07 思い込みだよ
「だからそれはどうしてなのかと訊いているんだわ」
リチェリンは繰り返した。
「好奇心というのは時に理性の声を全く聞かないものでね」
ラスピーは悪びれずにそんなことを言った。
「いったい君はどんなふうに思っているんだい? 私が旅の紀行家でなければ何だと?」
「判りません。ただ、あなたが私の面倒を見てくれるのは、ただの好奇心以上のものがあると思います」
「私が君に『つきまとう』と言われずに安心した」
ラスピーはおどけて胸をなで下ろした。
「好奇心以上のものか。なかなか言うね、リチェリン君」
「――お話しいただけますか」
「いいとも」
ラスピーはこれまでと何ひとつ変わることのない笑みを浮かべると頬杖をついた。
「正直、君がそんなに大胆だとは思わなかったよ」
「大胆?」
「ふたりきりの宿で、『あなたは私に好奇心以上の気持ちを抱いているのでしょう?』だなんて、こう、もう、神女殿の前では口にできない何かがいきり立つような誘惑を」
「してませんっ」
真剣に待った自分が馬鹿みたいだと感じながら、リチェリンは悲鳴のような声を上げた。
「いっつも、そんなふうにごまかして!」
「ごまかす? とんでもない。私はいつでも本気だ。いまだって君がひとつうなずいてくれたなら、あのような乱暴なことは決してせずに優しく愛撫から」
「そういう話はいいですからっ」
ばん、と彼女は卓を叩いた。
「話してくれる気はないんですか?」
「リチェリン嬢」
ラスピーは笑んだままでいた。
「勘違い、思い込みだよ。私はただの紀行家で、エクールの民に興味を持っている。ただそれだけだ」
「……本当に?」
「何の裏もない。本当だ」
誓うように彼は片手を上げた。
「信じられないと言うのなら、それでもいい。仕方のないことでもある。好奇心というのがどんなに大きな動機になるか、それは同じ性質を持つ者でないと判らないことかもしれないからね」
男は好奇心と興味だけであるということを繰り返した。
「でも……そんなことのために、大金を」
「こだわるねえ」
くすりとラスピーは笑った。
「いいかい、リチェリン君。ラルというのは、あるところにはあるんだ。そしてあるのならば、使った方がいい。散財が悪徳だなんていうのは的外れの倫理さ」
それから青年はとうとうと、ラルが回ることによって得られる経済効果などを説明し出した。
「だからね、私がここでラルを使うことは君を守るだけじゃない、何とナイリアン国にも貢献するのだよ。判ったかい?」
「ですからっ、そういうことを聞きたいのでもなくてっ」
数分に渡る演説のあと、ようやく彼女は口を挟めた。
「じゃあ何が? もうちょっと具体的に訊いてくれ」
「具体的」
リチェリンは眉間にしわを寄せた。
「じゃあ……たとえば」
彼女は顔を上げた。
「どうして〈湖の民〉に興味を持っているんですか?」
「簡単だろう。独特の文化だからだ。前にも話したかな? 彼らはもともと〈はじまりの民〉と呼ばれていた。ナイリアン王家より古く、世が世ならこの土地を治めているべき民族なんだ」
「説明にならないように思います」
彼女は首を振った。
「だからそこにあるのが好奇心なのさ、リチェリン君。君には不思議なことかもしれないが、知りたいと思うことがあったとき、立ち止まってはいられないという気質の者がいる。私はそのひとりなんだ」
ラスピーは先ほどと同じことを繰り返した。
「判らなければ仕方がないと言った通り。これもまた〈神官と若娘の議論〉で――」
「そういうことにしようとしてませんか?」
彼女は遮って尋ねた。
「何だって?」
「ラスピーさんは、『君には判らないから仕方ない』と言って議論を避け、本当のことをごまかしている。私にはそう思えるんです」
「それは君の勘かな?」
珍しくもと言うのか、皮肉っぽい言い方だった。それに気づいてリチェリンは少し頬を熱くした。確かに何の根拠もなかったからだ。
「私は……」
リチェリンが何か言おうとしたとき、部屋の戸が叩かれた。
「ああ、食後菓がきたようだ」
ラスピーは立ち上がった。
「とっておきを出すように言っておいた。険悪な表情は収めて、また笑顔を見せてくれたまえ」
「険悪だなんて」
リチェリンは顔をしかめたが、確かにいささか攻撃的だったかもしれないと考えた。
(嘘をついているなんて決めつけるのはやっぱり失礼かしら)
(この人は本当に、好奇心だけで動いているのかも……)
「――おや?」
扉を開けたラスピーの声が聞こえた。
「どなたかな?」
その言葉を聞いてリチェリンも入り口に目をやった。給仕がやってきたのなら、誰かなどと尋ねることはないだろうと思ったからだ。
「お客さんですか?」
やってきそうなのはヒューデアくらいだが、顔を見たならラスピーが誰何するはずもない。リチェリンも立ち上がった。
「え……」
心臓が、どきりと音を立てた。
「ラスピーさん!?」
紀行家の青年は声も立てず、その場にくずおれていた。
「ど、どうなさったん……」
「お前か」
そのラスピーに目もくれず、訪問者が部屋に入ってきた。リチェリンはすっと血の気が引くのを感じた。
偏見は、ない。神父と長く過ごしていたとは言え、タルーは彼女に公正な態度を教えた。だから何の理由もなく、忌まわしいだの不吉だのとは思わない。
しかし、とっさに感じたのは恐怖だった。
まるでこの部屋の主のように堂々と歩いてくる――黒ローブ姿の男。
「だ、誰!?」
「お前が神子か」
リヤン・コルシェントは娘の問いかけを無視した。
「成人前という話は出鱈目か。ふん、さては悪魔め、初めからそのつもりで」
「誰なの! ラスピーさんをどうしたの!?」
「この男か? ただ気を失っているだけだ。一刻もすれば目を覚まそう」
どうでもいいとばかりに魔術師は肩をすくめた。
「お前には私と一緒にきてもらう。何、心配は要らない。生憎とここほど豪勢ではないが、充分快適な場所を用意してあるからな」