07 運命の四つ辻
南西部にある低い山ウィランの麓で二本の街道が交わるところは、そう呼ばれていた。
もっともその名称は地元に暮らす者たちにこそ通じるが、誰か遠くからやってきて迷った者が教わってもあまり役に立たない情報とも言えた。
しかし、たとえその場所がほかにどんな呼ばれ方をしていたとしても、それが彼の――彼らの、運命の四つ辻であることに変わりはなかった。
驢馬と馬は、同時に目的地についたとでも言うように、辻の南と東で足をとめた。それらは無論、彼らの乗り手がそこでとまるよう操ったからだ。
オルフィは戸惑って相手を見た。
思っていた以上に、立派そうな人物だ。ルタイの砦に走る伝令などではない。そんな身分ではなく、もっと――。
(白いマントに)
(白い、鎧)
(ナイリアンの紋章が描かれた)
(金髪に、青い瞳の、剣士)
どきりとした。
(まさか……な)
だが彼はすぐに否定した。
いるはずがばい。ナイリアンの騎士が。〈白光の騎士〉が。こんな田舎の四つ辻に。供のひとりも、連れることなく。
「――ここはウィランの四つ辻で間違いないか」
剣士は尋ねた。
「あっ、ああ、合ってるよ。あ……合ってます、その、旦那」
若者は言葉使いを改め、上位の敬称を使った。こんな敬称は酒場の主人くらいにしか使ったことがない。しかしそれは店の主人に対する慣例的な使い方で、「偉い人」に向かって呼びかけるのとは訳が違った。
(何なんだろう、いったい)
オルフィは、もしかしたらこれは今朝の酷い夢の続きかとも思った。
(だって、この人)
(俺が「ジョリス様はきっとこんな人だろう」って思ってる姿、そのまんまって感じで)
顔立ちまで具体的に想像していた訳ではない。だが身にまとう雰囲気はまさにそのもの。
しかしそのようなことのあるはずもない。
彼の頭は「まさか〈白光の騎士〉がこんなところにいるはずもない」というのと「〈白光の騎士〉が自分の想像通りだということもないだろう」というのとが混ざって、自分でも何を思っているのかよく判らなくなった。
「セル」
白鎧の剣士は、ひらりと愛馬から飛び降りると、誰に対しても使える敬称でもって彼に呼びかけた。
「うへっ」
「セル」はごく一般的な呼びかけだったが、そんなふうに呼ばれたことは――ふざけてからかわれるように言われたときは除き――経験がない。オルフィは変な声を出した。
オルフィがこの相手を「旦那」と呼ぶのは自然だが、彼の方では「セル」ですら分不相応に感じた。
「あ、あの」
何者なのか。ナイリアンの紋章をつけているからには、最低線でも軍兵。だがただの兵士であるはずがない。
もしやとは思う。
だが、まさか。
そうこうする内に、剣士はオルフィの荷馬車のすぐ近くまでやってきた。
「私は」
オルフィは困惑していた。相手が地表に立ち、彼が御者台にいるままでは、見下ろす形になってしまう。そんなことをしていい相手なのだろうかと。
「ジョリス・オードナーと言う」
金髪の騎士は明瞭な声音で、間違いなくそう名乗った。
「うええぇっ、ちょいっ、まさかっ」
素っ頓狂な叫び声を上げてオルフィは飛び上がった。いや、飛び降りた。
「白い鎧……白いマント……本当に」
同じ地面の上に立ち――〈白光の騎士〉を見下ろすなど!――、だがそれですら畏れ多い気持ちになる。オルフィは顔を赤くしたり白くしたりした。
騙りだというような考えは浮かばなかった。
(だって)
(何も知らなくたって見間違いようがないよ)
彼は違う者だ。
運命などという言葉が若者の内に浮かぶことはなかったが、この人物は、オルフィのような田舎の荷運び屋などとはまるで違う人生を送る者だと。
それは決して「贅沢で派手な暮らし」という意味でもなければ、騎士という立場で「人々から常に注視を受ける」という意味でもない。たとえナイリアンの騎士にならなかったとしても、この人物が平々凡々な道を歩むことなど有り得ないはずだという、奇妙な確信。
魔術師たちはそれを「波動」と言ったり「星」と言ったりする。やはり「運命」だとか或いは「定めの鎖」だとかも。
オルフィはそんな言葉をほとんど知らない。彼には特殊な知識などない。
だが判る。
いや、オルフィに限らないだろう。信じられないほど鈍い人間でもない限り、ジョリス・オードナーが特別な存在だというのは、誰に説明されなくても判る。
「ジョリス様……っ」
感極まって――憧れの英雄のひとりだ――オルフィは地面にひざまずきそうになった。だが力強い手が彼の腕を掴み、それを制した。
「そのような真似は、どうか。私はただの兵士だ」
「いや、でも、そんな」
オルフィは言葉にならなかった。
〈白光の騎士〉。本物の。頭がくらくらしそうだった。
「名は」
「お、俺ですか」
心臓をばくばく言わせながらオルフィは言った。
「無論、貴殿の名だ」
「オ、オルフィです。アイーグ村の、オルフィ」
「オルフィ」
ジョリスは確かめるように繰り返した。オルフィはこくこくとうなずいた。
(〈白光の騎士〉が俺の名を呼ぶなんて!)
彼はすっかり舞い上がった。
(リチェリンが聞いたら、何て言うだろう!)
この邂逅を人に話しても信じてもらえなさそうだと感じた。だがリチェリンならオルフィの言葉を疑ったりしないだろう。いや、「彼女なら聞いてくれる」と言うより、「彼女に話したい」と。
(驚くぞ、〈白光の騎士〉様と会って話をしたなんて)
(……話を)
待てよ、とオルフィは思った。
「話」など何もしていない。
「あのっ、ジョリス様っ」
それなら話そう、と思った訳でもなかったが、思わずオルフィは声を出していた。
「い、いったいどうしてこんな田舎に? あっ、もしかして」
昨夜の話を思い出す。
「チェイデ村の兄妹の件ですか? 黒騎士を退治にきてくださったんですか?」
言っておきながら、それはおかしいなと思った。
如何に有能な騎士とは言え、討伐命令が下ったのなら、たったひとりでやってくるだろうか。
「――被害があったのか」
ジョリスは眉をひそめた。
「はい。この辺りでは初めてのことで」
オルフィは神妙に言った。
「でもみんな、ジョリス様が解決してくださるって信じています!」
無邪気に彼が続ければ、騎士は表情を曇らせた。オルフィはどきりとする。
「あの……俺、何かおかしなことを言いました?」
「いや」
騎士は首を振った。
「私自身、一秒でも早い解決をと願っている」
「じゃあどうして」
オルフィは首をかしげ、ハド老人の嫌な言葉を思い出した。
「まさか……王様が放っておけと仰ったなんてことは、ないですよね」
「まさか」
ジョリスは首を振った。
「そのようなことは、断じてない」
「す、すみません!」
慌てて若者は謝った。王に忠誠を誓う騎士に何ということを口走ってしまったのか。
(ハド爺め)
(恨むぞ!)
内心で彼は筋違いにも老人に苦情を言った。




