13 無駄にしません
「あの」
「はい?」
「ラシアッドっていうのは、信仰の深い国なんですか?」
まるで神官に絶大なる信頼を抱いていると聞こえるウーリナの言葉が気になって、オルフィは尋ねてみた。
「ナイリアンに比べてということでしょうか。比べたことがないからよく判りませんけれど」
王女は首をひねった。
「確かにお父様もお兄様も、八大神殿のことは大切にしています。それから、いろいろな細かい信仰も」
「細かい信仰?」
「ええ。少ないですけれど自然神信仰ですとか、ほかに、あまり一般的ではない信仰も」
「――獄界神信仰、とか?」
口をついて出た言葉にオルフィ自身驚いたが、ウーリナも驚いた顔をした。
「まあ。いくら何でもそれはございませんことよ」
「す、すみません」
「そうではなく、神界神や冥界神のように『有名』ではない神々もいます。古い大木や、小さな丘にさえ神が宿ると考える人々がいますの。お兄様は何と言っていたかしら。確か……」
彼女は思い出そうとするようにきれいな唇をすぼめた。
「そうですわ、土地神。場所に宿る神様ですのよ」
「ああ、成程」
「お判りになります?」
「何となく」
オルフィはうなずいた。
「エクール湖神の信仰なんかもきっと、そういうのなんだろうな」
「あら、湖神信仰をご存知ですのね」
「姫様こそ」
少し意外に思ってオルフィは彼女を見た。
「エクール湖はラシアッドに近いですし、何しろ〈はじまりの湖〉ですもの」
「〈はじまりの湖〉だから何なんですか?」
「ご存知ありませんか? ナイリアンもラシアッドも、〈はじまりの湖〉を起源としますのよ」
「へ?」
オルフィはまばたきをした。
「あ……いや、そう言えばカナトがそんな話をしてたな。〈湖の民〉はナイリアン王家より古くて、ナイリアン王家がこの土地を治めなかったらが彼らがその立場にあっただろうって」
「ええ、そういうことですの」
「ナイリアンだけじゃなくて、ラシアッドも?」
「そうですわ」
「へえ……」
寂れた村の様子を思い出しながらオルフィは相槌を打った。そんな隆盛を誇っていた時代があるとは信じられない。
「時間ってのは、残酷なんだな」
ぽつりと彼は呟いた。
「……そうですわね」
ウーリナもうつむいた。
「本当に」
「うあっ、でっけえ!」
マレサの大声が聞こえた。
「あれが神殿? お城じゃなくて?」
彼らはいつしか神殿の街区にやってきていた。
「城は外からも見えていただろう」
少し笑ってサレーヒが言う。
「あ、うん。そうか。あれも馬鹿みたいにでっかいけど、うわあ、オレ、こんなでっかい建物初めてだよ」
興奮したように少女はまくし立てた。オルフィは、自分も初めてナイリアールにやってきたときはこんなだったなと思い出した。
(俺ほど「田舎者」じゃないにしても、可愛いもんだな)
(……なんて言ったらぶっ飛ばされそうだけど)
「もう、ここまでで大丈夫です」
オルフィはウーリナを見て言った。
「お気遣いを有難うございました」
「よろしければもう少し、お付き添いを」
心配そうな表情で王女は言う。
「わたくしの方から神官様にお話しできることもあるかと思いますわ」
「いっ、いえっ、そこまでしていただく訳には」
しどろもどろになってオルフィは手を振った。
「ウーリナ様。申し訳ありませんが、そろそろお戻りいただかなければなりません」
騎士が声を出した。
「あら」
「確かに、ウーリナ様のご意向に添うよう命じられております。ですが日没前にはお戻りいただくようにと」
「どうしてかしら。ナイリアールは安全でしょう?」
「ええ、町憲兵隊が治安をよく守っています。ですが現在は少々、殊に神殿周辺では面倒ごとも起きているものですから」
「面倒ごと?」
聞き返したのはオルフィだった。
「何かあったんですか?」
「神殿で聞けば知れること故、簡単に話そう」
サレーヒは嘆息し、〈ドミナエ会〉と呼ばれる過激な団体が神殿に火つけを繰り返していることをざっと説明した。オルフィはぽかんと口を開けた。会のことはミュロンから耳にしていたが、いまのいままで忘れていた。彼の道行きには何の関わりもないと思っていたからだ。
「とんでもないのがいるんですね」
オルフィは初めて話を聞いたときと同じ感想を洩らした。
「全くだな」
「でもそんな話なら姫様は帰った方がいい」
「あら。小火以上のことにはなっていないと聞きましたわ」
「今後もそうであるとは限りません。いえ、むしろ二度とそのようなことのないよう、兵士一同努力しておりますが」
苦い顔でサレーヒは言った。確かに、神殿が狙われると判っていながら火つけを繰り返されるというのはただごとではなさそうだとオルフィも気づいた。
「お姫様、俺は本当に大丈夫ですから、戻って下さい」
彼は真剣に言った。
「お姫様のご忠告は無駄にしません」
「……オルフィさん」
ウーリナも真剣な顔をした。
「どうか、くれぐれも」
「えっ」
「悪い影に負けることのありませんように」
「うえっ」
と彼が素っ頓狂な声を出したのは、ウーリナの言葉のためではない。
王女は彼に近づいたかと思うとその両手を伸ばし、オルフィの両手をぎゅっと包み込んだのだ。
「神の加護がありますように」
「うあっ、そのっ、あ、有難うござい……」
ただ女の子に手を握られるだけでも照れ臭いが、これは「ただの女の子」ではない。ラシアッド国の王女殿下だ。
(やわらかい)
(何か……いい匂いも、する、みたいな)
「ウーリナ様」
こほん、とサレーヒが咳払いをした。オルフィがはっとした。
「よろしいですかな?」
「ええ。レヴラール様にご心配をおかけする訳にもいきませんものね」
うなずいて彼女はオルフィの手を離した。
「仰る通りです」
王女に答えてから騎士はじろりとオルフィを睨んだ。
(い、いまのは別に俺が悪い訳じゃ)
ディセイ大橋のたもとでもこうした状況でグードに睨まれたオルフィだったが、今回は前回の「未遂」とは違う。もとよりウーリナの方から手を取ってきたのに睨まれる筋合いは全くなかった。
(レヴラールの「心配」って)
(サレーヒ様、おかしなことを考えてないだろうな)
王女が自分を気に入ったのではなどと自惚れることはなかったものの、サレーヒがそれを案じた可能性については思い至った。
「ではオルフィさん。ご機嫌よう」
「ご、ご機嫌……よう」
どうにかオルフィは返事をし、ウーリナとサレーヒを見送った。
「ああ……びっくりした」
「けっ」
吐き捨てるような声にマレサを見たオルフィは、少女もまた彼を睨んでいたのでぎょっとした。
「な、何だよ」
「ちょっと美人に優しくされたからってでれでれしちゃってさ」
「でれでれなんかしてないだろ。驚いただけだ」
「顔が赤いぜ」
「だ、だから驚いただけだって」
思わず頬を拭うようにして――それで赤面がとれるはずもないが――オルフィは言い訳をした。
「んで? どうすんだよ。本当に神殿に行くのか?」
「ああ……そうだな」
彼はコズディム神殿を見上げた。
「一応、行ってみようかな」
「あの女の戯言、真に受けるのか?」
「言葉を慎めよ」
「さっきまで我慢してたんだぜ。もういいだろ」
サレーヒの前では大人しくしていたというのが彼女の言い分であるらしい。
「変な女だ。お前より変だ」
「俺より、って」
オルフィは苦笑した。
「あんまり滅多なこと言うなよ。あの人は王女様――」
「関係ねえって言ったろ」
ふん、と少女は一蹴した。
「たまたま王家に生まれたってだけじゃん。それだけでへいこらしなきゃいけないなんておかしいじゃないか」
「……まあ、その気持ちは判らなくもない」
と言ったオルフィの脳裏に浮かんでいたのはレヴラール王子のことだった。
「だよなっ。ハサレック様は身分もないのに騎士になったんだぜ。すごいよな。あ、サレーヒ様に聞いたんだけどさ……」
それからマレサのハサレック話がはじまった。
「判った判った。ハサレック様はすごいよ」
「何だよその言い方。馬鹿にしてんのか。お前、ジョリス様派だから妬んでるのか」
「馬鹿なことを言うなよ。そんなんじゃないさ。本当にすごいと思ってる。でもいまは神殿に用事が」
「本当に行くのか?」
話が戻った。
「念のため」
「顔を見られたら云々って話はどうなったんだ? さっきまではサレーヒ様がいたからいいけど」
「ああ……そうだな」
彼は迷った。考えてみれば、逃げ出したのはこのコズディム神殿の前からだ。神官に話が行っていてもおかしくない。オルフィは知らないながら、実際、町憲兵はすぐイゼフに話を聞いていた。
「なあ、マレサ」
「何だよ。帽子でも買ってくるか?」
「ああ、そうだな。そりゃいい案だ。でも俺が自分で買ってくるよ。マレサは」
オルフィは神殿を見上げた。
「……イゼフって神官を呼んできてくれないかな」




