
「何にせよ、ラスピーも生きているだけ運がよかったと言えそうだ」
「それは、どういう意味で」
「神子を狙う連中……〈ドミナエ会〉の行動は常軌を逸している」
「火つけのことか?」
「それだけじゃない。――黒騎士」
「え」
「黒騎士は〈ドミナエ会〉の手の者だったと判った」
「なん」
オルフィは絶句した。
「確かなのか」
「少なくとも触れにはそうあった」
「公式の?」
「無論」
「公式の触れ」には嫌な記憶しかない。しかしジョリスから騎士位を奪う内容の触れも全くの出鱈目ではなかった。
少なくともジョリスが籠手を持ち出したのが事実であったように黒騎士が〈ドミナエ会〉だというのも、また――?
「黒騎士が〈ドミナエ会〉の奴だった? で、エクールの神子を探してた?」
考えながらオルフィは言った。その話はずいぶんと唐突に聞こえた。
いや――。
「それって、何か変だ」
彼は呟いた。
「何か……都合がよくないか?」




