06 何の関係が
リチェリンは身を固くしていた。
お揃いのお仕着せを身につけた男女が、一言も無駄口を利くことなく、彼らの仕事を果たしていく。
上等の磁器や銀製の食器を扱っているのにその動作は手早く、危うさが感じられない。卓上にそれらをさっと置いてもほとんど音が立たない様子はまるで魔法のようであった。
「うん、いい匂いだ」
満足げにラスピーは言った。
「ご苦労」
と彼は給仕たちにラル銀貨を手渡す。彼らはやはり無言のまま礼をして、音もなく下がっていった。
「さあ、召し上がれ」
並べられた豪勢な食事を前に、ラスピーはにっこりと微笑んだ。
「あ……あの」
「礼儀作法なんかは気にしなくていい。何か公式の会という訳でもないんだからね」
「い、いえ、その」
「うん? もしかしたら食事の作法なんかは神女の勉強のなかにあるのかな。だとしたらすまないことを言ったが」
「そ、そういうことではなく」
こほん、とリチェリンは咳払いをした。
「困ります! 私、こんな」
「ナイリアール最高級の旅籠に最高級の部屋、そして最高級の食事。何かご不満が?」
「だから困るって言ってるんです! 神女見習いとして、私は慎ましく……」
「現状ではとても安全な場所だよ。ここでは護衛を何人も雇っていて、不埒者は侵入しようがない。単純だが大きな問題である風呂についても、ひとりで入れるものが部屋に用意されているのだし」
「お風呂が、部屋に!?」
驚いてリチェリンは思わず叫んだ。
「向こうだよ。見るかい?」
ラスピーは指し示した。
「ひとりと言ったが、ふたりでも入れないことはない。心配なら私が一緒に入って」
「い、いえ、結構ですっ」
ぶんぶんとリチェリンは首を振った。
「おや。まだ、乱暴をはたらくような男だと誤解されたままかな?」
「そういう問題じゃありませんっ」
誰より信用していたところで、男と一緒に風呂など入れるものではない。神女見習いとして、いや、道徳観念のある未婚の娘として当たり前のことと言えた。
「そんなことより、どういうことなんですか? こんな旅籠……」
「言っただろう。安全だからだよ」
「でも、あの」
ごくり、とリチェリンはのどを鳴らした。
「一泊……いったい、いくらするんですか?」
「あっはっは」
ラスピーは手を叩いて笑った。
「そんなことを気にしていたのか」
「そんなことって。大事なことです」
「心配しなくていい。私が金持ちだというのはだいたい推測がついていただろう?」
笑って紀行家は手を振った。
「ラルのことは気にしない」
「気になります」
真剣にリチェリンは言った。
「どうしても必要なことだと言うならまだしも」
「私は必要だと考えている。私の金を私がどう使おうと私の自由じゃないかな?」
ラスピーは片目をつむった。リチェリンは渋面を作った。
「本当に私が神子だなんて信じているんですか?」
「ほかに背中のしるしをどう説明する?『たまたま似通っているだけだ』以外で」
「……たまたま似通っているだけです」
「強情だな」
「ラスピーさんこそ」
「〈神官と若娘の議論〉はよそう」
笑って青年は手を振った。
「さ、せっかくの食事が冷めてしまう。食べながら楽しい話でもしようじゃないか」
饗された品々はリチェリンが目眩を覚えそうなほど立派なものだった。彼女としては遠慮を通り越して拒否したいくらいだったが、「君が食べないなら捨てられるだけだ」と言われては手をつけざるを得なかった。
「たまには贅沢もいいだろう?」
「よくないです」
「リチェリン君は生真面目だ」
「神女見習いですから」
「そんな顔をしないで。ほら、笑顔笑顔」
「ラスピーさんは」
ちらりと彼女は男を見た。
「慣れていらっしゃるみたいですね?」
「私だって、こんなのはたまにだよ」
「あの、私、ラスピーさんのことが気になっているんですけど」
「ほう? 嬉しいね、愛の告白ならいつでも」
「違います」
ぴしゃりとリチェリンは言った。ラスピーはがっかりした顔を見せた。
「まあ、それもいいだろう。私が君の心を奪ってしまってはオルフィ君に悪いからね」
「はい?」
「いやいや」
何でもない、とラスピーは手を振った。
「ですから、ラスピーさん。あなたのことです」
オルフィじゃなくて、とリチェリン。
「どうしてあなたは神子のことにこだわるのかしら?」
「こだわる?」
「エクール湖の神子……あなたに何の関係があるの?」
「関係は、ない」
青年は両手を上げた。
「ただ、本の題材には素晴らしく――」
「ごまかさないで」
リチェリンは制止した。
「本の題材? 嘘だわ」
「嘘?」
驚いたようにラスピーは目をぱちぱちとさせる。
「いえ、判らない。あなたは本当に本を書いているのかもしれない。でも神子の話がいい題材だなんて、それは嘘よ」
「どうしてそんなふうに言うんだい?」
「その」
彼女は少し顔を赤らめた。
「『確認』が性急だったわ」
「あれは申し訳なかったよ」
彼は肩をすくめた。
「どうしても確かめたくなってしまってね」
「だから、それはどうしてなの?」
彼女は問うた。
「あなたにはいち早く私の背中を確かめる必要があった。でもどうして? 私が本当のことを言わないかもしれないと思ったのだとしても、まずは尋ねてみるのが筋というものじゃない?」
「悪かった。この通りだ」
ラスピーは頭を下げた。
「気が急いていたんだよ」