11 見えるものが
「何だと?」
「いや……おかしいな。俺はお前を知らない。赤銅位に、お前みたいな騎士はいない」
「何を戯けたことを口走っている」
「それはこちらの台詞だ。ナイリアンの騎士を騙るとは、大した度胸だな」
「オルフィ?」
マレサは憤るより、不安そうな表情で彼を見た。様子がおかしいと、そう感じたのだ。
「『オルフィ』……?」
彼は眉をひそめた。
「ええ、そうですわ。あなたはオルフィさんです」
ウーリナが声を出した。
「しっかりなさって。その呼び声に耳を貸してはいけませんわ」
「呼び……声」
彼は呆然と繰り返した。
「あれ? 俺……いま何か言った、か?」
「ばっ、なっ、何だよお前!」
少女は怒鳴った。
「サレーヒ様に偉そうな口を利いといて、何が『何か言ったか』だよっ」
「へ……?」
「サレーヒ様」
ウーリナがぱっと騎士を振り向いた。
「神殿へご案内下さい。フィディアル神殿がよろしいかしら」
「神殿、ですか?」
驚いたようにサレーヒは目をぱちくりとさせた。
「ええ。オルフィさんには呪い払いが必要なご様子ですわ」
「の」
オルフィも目をしばたたく。
「呪い? なっ、何で」
とっさに思ったのは籠手アレスディアのことだったが、あれは「呪い」ではない。魔術だ。
「いつからですか?」
再びウーリナはオルフィに向かった。
「いまは、サレーヒ様とお話しなさっている途中から奇妙でした。あのようにご自分らしくない考えが浮かんだり、別人のような口を利くことはこれまでにございましたか?」
「へっ?」
またしてもオルフィは間の抜けた声を出す。
「な、何言って……仰って、るんすか」
「心当たりはございませんの? そうですわね、でしたら」
彼女は考えるようにした。
「ご自分が何をしているか判らないですとか――記憶が抜け落ちているというようなことは?」
「え……」
今度はぎくりとした。
「お、俺、そんなこと……」
「ございますのね」
ウーリナは眉間にしわを寄せた。
「申し上げましたように、わたくしは魔術師ではございません。神女の修行を積んだこともありません。ですけれど、見えるものがありますの」
あの五十ラル銀貨をオルフィのものだと言い切った娘は真剣に語った。
「お話の途中から、少しずつオルフィさんが揺らぎました。ええ、見た目には何も変わっていないのですけれど何と申しますか、内なるものが」
生憎なことにと言うのか、ここにはカナトもシレキもおらず――魔術ではないにしても――魔術的な言いようにうなずける者はいなかった。
「何を訳の判んねえこと言ってんだよ?」
思わずマレサは約束を忘れてウーリナを睨んだ。
「揺らぐ? ウチナルモノ?」
「マレサさんはあれからずっと、オルフィさんと一緒に?」
「あれからじゃねえよ。ここ五日かそんくらいだ」
「その間、彼の様子がおかしいとお思いになったことはありませんか?」
「ってか、こいつはおかしいんだよ」
マレサはきっぱりと言った。
「どん臭い田舎者かと思うと騎士様みたいに馬に乗るしさ。オレがひとりじゃ危ないとか言ったくせに途中で置いていこうとして、何でそんなことしたのか判らないとか言うし」
「――判らない」
そっとウーリナが繰り返した。
「説教がましいこと言ったかと思うと、手配されてるとか言い出し」
「マレサ!」
はっとしてオルフィはとめた。
「あ」
さすがに騎士や王女の前ではまずかったと気づいたか、マレサは口をつぐんだ。
「手配?」
サレーヒが聞き咎めた。
「いっ、いやっ、何でもない。オレの間違い。いまのは」
間違い、と少女はもごもごと繰り返した。サレーヒはじっと少女を見て、それからオルフィを見たが、どう思ったにせよそれ以上は何も言わなかった。
「『判らない』」
再びウーリナが言う。
「やはりそうしたことがあるのですね。このままではオルフィさん、あなたは危険ですわ。神殿で呪い払い……場合によっては悪魔払いのようなものをしていただいた方がよろしいかと存じます」
「悪魔払いだって」
オルフィは仰天した。
「じょじょ、冗談じゃない。俺はそんなものに取り憑かれてなんか」
「ご本人には判らないこともあるのです。気づいたときには遅い……というようなことも」
「勘弁してくれよ」
彼もまた「王女殿下」への礼儀を忘れて悲鳴のような声を上げた。
「確かに、その、ちょっと妙なことはあるさ。でも呪いでも悪魔でもない」
「言い切れるのですか?」
「だって」
呪われるような心当たりはない。
悪魔なんて存在だって――。
(……悪魔)
ふっと彼の胸のなかに誰かの姿が浮かんだ。
(え?)
(何だ、いまの)
人影が見えた。そんなふうに思った。
覚えのある人影。親しい訳ではないが、知っている。そんなふうに。
「サレーヒ様、どうかお願いします。オルフィさんを神殿へ」
「しかし、嫌だと言う者を無理に連れる訳にも参りますまい。案内ならば可能ですが」
「オルフィさん。どうか」
「神殿なら、ひとりで行けるよ」
少々後退しながらオルフィは言った。
「ちょっと知ってる神官がいるんだ。どうしてもって言うなら、その人にちょっと相談をしてみるさ」
思い出したのはコズディム神官イゼフのことだった。会おうとして実際には会えなかった人物だが、知り合いがいると言っておいた方がいいような気がしたのだ。
「是非、そうして下さい。それも、いますぐ」
「い、いますぐ?」
「ほかのどんな急ぎの用事より、これを優先するべきですわ。どうか私を信じて下さい、オルフィさん。あなたの……」
王女は両手を組み合わせた。
「あなたの大事な五十ラル銀貨にかけて、わたくしはあなたのためにお話ししているんです」
「五十ラル銀貨」
ウーリナがマレサから取り戻してくれた、ジョリスの銀貨。
あのとき彼女がいなくても、銀貨は取り戻せたかもしれない。マレサが何だかんだごまかそうとしたところで、カナトが魔術を使ってくれればどうにかなっただろう。
だが現実には、ウーリナが取り返してくれた。マレサの嘘を見破り、あの銀貨がオルフィのもとに帰って喜んでいるなどと言って――。
「……判った」
オルフィはうなずいた。
「俺、神殿に行ってみる……ことにします、お姫様」